グイニスの決心 1
フォーリの顔を若様はじっと見上げてきた。
「…やっぱり、だめだよ!」
若様は言うなり、フォーリを仮の医務室に引っ張ってきた。何がだめなのかは、分かっている。一昨日、皿を顔面に受けたので、青あざができたのだ。
「ベリー先生、フォーリの顔を治療して。」
すでに経緯を聞いているベリー医師はフォーリの顔を見て、にやりと笑う。カートン家に学んだ医者で、宮廷医師団に入る話も出ていた実力のある医者だ。一応、王族の診療に当たる医師は宮廷医なので、若様付の医師ということは宮廷医ではある。ただ、単純に宮廷医というと王宮での仕事だと一般には思われる。
「おやおや、フォーリ殿、これはご立派な青あざですな。」
フォーリが凄腕のニピ族だと分かっていても、平気でニヤニヤ笑ってからかう。
カートン家一門の医師達は、全員がニピ族の武術である、ニピの踊りを身につけている。実はニピ族は分裂しており、フォーリはカートン家に組した方ではないニピ族だが、分裂していったニピ族とカートン家の約束で、ニピ族は全てどんな事情があっても助けることになっている。
「…ベリー先生。自分で薬は塗っていますから、大丈夫だと思います。」
さっさと切り上げようとすると、ベリー医師はまあまあと宥めた。
「早く治療して貰って。」
若様がむ、と監視しているので、仕方なく椅子に座る。ベリー医師はフォーリの鼻に触り、骨が折れてなくて良かった、とか言っている。
その時だった。油断していた。首筋にチクッと痛みが走った。途端、体中が痺れたように動かなくなる。さらにもう一カ所、ツボに鍼を打たれ、気絶するように意識を失った。
動かなくなったフォーリを支えながら、鍼を抜き取ったベリー医師は、若様を振り返った。
「これでいいですか?私一人では無理なので、足を持って下さい。」
「うん。ありがとう。」
二人はフォーリの室内履きとマントを脱がせて寝台に寝かせた。布団をかけて、さらに衝立を動かしてすぐには分からないようにする。
グイニスはフォーリの寝顔をじっと見つめた。
「本当に寝てる?」
フォーリの超人ぶりを知っているグイニスは、心配になってベリー医師に尋ねた。
一度、グイニスの隣にベリー医師は立ち、寝息を確認する。
「ええ、間違いなく寝ていますね。」
二人は衝立の裏から出てくると、同じように息を吐いた。
「さあて、若様。フォーリを寝せたってことは、代わりに私が若様の護衛をしないといけません。なんせ、フォーリの他にニピの踊りができる者はおりませんから。」
ベリー医師の言葉に、グイニスは首を振った。
「いいや、ベリー先生はここにいて。」
ベリー医師が一瞬、言葉を失う。
「いいや、それこそ、いいや、だめですな。そんなことをしたら、後で私がフォーリに殺されるじゃないですか。それとも、若様。フォーリと私を納得させられるだけの根拠がおありですか?そうでないと、フォーリに殺されるのはごめんなので、お散歩についていきますよ。」
「もし、フォーリに何かあったら、困る。だから、ベリー先生にはここにいて欲しいんだ。」
ベリー医師はむ、と眉根を寄せる。
「ニピ族の寝込みを襲う馬鹿はいないと思いますが。」
グイニスは考えていることがあったので、ベリー医師をまっすぐ見上げた。
「もし、同じニピ族なら?もし、同じニピ族なら、フォーリの寝込みを襲うことはできるはずだ。」
ベリー医師の目がすっと鋭くなる。
「…確かにそれは、そうですが。しかし、ニピ族の掟では、たとえどれだけ敵味方同士になろうとも、ニピ族同士で殺し合いだけはしない、それが明確な掟であり、長年破られたことはありません。」
「でも、そのニピ族の掟に反する者がいたら?それに、ニピ族でなくとも、武術を極めた者ならば、寝込みくらいなら襲えるはずだよ。」
「若様、何を仰りたいのですか?」
ベリー医師が鋭い目つきのまま尋ねる。親衛隊の兵士達より恐いと思う。ヴァドサ隊長の方がずっと遙かに優しい。
ちなみにヴァドサ隊長は、有名剣術流派の家系の五男だが、躾の厳しい家系である上に父に冷遇されて育ったようで、苦労人だというのは聞いていた。
グイニスに対して同情しているのを知っているが、蔑まれているわけではなく、親切にしてくれる。ここに来る前までに色々大変なことがたくさんあったが、彼がいなければグイニスは何度か死んでいたかもしれない。ヴァドサ隊長が命がけで何度もグイニスを助けてくれたので、今のグイニスがある。だが、彼はそのせいで体を壊してしまった。フォーリがその分、今は頑張っている状態だ。
ヴァドサ隊長は、グイニスに“鬼ごっこ”という名の訓練を部下達と一緒にさせてくれたり、個人的に叔父に内緒で剣術の指導をしてくれる。そのおかげで自信がついて、こっそり村に出かけてセリナと会うことができたのだ。普通に話せるようになったのも、ヴァドサ隊長が護衛に来てくれるようになってからなので、グイニスは感謝している。いつか、お礼を言えたらと思っていた。もし、話せなければ、セリナと友達になることもできなかったのだから。




