事件の後 2
やがて、日も暮れた。
セリナを見張っていた兵士は、兵士の怪我の治療の方に手伝いに行った。セリナは一人、椅子に座っている。兵士達の呻き声の合間に、浅くて早い呼吸の音が聞こえる。時々、若様も痛みに呻いていた。ベリー医師は、隣に行ったきりだ。フォーリがずっと側についている。
仮の医務室の部屋には、セリナが厨房に置いていったパンが置いてあった。セリナが特別に取り分けたのを見られたのだろうか。その時、セリナは昨日の事を思い出した。父、オルとした会話だ。
『そんなことをして、大丈夫なのか?』
父は、心配して注意してくれた。それなのに、それをうるさがってパンを作った。セリナは若様の食事を作る手伝いをしている。だから、セリナの後をつけてきて、その後、会話を盗み聞きされたのかもしれない。
それ以外に考えられない。セリナはフォーリにその事を話そうと思った。でも、なかなか立ち上がれない。恐い。きっと、凄く怒っているはずだ。親衛隊の隊長であるシークに対する、フォーリの怒りを思い出した。フォーリが殺してやる、と言った時、本当にシークが殺されると思った。
それでも、若様の命がかかっているのだ。若様の冷たい手。真っ青な顔色。鮮血で真っ赤になった吐瀉物。セリナが一番疑われるのに、それでも若様はセリナのせいではないと言ってくれた。
(その気持ちに応えなきゃ。)
セリナは勇気を出して、椅子から立ち上がった。恐くて体が勝手に震える。服を汗でびっしょりの両手で握りしめながら、ふらつく足でフォーリの方に一歩、進み出た。
「どうした?」
気配ですぐに気がついたフォーリが、鋭く聞いてくる。
「あの……。」
セリナは涙を拭った。なかなか言い出せない。
「なんだ?」
恐くてたまらない。
「話さなきゃいけないことがあって、その…。えーと、きっと昨日、父さんとわたしの話を聞かれててそうでないとつじつまが合わなくてだって昨日も今日もうちの家族も食べて国王軍の兵士達もみんな食べたのになんで若様のパンにだけ毒が入っているかそれを考えたらそれしか思いつかなくて…きっと…きっとわたしが…!」
「待て。」
話さなくてはと思うあまり、話し出したら一気に止まらずしゃべるセリナを、フォーリは明確に静かな一声で黙らせた。
「深呼吸をして、順番に一つずつゆっくり話せ。」
「え?あ、えーと。」
「深呼吸だ。」
混乱したままのセリナに、フォーリは明確に指示を与える。言われるままにセリナは深呼吸した。
「昨日の事から、順番に話せ。昨日、家に帰ってから、何があった?」
セリナはさっきより少し落ち着いて、昨日、父のオルとした会話を伝えた。
「それで、お前は父親とした会話を盗み聞きされた以外に、考えられないという事だな?」
セリナは頷く。フォーリは少し考えていたが、こう聞いてきた。
「ところで、厨房に置いていったパンは、若様に召し上がって頂くために分けておいた分から取り分けたのか?」
「はい、そうです。だって、フォーリさんがご飯を作れないから、きっと、お腹が空くと思って、最初から二人分と一つ余分に、綺麗な焼き上がりのをよけておいたんです。」
「もう一度、確認するが、重曹で膨らませたパンは前日から既に焼いておいたんだな?そして、見た目が良い物を分けておいた。それで間違いないな?」
「はい、そうです。」
「もう一つ、聞く。若様はパンを食べて何か言われなかったか?」
セリナは考え込んだ。何か。えーと、なんか言ったような気がする。セリナは台の上にあるパンを睨みつけた。
「あ、重曹入りのパンを食べた時、何か風味が違うって言われました。でも、重曹のせいだと思ったんです。だから、重曹のせいですって言いました。」
フォーリはそれを聞いて頷いた。
「他には何か言われなかったか?苦いとか?」
セリナは必死に考えたが、思いつかなかった。
「分かりません。苦いとかは言われなかったように思います。」
「そうか、分かった。そこに座っていろ。」
それ以上の話はない、と言うように体の向きを変えてしまう。拒絶されているような気がした。当たり前だと思う一方で、それがとても悲しかった。きっと、疑われているのだ。だって、セリナだけが知っている。それが誰のパンだったのか。今の話は自分でしてみても、フォーリにも一緒に毒入りのパンを食べさせようとしたという話にしかならない。
違うのに。若様に毒なんて食べさせてない。わたしじゃない。わたしじゃないのに…!
「…わたしじゃありません。わたし毒なんて入れてない!」
セリナは言うなり、調べるために台の上に置かれている、重曹入りのパンを手に取った。見た目を少し変えてあるから、発酵させたパンとの違いはすぐに分かる。今嗅げば、かすかにいつもと違う匂いがする。
「お望みなら、これを食べてみせます…!」
パンをちぎって口に押し込む。ガタッと音がしたが、セリナは必死になってパンを食べようとした。
(苦い。とても苦い。こんな苦い物を若様はおいしいって…!)
その時、首に衝撃を感じてパンを吐き出した。フォーリに首を軽く叩かれたのだ。
「馬鹿な事をするな!」
フォーリは素早く湯飲みに水を注ぎ、セリナに口をゆすがせた。
「馬鹿な事を!死ぬつもりか!」
こんなにフォーリに怒鳴られた事はなかった。あまりの迫力に我慢の限界が来た。
「だって、だって、どう考えてもわたししか犯人はいないから!」
悲鳴のような叫び声を上げた。涙がぼろぼろ溢れる。堪えられずに子供のように、声を出して泣いた。頭に優しい手を感じた。フォーリが幼い子をあやすように、頭を撫でてくれている。セリナが落ち着くまで待ってくれた。手巾を出して涙を拭ってくれる。普段、厳しい人の優しさに、胸がぐっと詰まる。




