厨房のおしゃべり(上)
崖の事件と噂事件の後、セリナはなぜかフォーリにわりと信用されるようになった。若様の食事の手伝いを頼まれるようになり、フォーリや若様と一緒に厨房で料理の手伝いをしている。
若様の料理には気を遣うが、食後の皿洗いなども手は抜けない。食器に毒を塗られる可能性もあるというので、食前にも食器を洗ってふきんで拭くという念の入れ用だ。
かなり細かい事を要求されるが、母のジリナに厳しくされていたので、そんなに大変ではなかった。今頃になって母に感謝している。血は繋がっていないが、きちんとしつけてくれたのだ。
おかげで他の仕事をしなくて良くなった。シルネとエルナからは、合うたびにかなり睨まれるがあれ以来、彼女たちは洗濯係に決まり、他の仕事は任されていないらしい。ただ、セリナが一人、若様に近い仕事を始めたので、アミナまで最近は冷たくなった。
なんだかんだいいつつ、みんな容姿のいい若様のことが好きだから、狙っている。目が合っただけで舞い上がっているのだ。セリナが一番、話す機会もあり、若様がお気に入りらしいので、焼き餅を焼かれている。それに、フォーリだってかなり顔がいい。もし、若様がこんなに可愛くなかったら、きっとフォーリをみんな狙っていただろうと思う。
(…ま、分かるけどさ。)
内心、少しは…いやかなり鼻は高い。だが、それをしてしまうと、シルネやエルナと同じになるので、実行はしない。
そう、今は信用を失ってはいけないのだ。フォーリの信用を失ったら、側にはいられない。本当は恐い所もある。最初に料理係の女性が亡くなった。それを思えば、恐くないと言ったら嘘になる。それでも、若様と一緒にいられる時間が増えるのは嬉しかった。
「ねえ、この辺に雪は降らないの?」
若様が肉を煮込んでいる間、暇になったので尋ねてきた。セリナは竈の薪の燃える具合を確認してから、振り返った。
「そうですね、あんまり降りません。わたしは仕組みをよく知りませんけど、カートン家のお医者さん曰く、温かい海流が側を通るので、雪雲が来ても雨になるんだそうです。」
すると、若様は目を丸くした。
「え、分からないことはなんでも、カートン家の医者に聞くの?病気以外の事なのに?病気のことを聞くなら分かるけど。」
その事の方に若様は驚いて、そっちの方にセリナは驚く。
「ええ、そうですよ。この辺の田舎じゃ、一番物知りで賢い人は、カートン家のお医者さんですから。大体、お医者さんって言ったらカートン家の事を言いますから。カートン家じゃないお医者さんは、かえって田舎では信用されないんですよ。」
「ふうん、そうなんだ。」
フォーリが生ゴミを出しに外に出たので、その隙に小声でセリナは尋ねた。
「ねえ、疑問なんですけど、フォーリさんって味見しないのに、どうしておいしく料理を作れるんですか?」
すると、若様はそんなこと、というような顔をした。
「ああ、それ?簡単だよ。おいしい料理の作り方も、調味料やなんかの配合も全部暗記しているからだよ。その通りに作っているんだ。」
こともなげに若様は言った。前からそうではないかと思っていたが、実際にそんなことをするのは、かなり大変な事だ。
「やっぱりそうなんですか?書き付けを見たりすることもないし、よくそんな事ができますね。だって、いろんな料理、全部でしょ?凄いですね。」
若様は首を傾げた。若様にしてみれば、なんでもないことらしい。彼が首を傾けたので、夕陽色の朱色がかった赤い絹糸のような髪の毛が、細い首筋にたっぷりと流れる。そんな姿も可愛くて、セリナはうっとり見とれそうになった。
「でも、セリナ達だってやってるんじゃないの?だって、おうちでも料理しているんでしょう?」
(おうちって…。)
若様だから言ってもおかしくないが、村の同じ年頃の少年が言っていたらとんでもなくおかしい。
「そうですけど、結構、忘れるもんですよ。それで、どれくらい入れるのか、姉や妹と揉めるんです。喧嘩になっちゃったりして。それで、母に聞いたりするんですどけね。」
「それで、お母さんはなんて言うの?」
「そんなもん、忘れちまったよ、適当に入れておきなって言います。そう言うから、本当に適当に入れて全然違う味になったら、馬鹿じゃないのかって怒られるんです。適当って言っても、味見して似たような味にしろってことですよ。だから、味見なしにいつもぶっつけ本番でおいしい味にできるって、本当に凄いですよ。」
「ふうん、そうなんだ。」
若様はふふふ、とおかしそうに笑いながら、立った。鍋の蓋を開けてゆっくりとかき回す。
フォーリが戻ってきた。
「若様、外に雪が降っていますよ。」
フォーリの言葉に若様だけでなく、セリナも振り返った。
「ええ、本当に!?」
「そうなんですか…!?珍しいなー。」
目をキラキラさせてそわそわする二人を見て、フォーリがため息をつく。
「見に行ってくれば……。」
フォーリが最後まで言う前に二人は厨房の扉を開けた。




