禿げながら進め
バッサリいくことにした。それは勇敢な決意である。
私はしばらく長髪であった。濃い一本一本がピンとしていて、それが束になると清冽な流れを思わせる。よくとき、よくねぎらっていたから、キューティクルが輝いている。それを今日にも断つのである。
私の頭頂は不毛だった。もう三年そうなのである。予感があったのは十数年前になる。毎日いたわってきたけれども、頭のてっぺんから禿げてきた。おそらく遺伝の仕業なのであろう。
また過労であろう。私は高度に電力を生産しながら部長の役職を全うした。夜勤も多い。部下も多い。心労に耐えない日々である。それに老いも加わってこのありさまなのであった。四十五になった。
私の長髪といったら職場の名物で、ロックンロールの者の長髪は男にも珍しくないが、かたい職の高位のおじさんの髪型には不適格であったろう。よく上長に叱られた。部下にもからかわれた。それでも伸ばし続けたのには、私の我欲がかかわっているのだろう。一言でいえば個性が欲しかったのだ。もっと言えば好きな女の子へのアピールであったが、私の身の上は独身である。バツイチである。子はない。
人と違う何かを得ようとして格好をつけたのが、やがて本来の意味を忘れて、ちょうど薄くなる髪をねぎらう心と合わさって、中年になっても甘く庇護し続けたのに違いない。子供のない私の父性が変形したのに違いない。しかし、それも今日までである。
私はまたしても恋によって変化する。おじさんにロングは似合わない。禿げた頭頂に長髪は似合わないのである。歳相応へ回帰する。
これは単なる断髪ではない。いうなれば孤独への決別である。そして人生への決断である。どうなるにしてもバッサリいくのだ。