盗み聞き 2
そっと壁によって近づき、様子を伺った。すると、寝台はさらにその右奥にあり、ベリー医師もジリナも背中を向けていた。ただ、シークだけが顔を横に向けたら気がつくので、そっと急いで頭を引っ込めた。
「私には年の離れた妹がいます。末の妹は十七歳です。ちょうど妹のような感じで放って置けませんでしたから、声をかけただけです。そんなに恐縮しないで下さい。」
(え、わたしと一歳しか違わないの、その妹さん!?)
セリナはびっくりした。
「…本当にヴァドサ殿がいい方で良かったです。なんとお礼を言ったらいいのか。ありがとうございます。わたしにできることなら、何でも言って下さい。娘を助けて下さって、本当に感謝しています。」
残念ながら母の遠慮して恐縮している表情を見ることはできなかったが、後ろ姿からは本当に恐縮している様子がうかがえた。
「ジリナさん、本当にいいですから。」
「そんなに言われるなら。」
シークがいいと言っているのにも関わらず、横からベリー医師が口を挟んだ。
「ジリナさん、お願いがあります。ヴァドサ隊長に食事を運んでくれますか?私の手が空かない時は、時折様子を見に来て欲しいんです。一応、見張りはつけます。以前もいろいろあったので。
ベブフフ家の使者が来ていろいろある間は、ここに身を隠していた方がいいでしょうから。一日に二度の診察はしますが、怪我人なんかもいますからね。」
「そうですか、分かりました。食事を運びます。それはそうと、折り合いが悪いんですね、ご領主様とは。」
「…ええ、まあ。いろいろとありまして。」
ベリー医師は脈心やなんかをしていたが、盆の上の薬を渡した。
「飲んで下さい。」
「ありがとうございます。」
シークは薬の入った器を受け取ると、意を決したように器を見つめてから、薬を一気に飲み干した。物凄く顔をしかめている。セリナもその気持ちはよく分かった。ベリー医師の薬は確かによく効くが…猛烈にまずい。
「口直しの水は入りますか?」
ジリナが小机の上の水差しの水を注ごうとした。
「いえ、だめです。今、水を飲むと胃の中で薄まってしまう。」
「蜂蜜なんかもだめだんですか?」
「ええ。効能が変わったら嫌なので。」
「…ですが、なんか気の毒なほど、まずそうですよ。」
珍しくジリナが親切なことを言っている。セリナを助けてくれた恩人だからだろうか。確かにセリナの方が親切にお礼を言ったり、薬を運んだりした方が良さそうだ。自分を助けるために怪我をしたのだから。
「大丈夫です。慣れてます。」
シークがどこか涙声でジリナに言った。
「慣れてる割には、辛そうですな。まあ、私の薬がまずいのは分かっています。自分でも味見したら舌が痺れそうだった。よくこんなもの、全部飲んでるなって感心しますよ。ははは。」
「先生、自分でもまずいんですか?」
シークが思わず聞き返している。そりゃあ、そうでしょうね。自分でもまずいと思うものを人に呑ませているんだから。セリナも納得した。
「そりゃあ、まずいに決まってるでしょう。これがおいしいと思ったら、味覚が変でしょう。調べないといけないですよ。」
「…はは、まあそうですね。」
「はい、じゃあ、次は傷の治療です。布団に座ったまま背中をこっちに向けて、寝間着を脱いで下さい。」
シークはこちらに背中を向けて、寝間着の帯を解き始めた。だが、ふと途中で動きを止め、先に寝ているために緩く結んでいて乱れた髪を結び直し、手前にひょいと垂らす。いつもの馬のしっぽの髪型でないのが、見慣れない上に、その動きが妙に色っぽかった。
パルゼ出身者達の村では、男性が髪を伸ばす習慣はないので、男の人の長い髪も最初は見慣れなかったものだ。
そもそも、村人以外の大人の男の人の上半身の裸なんて見たことがない。村人の上半身裸なんて何も思わないが、以前、モなんとかにお隣の美人女領主に言い寄られた上に、権力でモノにされて、そういう関係になったとか聞かされていたので、急に心臓がドキドキしてきた。
(ちょ、ちょっと待って!まだ心の準備が…!)
セリナが心の準備をする前に、シークは寝間着をすとんと脱いだ。寝間着が布団の上にぱさっと落ち…包帯が現れた。
「……。」
セリナはこっそり息を吐いた。包帯を見た途端、セリナの目が覚めて、気持ちも冷めた。
(当たり前よね、怪我の治療で脱いでいるんだから。わたしったら、何を考えているのよ。)
「ジリナさん、包帯を巻き取っていて下さい。」
ベリー医師はジリナに言いつけると、どうやら先に部屋に持ってきていたらしい薬箱を開けて、傷薬を出した。
「申し訳ありません。」
シークが言うとジリナは、見たことがないほどにこやかに首を振った。
「いいえ、いいんですよ、これくらい。」
セリナは思わず身を震わせた。全身に鳥肌が立った。ジリナが妙に優しく猫なで声を出している。
(…も…もしかして、隊長さんって母さんの好みなの!?)
そこまで考えてセリナは、はっとした。シェリア・ノンプディといい、ジリナといい、年上の女性だ。もしかしら、彼は年かさの女性に、余計に好まれる傾向にあるのかもしれない。地味なのがいいのかもしれない。
「背中の布を取りますよ。」
何やら準備していたベリー医師は、背中の布を取った。セリナには、ベリー医師とジリナでよく見えなかったが、ジリナが微かにあっと声を上げて息を呑んだのが分かった。ジリナが驚くなんて珍しい。母が何に驚いたのか、セリナも知りたくなった。
「……これは、一体。」
「おや、さすがのジリナさんでも驚きましたか。」
ベリー医師がどこかからかうような口調で言った。
(ちょっと、母さんよけてよ、見えないじゃない。)
自分が盗み聞きして盗み見している立場なのだが、心の中でセリナは思った。いつもだったら、こんなに思うと、ジリナの勘が働いて振り向いてセリナは発見されてしまうのだが、今日はジリナは目の前の傷に目を奪われているのか、セリナの方を振り返らなかった。
(危ない、危ない、強く思いすぎた。)
セリナは自分でも少し危ないと気づいて、そっと深呼吸した。
「……ベリー先生。それから、ヴァドサ殿。これは驚きますよ。どうこう詮索するつもりなんてありません。ですが、これは…背中が傷だらけではないですか!?正確に言ったら、傷跡ですけど、見れば分かります。最近治ったばかりだと。」
「そうですね。半年ほど前のことですから。」
ベリー医師が平然と答える。
「ちょっと、その布を取って貰えませんか。」
ベリー医師の指示に従い、何かまだ言いたげなジリナは、布を取りに動いた。




