噂の王子さま
「この子、怪我してない?」
若様が聞いてくる。
「そうですね。大丈夫みたい。」
セリナは言いながら、困り果てた。金具に通している革紐が切れてしまって、繋ぐこともできない。何か代用品になる物はないか、探してみるが見つからない。
「何を探してるの?」
若様が不思議そうに尋ねる。
「何か、紐状の物を持っていませんか?ここに通せる太さの物が必要なんですが、麻紐じゃ太すぎるし、すぐに切れてしまうし。」
セリナは切れた革紐同士を結べないかためしながら、答えた。若様がじっとセリナの手元を見ている視線を感じたが、素知らぬふりをした。
「!あ、ちょうどいい物があるよ。」
突然、彼は言って何か動いたので、セリナは振り返った。ちょうど、若様が髪紐をほどいた所だった。美しい朱色がかった夕日のような赤い髪の毛が、きらきらと日の光を反射しながら背中に流れ落ちていった。思わず、セリナは息を呑んだ。性別を超えた美しさがあるのだと、この時、初めてセリナは知った。たとえ、彼が同性の少女だったとしても、同じように息すら止めてみとれたに違いない。
「はい。これを使って。」
彼はおしげもなく、いかにも上等そうな髪紐を差し出した。
「……。だ、だめですよ、そんな上等な物を使えません!」
一瞬、意味を理解できず、理解してからセリナは慌てて答えた。
「でも、困ってるんでしょ。これだと麻紐みたいに太くないし、細い皮を編んで作ってあるから丈夫だよ。」
「…で、ですが。」
セリナは困り果てた。確かにそのようだ。でも、革をこんなに染めて加工するのは時間がかかる。かなり上等な代物だろうと考えがつくので、素直に受け取れない。
「やはり、高価すぎます。お気持ちだけ受け取らせて頂きます。」
セリナが受け取ろうとしないので、彼は残念そうに手の髪紐を見つめた。そんな顔をされると、セリナの胸がズキリと痛む。
「!そうだ、人を呼んでくるよ。君はここで待ってて。」
若様が思いついて走り出そうとしたので、思わずセリナは手をつかんで引き止めた。
「待った!…どこに行くんですか?」
彼は不思議そうにセリナを見返した。
「もちろん、君の住んでる村だよ。村に行って人を呼んで来ようと思って。」
「だ、だめです!」
セリナは急いでその考えを却下した。あまりに慌てたため、怒鳴ってしまった。やはり、彼はびっくりして目を丸くしている。
「ごめんなさい、お気持ちは嬉しいですが、やはり、だめです。」
そう、そんな可愛らしい姿の若様がたった一人で村に行ったら、どうなるか目に見えている。男装の美少女にしか見えない。大変、危険だ。
「…どうして?」
若様は少し傷ついたような表情で聞き返した。
(そんな顔をしないで…!)
セリナは心の中で悲鳴を上げる。心臓が勝手にドキドキしてくる。
「ど、どうしてって…危ないからです。」
きょとん、と若様は首を傾げる。愛らしい仕草に、セリナは彼を抱きしめたい衝動に駆られた。かろうじて理性がセリナを引き止める。
その時、人の気配に二人は振り返った。近くで隠れて様子を見ていた村の若者達だ。農閑期で仕事がなく、ふらふら仲間とつるんでいたのだろう。セリナは青ざめた。相手は五人。みんな顔を紅潮させている。理由はセリナと同じだ。その若様の愛らしい色気に当てられたのだ。
「よう、べっぴんさん。」
「誰?村の人?」
若様はセリナを振り返った。
「…ええ、でも。」
「よかったね。」
セリナが言い終わる前に、若様の顔がぱあっと喜色に溢れた。
(え?何が?)
「村に人を呼びに行かなくていいよ。」
セリナは頭を石で打ち付けられたような気がした。育ちが違いすぎる。やっかいごとが増しただけだと分かっていない。それは若者達も同じ感想を持ったようだ。一瞬、ぽかんとした後、にやにやした笑いを浮かべる。
「俺達が手伝ってやるぜ。」
一人がにやにやしながら近づき、若様の肩に手をかけようとする。セリナが動く前にことは起こった。何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
気がつけば、若様の足下に若者が転がっている。
「私の後ろから近づかないで。危ないよ。刺客に対処するように訓練されてるから、考える前に動いちゃうんだ。」
にこやかに物騒なことを口にした。
「し、しかく?」
「しかくって何だ?」
若者達は目の前で起こったできごとに驚き、言葉の意味も知らなかったので、聞き返した。
「うーん、そうだね、分かりやすく言ったら、こっそり人を殺すために送られてくる人のことだよ。大抵は訓練を受けているから、とても強いよ。」
若様は大真面目に若者の質問に答える。だが、その真面目さがかえって恐怖をあおった。
「じゃ、じゃあ、お前、そのしかくってのに狙われてんのに、うろついてんか!?」
一人、気が利く若者がすっとんきょうな声で叫んだ。
「大丈夫だよ、今はいない。それに、私は屋敷にいるから、たまにはいない方が刺客の裏をかけるし、それに何より、ずっと閉じ込められている方がうんざりするもん。気晴らしに外に出ないとね。」
若様はうん、と頷いた。細い絹糸のような手入れされた髪が風になびき、どう見ても美しい少女のようにしか見えない。




