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短編1 カタナ

作者: 花谷馨

同級生だった彼が二十八の若さにして死んでしまったことに、私は少なからぬ衝撃を覚えていた。

「これも、自殺と言ってよいのだろうか?」


彼は自分の刀で身体を貫いて、自宅の部屋の中で果てていた。

外部からの侵入者の痕跡は一切発見されていない。

当然、警察を含め、誰もが自殺であることを信じて疑おうともしなかった。しかし、二十年来彼を知っている私には、必ずしもこれは自殺だとは言いきれない。私は、彼が密かに背負っていた恐ろしい真実についてここに記そうと思う。

それは、私達が二十一、二の秋であったと記憶している。一頻り降る雨に大学の校舎も色彩のない景色の中に深く沈み、学生でごった返す十五号館地下ラウンジは薄暗い湿り気に包まれていた。私は、文芸同好会の仲間四、五人でテーブルを囲んでいた。あるものはサークル同人誌に目を通し、あるものは雑談し、各人思い思いの時間を過ごしていた。私はと言えば、前回のサークル同人誌に掲載されていた彼の短編に目を通しながら、それが自分の作品より優れていることに嫉妬していた。

思い起こせば、私は昔から彼に対して常に劣等感を抱いていた。小学生のとき、彼とちゃんばら喧嘩をしたことがある。ちゃんばらと言ったって、お遊びではない、真剣勝負であった。もっとも、私の刀は赤茶に錆びついて紙片でさえ切れない代物だった。同様に、彼の刀だって使い物にはならないほどに腐蝕していた。互いに錆を撒き散らしながら、刀を激しくぶつけ合った。結果、彼の刀が私の横腹を激しく打ち、痛烈な痛みとともに私は地面に倒れたのである。

以来、何度となく私は彼に決闘を挑み、一度たりとも勝つことがなかった。中学三年頃にもなると、刀の刃にも我々自身の技量にも磨きがかかり、時折、私達は縫うほどの切り傷を負うようになっていた。子供の喧嘩では済まされない、相手を死に至らしめかねない高い危険性を伴い始めたことに私達は気がついた。私達は鋭くなりすぎた刀を隠すように鞘にしまい込むと、二度と決闘はしないようにした。

従って、私は以来七年ほど、彼の刀を見たことがなかった。それだけに、彼の腰にかけられた鞘は一層無気味であった。その中身には、鋭い刀が光っていて、いつか私を切り刻むのではないかという恐怖を感じていた。


学生達の絶え間ない話し声が外の単調な雨音に同調し、反って静寂を演出する十五号館地下ラウンジに、彼は私より1時間ほど遅れて現れた。その時、私は彼のあまりに痛々しい姿を認めて、驚いた。彼は身体のいたるところに包帯を巻きつけて立ち尽くしていたのである。

「どうしたんだ?大丈夫なのか?」

彼の目は、激痛と疲労に落ち窪んでいたが、

「なあに、どって事はないさ」

と言って、小脇にかかえていた原稿を同人誌の編集長である私に突き出した。

彼は椅子にゆっくりと腰掛けると、私にこっそりと話しかけた。

「ちょっと呑みに行こう」

こぢんまりとした居酒屋の一角を陣取ると、早速彼は話を始めた。

「先ずは、これを見てくれよ」

と言って、彼は腕のあたりの包帯をほどき始めた。

二十センチはあると思える縫い跡が、痛々しい。

私が、説明を請う暇もなく、彼は話を切り出した。

「子供の頃は、赤茶けた刀でよくちゃんばらをしたよな」

「ああ」

「その刀も、今となっては白い刃を露にしている。それは、俺が磨きをかけてきた成果だ。しかし、せっかく素晴らしい刀を持っていても、それの使い道が無い。俺は、切れ味を試したくなった。早い話が、昔おまえとやったように、どうしてもちゃんばらがしたくなった」

私は、彼の告白に驚いた。私のものより鋭いであろう彼の刀を以てして誰かと真剣勝負をし、彼が今ここに存在していると言うことは、決闘の相手を殺害してしまった可能性が高い。

「まさか、おまえ、相手を殺してしまったのか?」

「馬鹿を言うな、この年になって誰かと決闘をするほど俺も莫迦じゃないよ」

「それならなんで、おまえは身体中にそんなに深い傷を負ったんだよ」

彼は、自嘲するような顔付きで言った。

「俺は、切れ味を試そうとして久々に鞘から刀を抜いてみた。そうしたら、自分の身体を切り刻んでいたんだよ」

私は、彼が正気を失ったのではないかと疑った。

「他人を傷付けるよりはましだろうけど、なんでまた自分に刃を向けたりしたんだよ。気でも狂ったのか?」

「分からないんだよそれが。鋭く研ぎすぎたせいなのか、自分でも気が付かないうちに自身を傷付けていたんだ。これからは、滅多なことでは鞘から刀を抜かないでおこうと思う」

「そのほうが、いいだろうな」

そんな話をしながらも、私は再び彼に強い劣等感を覚えていた。実は、つい最近、私も刀の鋭さを試そうとして鞘から刀を取り出したことがあったのだ。私は、眺めるほどに白く輝く刃に得意であった。しかし、私の刀は、私自身を傷付けてしまうほどには鋭くなかったのである。私は、自分の刀に自己満足していたのを情けなく思い、自分自身をも傷付けてしまうほどの彼の刀を羨んだ。

自宅に帰って、彼からあずかった原稿を読むと、私の劣等感は更に一層強まっていった。彼の小説は、ユーモアと展開に富んでいて、私のそれとは比較にならないほどに面白かったのだ。このとき私は、一生彼にはかなわないであろうことを認めざるを得なかった。


その彼が、わずか28歳にして自らの刀で身体を貫いて死んでいた。おそらく彼は、死ぬつもりなど毛頭なかったに違い無い。きっと、久方ぶりに自分の刀の切れ味でも試したくなって柄に手を掛けたのだろう。ところが、彼自身の刀は、彼がこの世に生き続けることを許さなかった。彼が試しに刀を抜いた瞬間、彼は致命的な傷を負ってしまったに違いない。遺書も何も残っていないのは、それが不慮の死であったことを裏づけている。

死ぬ意志がなかった以上、これは自殺とは言えない。先天的事故死とでも言えば良いのだろうか……。私は、彼の冥福を心から祈らずには居れなかった。

今になって、私の劣等感は一種の優越感へと変わろうとしている。彼は、私にはない鋭い刀を持っていた。しかし、それがゆえに自身を滅ぼしてしまったのである。私は、苦笑しながらも自身の鈍い刀に感謝せざるを得なかった。切れ味が悪いからこそ、私はこうして今日も生き長らえていられるのだ。

実を言うと、彼の自殺の報を聞いて、私は久々に自分の刀を鞘から引き抜いてみた。恐ろしいことに、私の指先からは一滴の血が流れ落ち、見ると鋭い切り傷がついていた。

必要以上に研ぎ澄まされつつある刀……。

私は恐ろしくなって、カタナを箱に収めて押し入れの奥に仕舞い込むことにした。

それでいい。これでいいのだと思った。

私は二度とこのカタナを手にすることはないだろう。






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