謎の人影
フォーリは若様が何者かに連れ去られた可能性を考えた。だから、すぐに獣道を探し始めた。ほとんどの道も獣道も、この数日間の狩りで山に入ったので把握しているが、まだ、把握していないものもあるだろう。犯人が利用するなら、その獣道を使うはずだと考えたのだ。
獣道を歩いているうちに、人が通った痕跡を見つけた。落ち葉がめくれた地面についた足跡だ。獣ではない。あきらかに人間だ。人間以外に二足歩行する動物がいるなら別だが、熊が時々歩行するか、猿が時々歩行するかくらいだ。いずれにしても爪の後がつくが、この足跡にはない。靴だ。
フォーリが足跡は人だと確信した時、獣のように研ぎ澄まされた五感が、何かいる気配を感じ取った。そして、向こうも気づかれたと感じたのか、ガサッと音が鳴るのも構わず走り出した。
フォーリはマントを投げ捨て、後を追う。簡単にとれるようにフォーリのマントは、ピンで留めないようになっている。マントは手入れされた山林を歩いている上ではたいして邪魔にならないが、獣道を走るときには藪や枝にひっかかって邪魔になる。フォーリの後をついて来ていた兵士二人が、慌てて道を譲り、マントを拾っているのを視界の端で確認した。
相手は道に慣れている。険しい獣道を迷いもせずに走る。フォーリも後を追う。ニピ族は道なき道も走れると勘違いしている人も多いが、実際はそうではない。人が普通は通らない、もしくは通れない道や獣道でも、普通の道のように走れるのが、ニピ族だ。山や森で道なき道は、藪しかないのだ。藪に突っ込んだって、身動きが取れずに動けなくなっておしまいだ。
相手は狭い大岩の間を入っていく。登って先回りはできそうにないので、迷わずフォーリも続いた。狭い道で相手の進む速度が落ちた。だが、それはフォーリも同じだ。岩に手をかけ、身をよじる。体が柔軟でなければできない芸当だ。
とうとうフォーリの目は、逃げる人影を明確にとらえた。ひょい、と最後の大岩を超えて行く。フォーリも切り立った岩に手をかけた。特殊な革手袋をしているので、手を怪我しなくてすむ。ただ、細かい作業がやりにくいので、指先だけ切って指ぬきにしてあった。
この手袋をしていると、任務によってはニピ族と正体がばれることがあるので、しない者もいるが、フォーリの場合はニピ族と知られているので、堂々と手袋をしていた。
狭い大岩の間を抜けて、フォーリは辺りを見回した。さっきの人影は逃げてしまい、どこへ行ったか分からない。そのこと自体は悔しいが、追いかけた意味はあった。
村に通じる道に出たのだ。辺りにさっきの人がいないか、確認してから道に下りる。村の道からさっきの獣道があるとは、到底分からない。おそらく、多くの村人は知らないだろうとフォーリは見当をつけた。
振り返り、フォーリはある場所に目がいった。ちょうど、木々の枝がない所があり、そこに崖があるのが見えた。その崖に何かがぶら下がっている。フォーリは目をこらし、それが人であることに気がついた。
(!若様…!)
ちょうど西日が当たり、頭に光が当たっている。それがまばゆい朱色がかった赤い髪だった。
フォーリは頭の中で最短の道順を組み立て、走り出した。
「セリナ、もう一度、頑張ってこっちに登ってみて。」
「む、無理よ…!」
セリナは先ほど枝がしなって下がってきたため、崖上に登る試みをしようとしたのだが、つい、下を見てしまい、目も開けられなくなってしまった。恐くて目さえ閉じている。だが、枝はだんだん静かに確実に下がってきている。
「じゃ、じゃあ、目を閉じたまんまでいいから、左腕をこっちに伸ばして。」
セリナはごくりと、唾を飲み込んだ。無理、と言おうとした時、ミシッという嫌な音がして、さらに枝が下がった。
「…ひぃ!」
「セリナ、早く…!こっちに手を!」
このままでは、二人とも落下だ。死にたくない。背に腹は代えられない。
「…ちゃ、ちゃんとつかんで下さいよ!」
セリナはどうにでもなれ、という思いで左腕を頑張って伸ばした。その途端、誰かに力強く掴まれ、軽々と引き上げられた。目を開いた時には、崖の上にいた。ちゃんと、足が地面についている。地面があるのが、こんなにありがたいと思ったことはなかった。
「…はぁぁぁ。」
思わず変な声で脱力して地面にへたりこんでしまう。
「…ふぉ、フォーリ!良かった……!」
若様も脱力して地面にへたりこんだ。
「おかしいですね。…確かに私が見た時は、若様が枝にぶら下がっておいででしたが。」
一体、どこから見たのか知らないが、よく見極められたと思う。セリナはフォーリの超人ぶりに感心した。
「…最初は確かに私がぶら下がっていたよ。でも、セリナが助けてくれて、引き上げてくれたから私は助かったんだけど、セリナが私のブローチをマントから取ってくれて、その時に滑って転んで落ちかけちゃったんだ。」
む、と考え込んでいる様子のフォーリに気がつき、若様は慌てた。今さらながら余計なことを、しゃべってしまったと気がついたらしい。
「あ、あの、でも、フォーリ、セリナがいなかったら、私は落ちちゃってたかもしれない、これは本当なんだ。セリナが助けてくれたから、そうでなかったら…。」
必死に言い訳を始めた若様に対し、フォーリがふっと笑ってその肩に手を置いた。その笑顔は意外に優しい。
(いつも、あんなに鉄面皮でなければ、もっと女性にモテるのに。)
ふと、そんなことを思う。だいたい、フォーリの顔は整っている。
「分かりました。若様。」
フォーリは言って、セリナの前にしゃがんだ。
「…セリナ、若様を助けてくれてありがとう。感謝する。」
セリナは礼を言われると思わず、目を皿のように丸くして、フォーリを凝視した。言葉を出せないでいると、フォーリがいつものように、む、と眉根を寄せた。
「私が礼を言ったのがそんなに嫌か。」
セリナは慌てて首をふった。
「ち、違います…!わ、わたしこそ、助けて下さってありがとうございます。」
「…自分の状況も危機的だったことは、理解しているんだな。ところで、若様はなぜ、このような所に?」
「…道に迷ったんだ。そしたら、滑って転んじゃって、斜面だったから止まらなくなって、そのまま下に落ちちゃったんだよ。」
セリナでさえ分かる嘘を若様はついた。しかも、フォーリもそれは分かっているだろうに、なぜかそれ以上、追求しなかった。
「そうですか。それよりも、今はここから上がる方法を考えなくてはなりませんね。」
自分からなぜここにいるのかを尋ねたくせに、そんなことはどうでもいいような口調でフォーリはそんなことを言って、崖の上を眺めている。セリナが尋ねる前に崖の上が騒がしくなった。
「こっち、こっちです!ここの斜面の下にセリナが落ちちゃって、落ちる前に人が滑ったような跡があると言っていました!」
リカンナが大きな声で言っているのが聞こえた。
「セリナ、聞こえる、大丈夫!?」
「!うん…!大丈夫!」
セリナは思いっきり大声で答えたが、リカンナの「良かったー!」という泣き声が聞こえて来るなり、自分も泣けてきて体中の力が抜けて座り込んだ。
「…いい友だな。」
意外にもフォーリの方がそう言った。
「…はい。」
その後、降ろされた縄を使い、自分で崖を登ることができなかったため、一旦、若様を担いでいったフォーリに抱えられて戻ったセリナだった。




