本当の気持ち
2025/07/31 改
二人が戻るとフォーリが沈黙したまま、じっと見てきた。
「……早かったな。」
「ちゃんと、掃除はしましたし、洗濯物も畳みました。」
セリナが答えると、フォーリは頷いた。そして、今度こそ本当に食事の手伝いを命じた。
予定より早めに食事ができあがった。ちょうどジリナもやってきた。
「これを兵士達に引いて貰い、二人をここに連れてきてくれ。」
フォーリはいくつかの棒を差し出した。
「これはくじですか?」
ジリナの質問にフォーリは頷いた。ジリナが出て行った後、フォーリは二人分の全ての料理をできあがった料理から取り分けた。やがて、二人の兵士が訝しみながらやってきた。
目の前にできたての料理が並んでいる。見た目には大変おいしそうだ。セリナはフォーリの料理の腕を疑っていたが、彼の料理は“見た目だけ”は上手だった。というのは、彼は一度も味見をしなかったし、二人にも味見をさせなかったのだ。
そして、入り口付近で嫌な予感がしたらしく、それ以上、入って来ようとしない二人の兵士を呼んだ。
「この料理を食べてもらう。」
兵士二人は一瞬、引いてから顔を見合わせた。朝から、若様の料理担当の女が倒れたのだ。つまり、これは毒味をしろということであり、もしかしたら死ぬかもしれない。
「こ、これを食え…食べろと?」
二人の顔は青ざめた。
「大丈夫だよ、たぶん。それに何も入ってないなら、食べた方がいいよ。」
若様が困ったように言葉を紡ぐ。
「フォーリの料理はおいしいよ。」
そんなことを言う若様の隣で、テーブルの上に目線を落としたフォーリは、何かに気がついて眉根を寄せた。
「若様、舐めましたね。先ほど、ここに垂れていた煮物の汁を。」
みんな本当は王子であると知っているため、若様のとった行動に目を丸くする。舐めるとは思っていなかった。
「若様、いけません。まだ、毒味が済んでいないのです。」
フォーリの注意は、はしたないではなかった。
「でも、フォーリ。フォーリと私が作ったんだから、大丈夫だよ。野菜類だって畑から直接抜いてきてくれたものだ。鶏だって元気そうだった子をつぶした。」
「若様、お気持ちは分かりますが…。」
「だって、誰かが私のせいで死ぬのは、もうたくさんだ! 叔父上も叔母上も私が生きるのを望まないなら、いっそ…!」
「若様!」
今までにないほど、フォーリが厳しい声を出した。フォーリが若様の前に片膝をついてしっかりと肩に手を置き、うつむいている若様の顔の下から視線を合わせた。
「若様、私の役目は若様のお命をお守りすることです。どんなことがあってもお守り致します。」
若様はうつむいたまま拳をぎゅっと握る。
「…フォーリ。胸が痛いよ。胸が苦しい。」
フォーリが若様の言葉にはっとする。
「私は……生きていていいのかな。誰も悲しまないよ、きっと。」
若様の、心細そうな震えた小さな声に、セリナは衝撃を受けた。
セリナは今まで生きてきて、一度も生きていていいのだろうかと考えたことはなかった。セリナの受けた衝撃はリカンナも、そして、二人の兵士も同様だった。先ほどとは違う、緊張した面持ちで二人の様子を見守っている。
「若様がお亡くなりになれば、リイカ様と王太子殿下がお悲しみになります。私も悲しみます。そして、若様が死ねば、私も死にます。ご存じの通り、ニピ族は主を亡くして生きてはいけません。生まれつき、生きていたらいけない人などいません。
もし、若様が生きていけず、死ぬと仰るなら、私も一緒に死にましょう。どこまでも、決してお一人には致しませんから。」
フォーリはそう断言すると若様をしっかり抱きしめて、背中をさすった。
若様は平気なフリをしていただけだった。本当はとても怖がっている。
