若様のかんしゃく(上)
結局、セリナは夕方に若様のところに行った。フォーリに笑われた後、顔ができてから行け、と許しを貰ったからだ。
母のジリナの態度を思い出し、真似をする。ようやく、若様の部屋にたどり着いたが、何か一悶着が起こっているようだった。
今、フォーリは若様の夕飯の料理中でいないらしい。
「ですから、若様、落ち着いてお聞きください。そのような話は嘘かもしれません。おそらく嘘でしょう。信じてはいけません。」
親衛隊長のシークが必死になって、若様を諭している声が聞こえた。
「そうです。もし、話が本当ならば、まず、フォーリから話があるはずです。それがないということは、その話は嘘でしょう。」
副隊長の声もした。
「…でも、フォーリは、私に心配させないために、あえて何も言わないのかも知れない。」
若様の声にはいつもの明るさがない。代わりに緊張が走っている。
「部下が余計なことを申し上げました。フォーリは私の部下ではありませんが、決して隠しごとはしません。」
「でも、もしかしたら、その話は本当かも知れない。叔父上なら、それくらいのことはなさるだろう。姉上が戦死しても隠すことくらいなら。ニピ族も騙せるような裏工作をしているのかもしれない。」
セリナは緊張した。今日、フォーリと話した若様の姉君のリイカ姫の話だ。戦姫様が戦死したって?一体、どこからそんな噂を?部下がとシークが言っているということは、兵士達が聞いたのだろう。ということは、村娘達がしていたから、彼らの耳に入った。昨日、セリナは家に帰らなかったので、そんな噂話が広がっているとは知らなかった。
村娘達が話しているなら、商人がやってきたのだ。いつもより早い気がするが、天候や売り物の都合で変わるから、別段、珍しいことではない。話を聞けないのは、少し残念だったが、今日は本当の話を聞いた。
戦姫様が戦死?
(本当なのかしら。どう考えても、おかしいわ。だって、フォーリさんにそんな素振りは全くなかったもの。)
若様達姉弟のことで、普段は冷静な態度しか見せないフォーリが怒りを滲ませていた。落ち着いた態度しか見せないからといって、情熱がないわけではないのだ。本当はとても情熱的な人なのだろう。考えてみれば、そうでないと若様の護衛を命がけでできないはずだ。もし、本当に戦死していたら、さすがのフォーリももっと慌てていたはずだ。
(つまり、嘘だわ。嘘よ。でたらめだわ。でも、商人にしてみれば、戦姫様が活躍した方が売れるのよね。なんで、戦死という嘘を流す必要があるのかしら。)
そこまで考えて、だから、兵士がうっかり若様に漏らしてしまったのだと、気がついた。戦死が本当かもしれないという情報があったのだろうか。
「仮にそうだったとしても、まずはフォーリに確認するべきです。」
いつもは何かしら、フォーリと揉めていることが多いシークが、フォーリに確認するように強調した。
「…フォーリに迷惑をかける。」
「フォーリは若様の護衛です。そのような事は気になさらなくていいのです。もし、フォーリが今の言葉を聞いたら、フォーリは生きていられません。」
若様は震えた。拳をぎゅっと握り、二人を振り返った。
「…他の人には分からない!私は姉上が戦地に行った時と同じ年になった!本来なら私が行くべき場所に姉上が赴き、私は剣を握ることすら許されない!私は何の役にも立たないし、役に立とうとしてはいけない!この気持ちが、この気持ちが分かるもんか!」
珍しく若様が荒れて、かんしゃくを起こして怒鳴った。
「二人は剣を握って強くなれる。人の役にも立てる。でも、私はただ、毎日、いつ殺されるのか、叔父上の気持ち一つの決定がいつ来るのか、毎日毎日、人形のようにそれだけを待たされる生活なんだ!」
若様の言葉は剣のように鋭かった。本当のことだったから。親衛隊の二人の顔が強ばって、辛そうに若様を見つめる。
「それなのに、姉上には弟が殺されたくなかったら、戦に勝てと言われる…!きっと、私が死んでも、姉上にはそれを隠して戦わせるおつもりだ!」
シークとベイル二人の顔色がさっと変わった。血の気が失せて、どこか泣きそうな表情に見えた。
「若様、私達の前でそれ以上、言ってはなりません…!」
「どうか、気をお静め下さい、お願いします!」
「そうだな、二人は私の見張りだから、私が叔父上を批判するような事を言ったら、すぐに処罰しなくてはならないのだろう。殺したかったら殺せばいい。」
若様はいつになく冷たい声で言い放った。
「殺したくないから、お願いするのです。」
隊長であるシークの固い石ころでも飲み込んだような声に、少し若様は沈黙した。
「……どうして?どうして、殺したくないの?」
ふいに若様は幼い口調に戻って尋ねた。つい今し方までの冷たい声とは違い、セリナは戸惑った。シークは少しの後、口を開いた。
「私達も若様のご気性を存じております。とても優しいお方です。常に周りの仕える人の様子に目を配られています。私達も分かっています。ですから、たとえ任務でも全うしたくない任務もあるのです。」




