戦姫様の話
セリナはそんな母の後ろ姿を眺めて、重いため息をつくと自分も戻るために裏庭を歩く。
途中で立ち止まって空を見上げた。なんだか今日は仕事をしたくない。何もやらないでだらだら過ごしたい気分だった。
一度、目をぎゅっと瞑って目を開けると、上から見下ろされていた。セリナは一瞬、目を見開き、それから、ひっという悲鳴とともに後ずさった。今日、一番、会いたくないフォーリである。人が来た気配が全くしなかった。ちょっと目を瞑っている間にやってきたのだ。
「お前に話がある。」
「…し、仕事があるので……。」
「お前の母のジリナに伝えてある。」
逃げ場はない。それでも、ためしに言ってみる。
「…わ、若様の側についてなくていいんですか?」
「若様には今、ヴァドサ…親衛隊長達がついている。」
やはり、逃げ場はない。
「ついて来い。」
フォーリはさっき、ジリナと話した場所の前にある物置小屋の中に入った。
(こ、今度は密室だよ…。)
セリナは冷や汗をかきながら、中に入った。本当に逃げ場はない。入浴中に覗きをしようとして殺された話を聞いていたので、余計に恐ろしかった。今日、自分は殺されてしまうのだろうか。
(…で、でも、母さんに話をしたなら、殺されはしないか。)
そこに一縷の望みを託し、セリナは震えながらフォーリと対面した。そんなセリナを無言で観察していたフォーリは、一言ぼそっと告げる。
「お前、私に殺されると思っているのか?」
「!ひいや、ち…!」
驚きすぎて変な言葉しか出ない。本当はいいえ、違います、と言おうとしたのに。
「お前を殺す必要は無い。」
セリナはフォーリの言葉にどっと安堵しかかる。
「素直に事情を話すならば。」
後の言葉にもう一度背筋が凍った。素直に話さなければ殺されるのだ。
「お前に聞きたいことはいくつかある。昨晩はなぜ、部屋に来た?」
セリナは答えようとして、しばらく口をぱくぱくさせていたが、声が出ていなかったため、フォーリに深呼吸をさせられ、ようやく事情を話した。便所の帰りに悲鳴が聞こえて慌てて駆けつけた、という話に納得したようだ。
よかった、と心底胸をなで下ろす。そこに一つも嘘はないので、これ以上、何か問われても返事を返すことはできない。そうなったら殺されてしまうので、殺される確率が減ったのだ。
何も聞かれなければ帰れるのに、セリナは自分の方が聞きたい事が出てきて、それが無性に気になりだした。
何か考えていたフォーリであったが、セリナの行動に敏感に気がつく。
「お前、何か聞きたいことでもあるのか?」
セリナは『あんた、やめなさい!』という、もう一人の自分の声を無視して質問した。
「…あのう、お聞きしにくいんですけど、若様にお姉さんがいるんですか?」
すると、フォーリはなんだ、そんなことかという表情でセリナを見下ろした。小屋には明かり取りの窓があって、以外に中は明るい。
「お前、聞いたことがないのか。リイカ様だ。」
「リイカ様?」
どこかで聞いたことがあるような気がする。すると、フォーリがため息をついた。
「戦姫様だ。これなら知っているだろう。」
セリナは、はじかれたようにフォーリを見上げた。それなら、知っている。田舎でも有名な話だ。美少女でありながら、敵国の軍隊を蹴散らして戦う、勇敢な戦士。時々、戦に勝ったという話を商人が運んでくる。セリナも戦姫様の話を聞くのが大好きだった。作り話だとしても、かっこいいし素敵だ。
「…ほ、本当にいるの!?」
商人の作り話であると半分以上思っていたので、思わず力を込めて、目を輝かせながらセリナは聞き返した。セリナの反応の方に、フォーリが驚いたように一瞬、身を引いた。
「もちろん、実在の人物だ。ただ、お前の思っているような、光の剣で一振り十人なぎ倒すとか、銀の弓で向こうの山に隠れている敵将をその一矢で射殺すとか、鷹や狼の王と友達で危機に陥った時、助けにきてくれるという話ではない。」
今の話は商人が村にやってきて、話してくれる話だ。つまり、その辺は作り話ということだ。一番、面白いのに。いけないと分かっているのに、がっかりしてしまう。
「リイカ様は若様の実の姉君だ。若様とは五歳違いで、今年、二十歳になられた。」
つまり、若様は十五歳だ。
(…十五!?かなり、童顔だったのね。)
「……若様は、お姉さんに戦いに行って欲しくなかったんですね。」
戦姫様が実在の人物だっという衝撃で、フォーリに殺されるかもしれないという恐怖を忘れたセリナは、思わず余計な感想を漏らしてしまった。言ってしまってから、はっとする。目の前のフォーリから出される空気が、急速に険悪になる。
「当たり前だ。戦地などに一度も行った事のない、たった十五歳の姫をいきなり、戦地に送ることなどあり得ない。若様のご容姿を見れば、リイカ様のご容姿も想像できるだろう。十五歳の娘が男だらけの集団の中で、しかも戦に勝利しなければならない。
勝利は弟の命と引き換えだ。現実は作り話のように面白おかしい物ではない。どれほど苦労して、実績を積み上げられたか、男でさえも難しい任務をやり遂げられているのか、若様は一度も忘れられたことはない。現実は血反吐を吐くほどの、泥にまみれた厳しいものだということだ。」
セリナは言ったことを後悔した。叔父と叔母の若様にした仕打ちは酷いものだが、姉に対する仕打ちも酷かった。フォーリの言葉には、怒りが滲んでいる。
つまり、今の話からいけば、弟の命を守りたければ、必ず戦に勝利しろと王である叔父から、厳命を受けているということになる。自分達が格好いいと思っていた戦姫様は、本当は泣きながら必死になって、弟の命を守るために勝利をつかんでいたのだ。戦勝で弟の命を買っていた。いや、今も買っているだ。
セリナは気がついた。だから、戦姫様は一度も敗戦したことがない。負ければ弟が殺されるから。
涙を堪えられなくなって、セリナはうつむいた。
「…ごめんなさい。無神経なことを言いました。」
フォーリがため息をついた。
「お前は無知だが、頭が悪いわけではない。」
言葉がさっきより、優しかった。
「いいか、昨晩、見たことは若様には決して言うな。分かっていると思うが、他言無用だ。」
セリナは頷いた。
「わ、分かってます。」
「それは、分かっている態度ではない。分かっている態度は、お前の母のような態度のことだ。何か知っているような素振りは全くないだろう。あのように振る舞え。」
ジリナの態度はセリナには腹が立つが、若様の前には必要なのだと理解した。理解しても腹は立つが。
「分かりました。難しいですが、努力します。」
「…確かにすぐには身につかないだろう。それでいい。」
フォーリが許してくれたので、促されて小屋の外に出た。戻ろうとしてセリナは思い出した。
「あの、これお返ししないと。」
昨日、渡しそびれたブローチだ。
「…それは、お前が直接、若様にお渡ししろ。年の近いお前が話せば、若様も少しは気が紛れるだろう。今日は部屋に籠もっておられるから。」
つまり、今から若様に何事もなかったふりをして、会いにいけと?セリナは慌てた。
「あの。」
「なんだ?」
「まだ、顔の準備ができてません…!」
本当に必死だったのに、フォーリに笑われてしまい、真っ赤になったセリナだった。




