空虚な日々
二ヶ月ほどセリナの家で療養していたフォーリだったが、ある日、彼は去って行った。みんなが畑仕事に行っている間にいなくなっていた。世話になった礼を述べた置き手紙が置いてあり、そのままどこへ行ったのか行方は分からない。ギール医師も知らなかった。
訳も分からないまま看病したセプテンは、少し寂しそうだった。本物のニピ族は、男の目から見てもかっこ良かったらしい。
ただ、セリナとは言葉を交わさなかった。今度こそ本当に怒っているのだろう。何も聞けなかった。謝ることもできなかった。意気揚々と若様に死を宣告に来た人達を、屋敷まで案内してしまった。
ベリー医師の機転でとりあえず、フォーリは助かった。若様は一体、どうなったのか、まったく分からなかった。新聞にも若様の情報は載っていない。母のジリナが言うには、藍色部隊と言われる人達が動くときは、内密の任務なので公になることはないのだという。公表して差し支えない時に発表するはずだと。ただ、国王が病だから、それがいつになるかは分からないらしい。
どこに行ったら会えるの、若様。もう、死んでしまったの。私のせいで死んでしまったの?私のせいで?
毎日、何も感じなかった。フォーリがいなくなってからは余計だ。若様と繋がる人がいないから。毎日が空虚なまま日々が過ぎる。とりあえず、仕事のために手を動かした。死のうと考えたこともある。でも、本当に若様が死んだのか、それが分からなくて、それが知りたくて死ぬに死ねなかった。
母のジリナはあんたが案内しなくても、彼らは村にやってきたと言ったが、セリナが案内しなければ時間がかかったに違いないし、人質のようにされることもなかっただろう。
毎日が薄っぺらい紙のような感じだった。生きる意味も人生の豊かさも、何も感じられない。気づいたらリカンナが飼っていた猫を撫でながら、泣いていることもあった。泣きたくて泣いているのではなく、勝手に静かに涙が流れているのだ。
わたしはなんで生きているんだろう。いつの間にか、あれから半年以上が過ぎていた。フォーリも元気がなかったな、と思った。もしかしたら、こんな気持ちだったのかもしれない。
セリナは立ち上がった。ジリナが呼んでいたからだ。
「セリナ、落ち着いて聞くんだよ。いずれ、あんたの耳にも入る。だから、言うけどね、これが本当の話だと思っちゃいけないよ。わたしはベリー先生とカートン家を信じているからね。」
長い前置きでセリナは勘づいた。
「若様について、なんかあったの?なんて、なんて書いてあるの、その新聞に!?」
ジリナの手に握られている新聞をセリナはもぎ取った。『セルゲス公が病でお亡くなりになったと発表があったが、すぐに取り消され、病で療養中だが、療養先で行方不明になったと訂正された。しかし、次の日、亡くなったと発表があり、情報が錯綜している。』
セリナはへたり込んだ。
「なんとか一命をとりとめたのかもしれないね。だけど、療養中に何かあったんだろう。刺客でも送られたのかも。だから、情報が錯綜してるんだろうよ。」
ジリナに言われても、セリナは分からなくなっていた。結局、毒は飲んだのだろう。それが命令だし、おそらく、セリナが案内した人達が見張りなのだろうから。前にもセリナが作ったパンに、養父のオルが毒をふりかけ、若様は死にかけた。
自分が何かするたびに、若様は死にかけるではないか。
「わたしのせいだ…!わたしのせいだ…!」
「セリナ、違うよ、あんたのせいじゃないよ!」
ジリナの声は耳に入らなかった。セリナは立ち上がり、走った。
「セリナ!待ちなさい、セリナ!」
ジリナが追いかけてきたが、セリナは振り払って走り続けた。
気がついたらお屋敷の前に来ていた。今、門は固く閉ざされ、誰もいない。屋敷に沿って走り、そこから山に入った。どう繋がっているかはよく知っている。
やってきたと思ったら、殺される。なんて、運命なんだろう。
(かわいそうな、若様。わたしを好きになってくれたけど、わたしのせいで死に追い詰められるなんて…!)
仮に生きていても、もう、ダメだ。きっと、再会したらもっと悪くなる。今度こそ、若様は殺されてしまうかもしれない。死んでしまったのだったら、生きている価値はない。どちらにしても、生きていたらいけないと思った。
前に若様が、自分は生きていていいのか悩んでいて、それを聞いた時は耳を疑った。でも、若様の苦悩は今のセリナにはよく分かった。生きているだけで、迷惑をかけるということがあるのだ。今のセリナがそうだ。
どうやって死のう。どうやったら、苦しまずに死ねるだろう。やっぱり怖いと思っても勝手に死ねるところでなくちゃ。
セリナは山を彷徨った。そして、思いついた。最初に若様が崖から落ちた所。
あそこなら、勝手に滑っていって崖下に真っ逆さまに落ちる。
セリナはその崖に向かって歩いた。ほとんどの村人が通らず、セリナが発見されたら、もう白骨化しているかもしれない。動物に遺体が食い荒らされて、見るも無惨な状態になるかもしれない。食べられるのは嫌だったが、やるしかなかった。
山道でセリナは立ち止まった。ちょうど目印の大きな切り株。あそこまで走って行ったら、勝手に勢いで飛んで落ちる。走るだけでいい。何度も、その時のことを頭に思い浮かべて練習した。だが、若様が助かった時の状況が頭に思い浮かぶ。万一、引っかかって助かってしまったら、どうしたらいいのだろう。
やっぱり首を…。いい枝振りを探して上を見て歩く。道をよく見ていなくて転んだ。これもいいかもしれない。頭を岩に打ち付けて死ぬこともある。
だが、セリナは頭を岩に打ち付けることはなかった。地面に転がって山の斜面を落ちても、体はあまり打ち付けなかった。体が温かい。温かい何かに抱きとめられていた。そういうことにも気づかないほど、セリナは思い詰めていたのだ。
「…え?なんで?」
つまり、誰かに助けて貰ったということなのだが、それを考えつくまで時間がかかった。




