母の忠告
「…セリナ、大丈夫?」
本日、何回目かの問いをセリナはリカンナにされた。早朝から仕事をしなくてはならず、それは一睡もできなかったセリナには、かなり堪えた。眠いし、体はべらぼうに重いし、だるいし、頭も痛い。その上、真夜中に見てしまった情景が頭をちらついて離れない。
寝間着姿の若様は、とても愛らしかった。それが男前の大人のフォーリに抱きしめられているのだから、何か見てはいけない妙な背徳感を覚える情景の上、悪夢の内容が実際によからぬ輩に何かそうされたのだろうと推測できる、とても可哀想な状況を想像してしまうのだ。それが頭から離れなくて、余計にセリナの動きを鈍らせていた。
「セリナ。ちょっと来な。」
とうとうお昼ご飯を食べ終わった時、セリナはジリナに呼び出された。二人だけの場所に連れて行かれる。屋敷の裏庭の外れの物置小屋の前だった。
「セリナ、昨日、聞いたんだね、若様の悲鳴を。」
図星をさされてセリナは頷いた。昨夜、便所に行った折の出来事を話す。
「で、どう思ったんだい?」
「…どうって。夢じゃなくて、本当は…というか、本当に体験したことじゃないのかなって思った。あまりに凄まじい悲鳴だったから何事かと思ったけど。」
「…まあ、十中八九、体験した事だろうね。」
ジリナの淡々とした言葉に、セリナは思わず顔を上げた。突き放したような母の態度に腹が立つ。
「体験した事だろうねって、体験したって、まだ、子供だったんじゃないの…!?どう考えても縛り上げて、監禁してたような感じしか想像できないし…!」
セリナの大声に、ジリナはため息をついた。
「声を落としな。」
「…あ。」
セリナは慌てて辺りを見回す。ジリナはため息をついて、辺りを見回した。
「今の所は大丈夫そうだよ。それよりもね、セリナ。あんた、分かってんのかい?」
ジリナの言っている意味が分からず、セリナは首を傾げた。
「…何が?」
「権力ってのはそんなもんなんだよ。ましてや、玉座がかかってんだから。」
「でも、だからって、子供に酷くないの…!だって、まだ、十歳にもなってなかったんじゃないの?」
セリナはお腹の底から怒りがわき上がってきて、必死で声を抑えた。
「セリナ。誰が、あの子にそうしたと思ってんだい?」
セリナは言われた意味をとっさに理解できず、口まねのように聞き返した。
「誰が、そうしたって、誰なの?」
「じゃあ、聞くけどね、前の王様は誰だったんだ?」
「前の王様って、あの若様のお父さんでしょ。前の王様の子供だってことは知
ってるし。」
セリナは嫌な予感がしながら、尻すぼみになりつつ、もごもご言った。
「そこまで分かってんのに、分からないのかい?それとも、分かろうとしていないのかい?今の王様は誰なんだい?」
誰って、誰なんだろう。都の政治の話に興味がなくて、覚えていない。
「…だから、都の情勢もちゃんと知っておくように、日頃から言ってるだろ。」
ジリナがいつもより若干、優しく言ったので、セリナはうつむいていた顔を思わず上げた。
「…母さん、ごめんなさい。覚えたふりしてて。」
「今の王様は、前の王様の弟だよ。」
セリナは母の顔を凝視した。身内だろうとは思っていた。でも、でも…それじゃあまりに残酷じゃないのか。
「じゃ、じゃあ、若様を閉じ込めたりしたのって…。」
「そうさ。王様と王妃様さ。つまり、叔父と叔母だよ。若様は孤児だ。どんなに身分が高かろうと、孤児の立場が弱いのは一緒だよ、庶民だろうとなんだろうとね。」
「…でも、王子様でしょ。前の王様の子供なら、勝手に王様になれるんじゃないの?」
セリナは自分の無知を実感しながら、母にすがるように尋ねる。
「勝手にはなれない。王様だからこそ、余計になれないんだよ。幼い子供に政治なんてできるわけがない。だから、今の王様が摂政をしていたんだよ。
でも、摂政じゃ満足できなくなったんだろうね。若様が十歳の誕生日を迎えた日、若様が摂政を殺害しようとした罪で、立太子される権利を奪った。つまり、王様になる道を絶ったんだよ。そして、その罪のために監禁された。」
セリナは愕然とした。
「馬鹿じゃないの、そんなこと若様がするわけないじゃない…!誰も反対しなかったの?考えれば簡単に分かることじゃない…!」
「そりゃあ、当然、そうなったさ。だけど、それをさせないのが、権力の世界。詭弁の応酬だよ。」
セリナは身を震わせた。
「だからね、セリナ。忠告しておくよ。あの若様にぞっこんになるんじゃない。若様もだけど、お前もただじゃすまなくなる。」
今まで母のジリナの凄さを実感したことはなかった。でも、今は違った。ジリナの忠告の意味はよく分かる。そして、ジリナは一体、ご領主様のお屋敷で、何を見てきたのだろうと初めて興味を持った。
「分かったね、セリナ。」
それでも、念を押されて、なぜかセリナは素直に分かったと言えなかった。認めたくない。権力には逆らえないという事実を。なんとかすれば、どうにかなるのではないかと思う。具体的には分からないが、なぜできないとあきらめるのだろう。
「とにかく、あの若様とこれ以上、仲良くするんじゃないよ。ちゃんと働いていればいいのさ。」
ジリナの言葉は、矛盾しているような気がした。今までだったら、もっと仲良くなれとか言いそうだと思っていたのに。
(それくらい、危ないってこと?)
ジリナはセリナの返事を待たずに、さっさと歩いて行った。




