ジリナの過去 2
ジリナは先代のリセーナ王妃に仕える侍女だった。リセーナは不思議な女性だった。優しいかと思えば、氷のような冷たい視線の女になる。それが、王家の象徴である美しい朱色がかったような赤い髪の美しい女性であるから、余計に神秘的な雰囲気を醸していた。
リセーナに仕えるようになり、ジリナは早々に自分の美しさを鼻にかけるのはやめた。人間離れした美しさのリセーナを目の前にして、自分は美しいなどと口が裂けても言えない。
だが、みんなその美しいリセーナの性格が豹変するのを不思議に思っていた。侍女達は間近に仕える存在だ。だから、リセーナにそっくりな別人がいるのではないかと、噂していた。だが、本人に直接聞けるわけもない。
「本当に、別人じゃないかとみんな、証拠を探していた。何かあるはずだと。それくらい、おかしかったんだよ。そして、時々、侍女が消えるのさ。おそらく、秘密を知って消されたんだとみんな思ったね。」
「……何か知ったのか?」
「まあ、知ったといえばそうなのかもね。わたしはただ、秘密の小部屋を発見しただけさ。」
ジリナはある日、秘密の小部屋を発見した。王妃の居室の衣装部屋の奥に秘密の扉があり、そこが秘密の通路に繋がっていて、進んでいくと小部屋がいくつかあった。誰かが住んでいる気配がある。
それから、数日後、リセーナが姿を消した。王妃は時々、姿をくらまし、必死になって探しても見つからないのに、気がついたらいつの間にか居室に戻っていることがままあった。優しいリセーナの場合は、『みんな、迷惑をかけてすまないわ。』と困ったように微笑み、優しく娘のリイカ姫を抱いたりしていた。だが、冷たいリセーナの場合は、氷のような目線で侍女達を一瞥し、リイカ姫にも同じような目で見るだけだ。
ジリナは勘づいた。こっそり、衣装部屋の秘密の通路を覗いてみると、少し隙間が生じていた。開けて中に入れば、音で気づかれるかもしれない。ジリナは衣装の間に入り込んで隠れた。だが、ここから出て来ないのに、侍女達の動きで別の部屋にリセーナがいたことが分かった。何かが変だ。あの地下通路は他の部屋とも繋がっているのかもしれない。
そして、ジリナはある日、一大決心をすると、優しいリセーナの時にこっそり尋ねた。中庭を散策するとき、二人だけになったからだ。
「妃殿下。何か隠しておられますね?」
最初ははぐらかそうとしたリセーナだったが、ジリナが衣装部屋、と言った途端、顔色が変わった。
「…お前、誰かにそのことを言った?」
「いいえ。」
「それなら、良かった。このことは誰にも言ってはだめよ。」
リセーナ王妃が念を押す。ジリナは頷いた。
「はい。ただ、妃殿下。どんなことであれ、そう長くは隠せないと思います。侍女達はみんな、気づいています。」
「お願い、黙っていて。そうでないと、お前も殺されるわ。知らないふりをして、今まで通りにお願い。」
「…ですが、陛下も騙すことに…。」
「いいから、言うことをお聞き。みなが害されずに済むようにするためよ。」
リセーナの珍しく厳しい言葉に、ジリナは不安を覚えた。
「陛下にご相談なさった方が…。」
「だめよ…!」
「ですが、わたし共でさえ、気づくのです。陛下がお気づきにならない訳がございません。」
「…そうね。分かっているわ。」
ジリナは知らないふりを続けた。でも、それから、間もなくジリナはリセーナに呼び出された。
「いいこと。悪いけれど、ジリナ、あなたに暇を出すわ。親の急病ということにする。まだ、知られていないとは思うけど、知られたらあなたは殺される。だから、今のうちに、出てお行き。ごめんなさい。これは、仕事の紹介状よ。わたくしの名前があるから、どこかの貴族のお屋敷で雇って貰えるはずよ。」
リセーナは何度も謝りながら、ジリナを送り出した。
そして、ジリナは王宮を出た。
「それで、妃殿下の紹介状があったから、ベブフフ家の侍女として首府のお屋敷で勤めていたんだよ。まあ、ベブフフ家のお屋敷で勤めていたけど、ちょっといざこざがあってね。だから、田舎に来てここに落ち着いたという訳だよ。」
フォーリは少し考えている様子だったが、こう言い出した。
「たしか、十六年くらい前だったはずだが、ベブフフ家の今の当主の弟が、侍女と駆け落ちしたという噂があった。結局、連れ戻されて侍女とは別れさせられたという話だったが、侍女が死んだら自分も死ぬと大騒ぎしたので、仕方なく領地の田舎の屋敷のある方に住まわせることにしたという。」
ジリナは王宮で働いてきただけあり、ちょっとやそっとで驚かない自信はあったが、今のフォーリの言葉には、心底驚いた。
「…セリナとちょうど年頃が合う。」
「……。」
ジリナの背中に冷や汗がつっと流れた。
「なるほど、あなたは本当に抜け目ない女性だ。」
