王太子タルナスの記憶 6 グイニスとの再会(下)
しくしく泣く声で、タルナスは目を覚ました。目を開けると、グイニスの泣き顔が目の前にあった。目が合った瞬間、グイニスは、はっとして喜びに破顔した後、すぐに大泣きし始めた。
「あ、従兄上、ごめんね、ごめんなさい。忘れていて、ごめんなさい。すぐに思い出せなくてごめんなさい。た、助けに来てくれたのに…!」
グイニスの声にニピ族の護衛二人が顔を覗かせ、カートン家の医者がすぐにやってきて診察をした。
「いろいろなことがあって、お疲れだったのです。しっかり休めば大丈夫ですよ。後で宮廷医師団長にこれをお渡しください。」
手紙を渡して部屋を出て行く。医師による診察の間も、グイニスはずっとめそめそ泣いていた。自分もさっき泣いていたことを思えば、人の事は言えない。
「従兄上、ごめんなさい。夢なのか、本当なのなのか記憶が入り交じってるの。よく分からない。」
泣きながらグイニスが謝った。
「いいんだよ、グイニス。お前が元気そうで本当に良かった。さっきは、ちょっとびっくりしたけど、今は思い出してくれた。思い出してくれて嬉しいよ。」
上半身を起こして、グイニスの頭を優しく撫でた。濡れた目でタルナスを見上げてくる。
「従兄上はいないって、誰かにずっと言われてたの。だから、分からなくなっちゃった。おかしくなっちゃった。とても恐い夢をみるけど、起きたらどんな夢か忘れちゃう。」
グイニスの告白に胸が痛むと同時に腹が立った。いないと言ったのはおそらく、母だろう。ずっと、嘘を聞かされて…記憶が混乱するように仕向けたのだ。そんな怒りを表には出さず、タルナスは努めて穏やかに口を開いた。
「夢は、朝、起きたら忘れるものだよ。それにグイニスはおかしくなんかない。誰でも酷い目にあったら、苦しいことを忘れようとするものだよ。だから、心配しなくていいんだ。お医者さん達もそう言うだろう?」
グイニスはじっとタルナスを見つめ、それからこくんと頷いた。
「…うん。やっぱり、従兄上といたら、安心する。」
「こっちにおいで。」
タルナスが誘うとグイニスは、三、四歳の幼子のように無邪気に笑い、室内履きを脱いで寝台に上がり込んだ。しっかりと従弟を抱きしめる。タルナスにとっては、半分血の繋がった弟妹達よりも近しい従弟で弟同然だった。
以前よりすっかり痩せて、未だ戻りきっていない体格にタルナスは胸を痛めた。本当に命だけは、なんとか助けられたと実感した途端、また、涙がこみ上げてきた。
「ごめんな。お前のものを全部奪ってしまって。いつか、必ず、お前に全てを返すから。どれだけ、時間がかかっても。必ず返すから、だから、とにかく生きるんだ。しっかり生きるんだぞ。従姉上の事も、なんとかするから。だから、心配するな。ごめんな、父上と母上の代わりに謝るよ。力が及ばなくてごめん。私に力がなくて……。」
「従兄上、もう、謝らないで。」
珍しくグイニスが強い口調で、タルナスの言葉を遮った。
「従兄上のせいじゃない。従兄上のせいじゃないから、もう、謝らないで。従兄上は倒れるくらい、私の事を心配してくれてる。助けてくれた。だから、もう、謝らないで。」
お互いに抱き合ったまま、グイニスが耳元ではっきり言った。お互いに泣いているのが分かっていた。
「…そうか、分かった。」
しばらく、二人は抱き合ったまま泣いた。
「グイニス。フォーリはお前の護衛だ。」
グイニスを抱きしめたまま、フォーリを見上げてタルナスは、はっきり告げた。フォーリが少しだけ息を吸った。
「フォーリは信用できる。だから、どんな事があっても彼の言うことを聞け。フォーリはお前を命がけで守ってくれる護衛だ。だから、お前も命を粗末にするな。苦しいことも辛いこともたくさんある。だけど、命だけは捨てないでくれ。お前が死んだら、私は悲しい。私だけはお前の味方でいる。たとえ、父上と母上を殺してもだ。」
グイニスの体が強ばった。なんと言ったらいいのか、分からないでいる。フォーリの顔もポウトの顔も少し強ばっていた。