フォーリはそれを知っている。自分も死ぬと言っている。そんな覚悟を持った人を見るのは初めてだった。
「フォーリ…ありがとう。」
若様の声も、体も小さく震えていた。セリナは知らず、自分の胸に拳を握って当てていた。片方の手は服を握りしめている。セリナも胸が痛かった。
カチャッとその時、音がした。
毒味役に選ばれた兵士の内、一人がさじを取って器に差し入れたのだ。静かに汁物をすくい、口に運ぶ。もう一人が目を丸くして隣の兵士を見つめる。
「…確かに。若様の仰る通りです。うまい。おいしいです。」
食事を口に運び続ける同僚を見ていたもう一人の兵士も、覚悟を決めたように一度目をつむってから、さじを取って口に入れた。一瞬、驚いて目を見開く。
「うまい。想像よりはるかに。」
そして、二人は完食した。
涙目の若様が二人を見つめて微笑んだ。
「二人とも、ありがとう。名前はなんていうの?」
二人は礼儀をただし、名乗った。
「私はラオ・ヒルメと申します。」
「私はテルク・ドンカと申します。」
「ラオ・ヒルメとテルク・ドンカだね。覚えておくよ。」
ラオとテルクの二人はフォーリの監視の下、食器を洗うまで行ってから、厨房を出て行く。セリナとリカンナもこの時とばかり一緒に厨房を出た。
「ようやく、私達も食べられるね。」
出て行く時に、そんな若様のわざと明るく言っている声が聞こえてきて、痛々しかった。
その日の夕方、料理係だった女性が結局亡くなった。板戸に乗せられた彼女の遺体には、布がかけられている。
使用人達も兵士達も、屋敷の玄関に大勢が集まった。若様もフォーリもいた。若様が遺体に近づいた。
「若様、なりません。」
フォーリの制止に一瞬、止まった若様だったが、それを聞かずに遺体の顔の布をめくった。
「!」
若様が息を呑んだ。セリナとリカンナものぞき見て、見るのではなかったと後悔した。彼女の顔色はどす黒く、眼下は落ちくぼんでいたが、かっと見開いたままで、右目だけなんとか閉じさせた痕跡があった。それも半開きだ。口も閉じず、舌がだらりと口からはみ出ている。よだれも垂れていて、異様な匂いが漂っていた。
固まってしまった若様に代わり、フォーリが布をかけ直した。そこへ花を摘んだジリナがやってきた。手向けようとするジリナに若様が手を伸ばす。ジリナが黙って花を数本分けて渡すと、若様は真っ青な顔のまま、花を彼女の胸の上に手向けた。兵士達が遺体を運んで行く。
若様は遺体が運ばれてから、拳を口元に当てて唾を飲んで堪えている。吐き気を堪えているのだろう。
気がついたセリナは急いで外に出ると、庭から小さな蜜柑をもぎ取り、皮を少し剥いて戻った。セリナが玄関に行くと、フォーリに連れられて若様は部屋に戻ろうとしている所だった。
「これを。気分が良くなりますよ。」
若様はおずおずと受け取って、匂いを嗅いだ。
「…本当だ。ありがとう。」
若様が青い顔のまま礼を言った。そのまま部屋に引き上げていく。それを合図に兵士達も使用人達も、それぞれ仕事に戻って行った。
「…セリナ。さっきの蜜柑、勝手に庭から取っただろ。今度からはあのフォーリ殿に大目玉を食らうよ。借り物だから、何一つ、勝手に取っちゃだめなんよ。」
誰もいなくなってから、ジリナがセリナに注意した。
「え、そうなの?」
「驚いたフリはやめな。分かってただろ。若様は身分は高いが、何一つ権利を持ってないんだよ。今日の場合は、見張りの兵士達も多めに見るだろう。若様が受け取ったのも、お前の気持ちを無駄にしないためさ。」
ジリナはいつものように言って、さっさと仕事に戻っていく。残された二人も兵士達の洗濯物を取り込みに、裏庭に向かったのだった。




