若様を愛するということ
セリナが暗い顔で家に帰ったので、ジリナとロナは訝しんでいるようだった。二日後、とうとうロナが聞いてきた。
「…どうしたの?まるで、世界が終わるかのような深刻な表情だね。てっきり、若様と会って幸せいっぱいで帰ってくるかと思ったのに。」
「……。」
「そういえば、昨日、若様が護衛と一緒に村の道を乗馬していたよ。前に屋敷で働いていた人なんかに会っては、挨拶していたみたいだった。」
「……。」
「うちには来なかったのは、もう、母さんとセリナ姉さんに会っているからだよね。」
「……。」
「それにしても、若様、前に見かけた時より、とても大人びてお話の中の登場人物みたいに素敵だった。ふんわりしていて、きらきらしてて、同じ男子なのにどうして、兄さん達とか村の男子達とあんなに違うんだろう。護衛の男の人も国王軍の人達もみんなかっこ良かった。国王軍の制服を着ていない人が、ニピ族の護衛なんでしょ?なんか、全然雰囲気が違って、怖いのにかっこ良かったなあ。」
「……。」
「もう、何か言ってよ!せっかく心配してるのに…!」
「…ごめん。」
セリナはそれだけ言うと、畑仕事に精を出した。
「ロナ、そっとしておいてやりな。ただの恋する乙女でも大変なのに、相手があまりにも大物過ぎるから、持て余してんだよ。」
ジリナがロナに言う声が聞こえたが、反論する気も起きなかった。実際にその通りだった。だって、若様は本当に王子様なんだもん。雰囲気が三年前よりも洗練されていて、都会的な部分も持ち合わせながら、気品があるおっとりふんわりした空気も同時に持ち合わせている。
思い出すだけでうっとりしてしまう。でも、それと同時に悲劇的な不運も思い出されてしまう。自分の気持ちを追いかければ、若様が危惧するとおりセリナにも危険が生じるだろう。セリナはそれでまったく問題ないが、ロナや母のジリナにも危険が迫る可能性がある。兄は今すぐにはどうとはならないだろう。でも、運悪く山から下りてきたら、巻き込まれるかもしれない。
そこまで考えが至らない訳でもなかったので、セリナは自分の気持ちの整理ができず、ジリナの言うとおり持て余しているのだ。
「セリナ、あんた、隣村に行って蜂蜜を売っておいで。」
色々考えながら物凄い勢いで畑仕事をしていると、ジリナがやってきて言った。
「え、わたしが一人で行ってくるの?」
「ああ、そうさ。何もヒーズまで行く訳じゃないし、リカンナにも上手くいけば会えるだろう。リカンナも嫁いだ身だから、そう自由に時間があるわけじゃないだろうけど、あんたと少しくらい話す時間はあるだろうよ。ま、リカンナの家には特別に少し割安で蜂蜜を売っていいから。」
リカンナと会えると聞いて、セリナは久しぶりに笑顔になった。
「ほんと、リカンナに会っていいの…?」
「いいから、言ってるんだよ。準備はすぐにできるかい?今日、準備ができるなら明日だけど、明後日にするかい?」
「大丈夫、ちゃんと漉してあるから。量りようのお玉も用意してあるし。」
「じゃあ、明日だね。」
セリナは大喜びで準備をしに家に戻った。隣村まではロバで早朝から行けば、なんとか日帰りできる距離にある。
「…母さん、最近、セリナ姉さんに甘くない?」
「仕方ないよ。ちょっと村から引き離さないとね。それに、若様のために結婚話の全てを断っているんだよ。こうと決めたら動かないのは、あんたも知ってるだろ。」
ジリナはロナの頭を撫でた。
「あの子は、たぶん、苦労する道を選ぶんだ。お前は真似するんじゃないよ。」
「真似って…。でも、若様が好きになる気持ちは分かるよ。素敵だもん。」
ロナの答えにジリナは苦笑した。
「それだけじゃ済まないんだよ。前に大道芸人が来て綱渡りをしているのを見ただろ?」
「うん。」
「若様はね、ずっと綱渡りの人生なんだよ。落ちたらどうなる?」
「大道芸はただ落ちるだけ。だけど、若様は死んじゃうの?新聞にもそんなことが書いてあったりするし。」
ロナはジリナを見上げた。
「そうだ。そして、セリナはその後を追いかけるか、追いかけないかで悩んでる。」
「……。」
「若様を追いかけるということは、命がけなんだ。命をかけて一人の人を愛するか、それともあきらめるかだ。」
ロナが微かに息を呑む。
「お前も感じている通り、セリナは…あの子はきっとそうするさ。命がけで綱渡りの道を追いかけることを選ぶ。覚悟しておくんだよ。ロナ、お前の姉さんは、ここを出たら一生、帰ってこない。二度と会えない。今生の別れになるからね。」
「…帰ってこないような気はしたけど、でも、本当に帰って来れないの?」
「そうだ、帰って来れない。若様は王子だ。身分のある方々が黙って見過ごすとでも?それに、若様はセルゲス公として立派に公務をこなされているが、それでも後見が必要だと国王様は言い張ってる。つまり、若様は本当は何一つ、自由にできない。結婚は当然だ。国王様のお許しが出ない限り、勝手に結婚はできない。」
母の言いたいことは何か、じっと考え込んでいたロナの顔色が少し悪くなった。さっきよりも、命がけだという意味を理解したらしい。
「じゃ、じゃあ、どうなるの?」
「二人が本気で一緒になろうと思ったら、方法は一つしかない。」
「それって…。まさか、駆け落ち?」
ジリナは頷いた。
「貴族のお坊ちゃまでも、駆け落ちは大変なことだ。若様の場合ならなおさら。命がけだ。普段は若様の身を守る国王軍の兵士も、若様が駆け落ちする時は、全員、敵に回る。護衛件監視の任務だからね。」
「でも、それはセリナ姉さんの気持ちだけじゃ、できないんじゃない?」
「それはそうだ。若様がそんな覚悟をなさるとはあまり思わないけれど、思い詰められたらどうなさるかは誰にも分からない。」
ロナはため息をついた。
「分かったわよ、母さん。今のうちにリカンナとお別れをさせるんだね。」