「私はそれくらい、父上と母上に怒っている。本当は縁を切りたいくらいだ。お前にだけは知って貰いたい。覚えておいて貰いたい。どんなことがあっても私はお前の味方だ。だから、本当に危ない時は知らせてくれ。私は、できるだけ力を得るから。とりあえず父上から玉座をもらい受けて、それから、お前に返すから。
だから、私のどんな噂を聞いても、私を最後まで信じて欲しいんだ、グイニス。」
「…分かりました、従兄上。きっと、そうします。」
ようやく抱擁を解くと、タルナスはフォーリに命じた。
「フォーリ。どんなことがあっても、グイニスを守れ。二人とも生きて私と再会して欲しい。」
フォーリが片膝をついて敬礼した。
「承知致しました。必ずやご命令を全う致します。」
こうして、フォーリはグイニスの護衛になった。
今、二人とも元気だろうか。
従姉のリイカは助け出すどころか、実力で国王軍の中でのし上がった。一度、慰安という目的で、なんとか会いに行く名目を作って会いに行った。この時も一悶着あった。王と王太子が対立し合っているので、家臣達は、はらはらだっただろう。
とにかく会いに行ったら、今さら助け出さなくていいと言われた。それよりも、グイニスを助けてくれてありがとうと礼を言われた。まだ、道半ばだと伝えたが、あの時が一番の危機だったから、約束を守ってくれて男だな、と豪快に褒められ、かなり肩の力が抜けた。
今や王と王太子が対立しているのは、国中が知っている。そういったこともあり、かつてグイニスの父ウムグ王に仕えていた貴族達の後押しもあって、グイニスはセルゲス公の地位を得る事ができた。もう、簡単に精神を患っている理由で、暗殺することはできない。
父の方はそういう状況もあってか、グイニスを最近、放任しがちだ。タルナスに任せきりと言っていい。だが、母の方はそうはいかない。苛烈な母は、なんとかしてグイニスを殺そうとしている。
タルナスがリイカと慰問で会ってからは、リイカにも刺客を送っているらしい。リイカには申し訳ないことをしたと思うが、姉同然の従姉は返り討ちにしている。怪しげな者を捕らえたので処刑した、という報告が続いていた。
問題はグイニスの方だ。今はベブフフの所領内にいるという話だが、ベブフフが愚かな事をしていないか、大変心配だ。ベブフフはカルーラにごまをすっているので、何かありそうな気がする。
「ポウト。」
「はい。」
「グイニスに誕生日の贈り物を届けたいと思う。」
普通に考えれば無理なのだが、無意味にそんなことを言わないと分かっているポウトは、慎重に聞き返してくる。
「どのように手配致しますか?」
かつてフォーリを手放さなくてはならないと思った時、悲しかったが、今はこれで良かったと思う。ポウトはタルナスの気持ちをよく汲み取ってくれる。フォーリほどの切れはなく、少しおっとりしているが、逆に穏やかな雰囲気が、いつも心労が絶えないタルナスには心地よかった。
「グイニスはセルゲス公だ。王族が受けられる最高の位だが、誕生日を迎えて日数が経つのに、祝うことすらしないのは対外的にも良くない。逆にセルゲス公が王に挨拶をしないのもおかしい。使者を派遣し、迎えに行かせるべきだ。ここら辺で、グイニスの様子を確認しておくのも大事だと父上には強調する。母上には暗殺する機会だと言えば、喜んで迎える準備をなさるだろう。」
タルナスは、両親をいかに利用しながら出し抜くかを考え続けて行動してきた結果、そういう能力に長けるようになっていたが、それらが父を支える八大貴族などの貴族達相手にも、有効であることに気がついた。王太子の能力に気がついた八大貴族のレルスリやノンプディは、タルナスに対する態度が変わってきた。
「それでは、つまり…。殿下がお迎えに行かれるということですか?」
悪戯っぽく笑みを浮かべながら、頷いた。
「その通りだ。名案だろう。そうすれば、母上からの刺客も避けられるし、ベブフフが余計なことをしていないかどうか、調べられる。」
「しかし、殿下が行かれるとなれば、事前に知らされることになるかと思いますが。」
「おそらくな。でも、いいんだ。私が行くというだけで、ベブフフにはいい薬になる。だから、お前もそのつもりで準備をしていてくれ。」
「はい、承知致しました。」
タルナスはグイニスと会えるようにするため、早速、父の元に向かった。