「何を言ってるんだい、あの子は拾った子だよ。それに、他の子供達だっている。第一、わたしとセリナのどこが似てるんだい?」
「妻に先立たれて子がいる男と結婚すればいい。夫を説得し、移住先の村でもそのように話せば、何の問題もなくセリナは拾った子になる。そして、再婚した夫との間に生まれた子がセリナの妹のロナということだ。
顔立ちについては、化粧をするなりなんらかの方法を使えばいい。あなたなら、それくらいの事は簡単に思いつくだろう。」
ジリナは呆然とし、それから呆れて笑ってしまった。だから、ニピ族をみんな手に入れたがるのだろう。
「…まったく、嫌な連中だね、ニピ族ってのは。わたしが話してない事まで、言い当てるなんて。実はあの時、ご領主様に妊娠していないと嘘をついたんだ。だから、何がなんでもセリナはベブフフの若様のお子だといけないんだよ。
だから、言わないでおくれ。特にセリナには。あの子には決して言わないで欲しい。」
「言いません。私には関係のないことです。別にあなたの秘密を言いふらす必要も無い。」
ジリナはフォーリのきっぱりした態度にぽかんとした。
「ああもう、嫌だねえ、心配したわたしが馬鹿みたいじゃないか。」
「それより、もう一つ質問がある。セリナの行動を知っている者は、あなたや友人のリカンナ以外にもいるのか?」
「そりゃあ、もちろん、セリナと同じ年頃の子ならみんな、知っているだろうよ。セリナと年の離れた人でも、知っているだろうね。小さな村だから、人間関係も狭い。」
「やはり、そうか、分かった。」
フォーリが行ってしまいそうな気配を見せたので、ジリナは慌てた。
「ちょっとお待ちよ。明かりをつけて行ってくれないかい?あんたは見えても、わたしは見えやしないんだからね。」
「すまない。」
フォーリは言って、ランプに明かりを点けた。ニピ族はどういう物を使っているのか知らないが、蓋を開けるとぼうっと青白い炎を出す道具を持っている。懐から取り出して仕える小さな物だ。ベブフフ家に仕えていたニピ族も使っていた。
「前から思っていたけど、その道具は便利だね。どういう仕組みだい?」
ランプの明かりが点いてから、ジリナは聞いてみる。
「残念だが秘密だ。放火に使われても困る。それから、事が落ち着くまであの二人の問題の娘達は、こちらで預かる。口封じされたらやっかいだ。」
フォーリはランプをジリナに手渡すと、さっさと身を翻して行ってしまった。
「…まったく、罪作りな男だね。若様はお人形さんみたいに可愛いから、愛でる鑑賞対象さ。大人のいい男を見たことがないから、娘達はみんなあんたに惚れているってのに。セリナはあんたに信頼されているっていうんで、妬まれているんだけどね。」
小さな声でいなくなったフォーリに言う。
「それで、もし、お前も若ければあの男に惚れたのか?」
窓の外からふいに声がして、ジリナは胸をなでさすった。
「驚かさないでくれよ。そうだね。女ってのは少し悪い男に惚れるもんさ。」
「…あの男は悪いか?」
「いいや、悪くないよ。だけど、手が届かない相手だ。その上、顔も姿もよくて厳しい中に時折見せる優しさに、心をつかまれるもんだよ。うちの娘は少しずれているからね、セリナだけだろ。鑑賞対象の若様に本気で惚れているのは。困った娘さ。」
ジリナはため息をついた。
「なぜ、私の事を話さなかった?」
「なんでって、ひどくないかい、あんた。昔からのよしみで話さなかったってのに。話さなかったことが不満かい?」
「ただ、気になっただけだ。」
「それよりも、あんた、セリナも殺すつもりだったんだね。わたしの娘だよ。本当にひどい男だ。もう、次はないよ。今度やったらわたしがあんたを殺す。分かってるだろ。わたしの性格は。有言実行あるのみ。覚悟するんだね。殺されたくなかったら、しばらくじっとしていることだ。」
「他に言うことはないのか?」
「あるよ。いつ…思い出したんだい?」
相手はふふん、と笑う。
「まったく情けない事に最近まで思い出さなかった。ここに若様が来る二ヶ月前、街に出かけた時だ。見知らぬ男達に取り囲まれ、どこかの地下室らしき部屋に閉じ込められた。その後、医者に薬を飲まされたり、香を嗅がされたりしているうち、思い出したのだ、全てを。自分が本当は何者であったのかも。
お前に言うことはただ一つ。さっき言った言葉をそっくり返す。私がお前を殺してやる。後でゆっくりとな。」
「あんたの方こそ、悪い男だよ。」
相手は黙ったまま立ち去った。ジリナは少し開けられた窓を閉め直した。そして、娘達がいる部屋に急いで戻った。
ジリナはまったく気がつかなかった。暗闇の物陰に立ち去ったはずのフォーリがいたことに。
(…なるほど。そういうことか。)
フォーリは一人、納得すると今度こそ戻ったのだった。




