廃屋で 3
セリナが目を覚ますと、若様が泣いていて様子が変だった。そして、「君が欲しい」と囁かれる。
今日は遅くなりました。本当は土曜日のうちに投稿したかったのですが、日付をまたいでしまいました。
セリナは気がついて起き上がった。いつの間にか男はいない。若様は座り込んで呆然としていた。両目から涙がとめどなく流れている。
「若様…!若様、どうしたんですか!」
セリナは若様ににじり寄った。
「ねえ、どうしたんですか、何があったんですか?泣かないで下さい、わたしも悲しくなっちゃう。」
セリナは若様に抱きついた。
「さっきの男に何を言われたんですか?また、嫌なことを言われたの?」
「…違うよ。」
若様は言って、セリナを抱きしめてくれた。
「ただ、全てに納得しただけだ。私は叔母上の仕打ちも全て甘んじて受ける覚悟を決めたよ。」
どういうことだろう。妙な胸騒ぎがしてセリナは若様を見つめる。
「若様?」
大丈夫だよ、と優しく若様は耳元で囁いた。そして、ぎゅっとセリナを抱きしめてくれる。いつも遠慮がちな若様の手つきが積極的で、セリナの心臓がとくん、と跳ねる。
「君がいてくれて良かった。きっと、一人だったら耐えられなかったと思う。」
何があったのだろう。若様の言葉はセリナを不安にさせる。
「どうして?やっぱりひどいこと、言われたの?」
「知りたいことを教えてくれただけだ。…ごめん、セリナ。本当なら立ち上がってカートン家に行くか隠れ家に行かなきゃ行けないのに、動けそうもない。体に力が入らなくて。もう、暗くなってしまったね。」
「ううん、寒くないし大丈夫。お腹すいたりしてない?」
「今はきっと何も喉を通らない。君は?」
セリナは首を振った。若様がいつもと違う様子でセリナを抱きしめてくれる。それだけで胸が一杯だった。今は若様と離れたくない。
「大丈夫。それに、暗いから何も準備できないもの。」
若様が涙声で笑う。
「それなら、一緒にここにいよう。」
若様がセリナに頬ずりしてきた。おかしい、こんなに若様が積極的なんて。思う反面、胸が高鳴る。背中がぞくぞくして走っているみたいになる。
「セリナ、君が…。」
欲しい、と耳元で囁かれてセリナは心臓が止まりかけた。
「…うん、いいよ、あげる。」
子供みたいな返事しかできない。すると、セリナの頬に両手が添えられて、唇に重ね合わされてきた。若様の頬は涙で濡れている。いつも、セリナの方がするのに。セリナはうっとりして、身を委ねた。
セリナは若様の胸によりかかって、心臓の音を聞いていた。
「君は、そうするのが好きだね。」
「…若様が生きてるって、実感できるから。いつも、死んだ方がいいんじゃないかって、言ってたでしょ。いつ、死んでもおかしくないから、確かめておきたいの。」
「君のおかげだよ、セリナ。私が生きていてもいいって、思えるようになったのは。」
若様の手がセリナの背中を確かめるように撫でてくる。
それだけで、嬉しかった。思わず涙がこぼれる。
「どうしたの?大丈夫?」
若様が心配してくれる。
「違うの。嬉しいの。わたしね…わたし、ずっとフォーリさんが羨ましかったの。」
「なぜ?」
若様が耳元で尋ねる。艶っぽい声にとろけそうになる。
「だって…フォーリさんは若様に、死んでくれって言って貰える。私には言ってくれないから。だから、ずっとそう言って貰える同じ立場に立ちたかったの。」
若様が笑った。耳元や首筋に温かい吐息がかかってくすぐったい。
「君は、私の中ではフォーリより上だ。」
「…どうして?」
「フォーリは初めて一緒に死んでくれるって言ってくれた人だ。そして、君は初めて一緒に生きていたいって思った人だ。それに…愛している大事な女性に、死んでくれなんて言えない。フォーリには死んでくれって言える。でも、君には無理だ。愛しい人を死なせられるわけがない。」
「でも…私はずっと若様と一緒にいたいの。それでも…だめ?」
若様は悩ましいため息をついた。そんなため息をつかれたら、大事な話をしているのに、うっとりして魂が抜け出ていってしまいそうだ。
「無理だ。もし、君を死なせたら、私の方が死んでしまう。君が生きていると分かっていたら、私は安心できる。」
セリナは即答できなかった。安心できる、という本当の意味を知っているから。何かあったら、私は安心して死ねる、そういう意味だと知っているから。とても幸せなのに、涙がこみあげる。セリナは涙を拭ってから、頷いた。
「分かった。分かりました、若様。若様がそれで、安心できるなら。」
「…うん、ごめん、我がままを言って。」
「いいの。若様の我がままなら聞いてあげる。だって、我がままを言えないもの、いつも。若様はずっと我慢してるから。若様の我がままは可愛い物ばかり…。」
最後まで言わないうちに、若様はもう一度、唇を重ねてきた。やっぱり、今日の若様はおかしい。でも、それよりも嬉しくて心が満たされる。とても、幸せだ。お互いの肌の温もりを感じ合う。
「…ねえ、若様。フォーリさんに怒られちゃうかな?」
若様は笑った。
「…嫌なことは思い出さないで。」
セリナは一番最初の時のことを思い出して、釘を刺した。誰かが部屋の蝋燭に仕込んであった媚薬で酔った時のことだ。
「…うん、分かったよ。それに、フォーリはもう怒らないよ。」
それは意外な言葉だったので、セリナは勢いよく顔を上げた。
「どうして?」
暗がりの中で若様が微笑んだ。優しくセリナの顔にかかった髪をかき上げてくれる。
「だって、君は私の女だと認めているからだ。」
セリナは息を呑んだ。嬉しかったのに、ごまかした。
「…女なんて若様らしくない。」
「ごめん、じゃ、言い直すよ。君は私の大切な女性だとフォーリは認めているから、男女の仲になっても怒ったりしない。」
「……。」
すぐには返す言葉が見つからなかった。フォーリに認められているのが嬉しい反面、複雑だった。
「…本当にわたしのことを、フォーリさんは認めているの?」
「そうだ。フォーリがなぜ、君に所作や話し方の指導をしたと思う?」
思いがけない指摘にセリナは聞き返した。
「なぜって?若様の側で侍女のふりをするにも必要だからじゃないの?」
「まったく、その言い訳を頭から信じているんだね。それもあるけど、それだけじゃない。私は君を公の場に出すつもりはないけれど、それでも、突然、そういう時が来てしまうかもしれない。私の隣にいてふさわしい女性であると認められるように、立ち居振る舞いなどを教えたんだ。そうでないと、どんな目に遭うか分からないからね。」
「そうだったんだ…。全然気がつかなかった。」
言いながらセリナは少し、フォーリに腹を立てた。
「何よ、少しくらいそういう事をほのめかしてくれれば良かったのに。」
思わず頬を膨らませると、その頬を若様に指先でちょんちょんとつつかれた。
「怒らないで。フォーリがそういうことを言い出したら、逆におかしいよ。」
セリナは想像して、思わず吹き出した。
「ほんとだ。」
星河語
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