5. ゲームとは違うような
学園中等部入学から約半年。
下校中に寄ったイザベラの家に放り投げられたクイニーのカバンの中には大量の課題が詰まっていた。
定期考査後の結果に準じて配られた補修課題である。
モブの強制力……とかでは全くなく、純粋にクイニーが勉強しなかっただけでもたらされた結果だ。
「きっとまたお洋服の研究でもしていたんでしょ」
「ちょっと、シリルまでそんなこと言わないでよ……」
「やっぱりそうだ。だってこの前、『これからはレースの時代だ!』とか騒いでいたもんね」
シリルの観察眼、恐るべし。
この半年間でシリルはだいぶ感情豊かになったように思う。元気で笑顔が増えたのは喜ばしい限りだが、いささか口達者になってきたのが気になるところ。
「まあ、それは置いておいて。問題は実技試験よ」
「実技試験なんてあるんだ?」
「ええ、魔力量の少ない私からしたら地獄よ、地獄」
さすが『乙女ゲーム』の舞台となる学園だ。
魔法が試験内容に当たり前のように入ってくる。
イザベラはメインキャラの作用もあるのか、筆記2位という記録を叩き出している。おそらく魔力も多いイザベラは高得点に違いない。
ところが、モブ令嬢クイニーはどうだろうか。
筆記は赤点こそなかったものの、補修まみれ、実技試験などギリギリなこと間違いない。これは完全にモブであるせいだろう、クイニーはびっくりするほど魔力がないのだから。
例えるなら、マッチの火くらい。
「……赤点は、まずいのよ。もし仮に赤点を取れば今すぐにでも婚約者と会わせるって脅されてるのよ」
「えっ」
シリルが声を上げた。イザベラも「そういうこと早く言ってよ」と慌てた様子だ。
しかしながら、本当にどうにかしなければまずい。
あのデブ伯爵と面会だなんて、死んでもしたくない。
けれど、この魔力では赤点は目に見えている。
「あ、だったらシリルに教えてもらったらいいんじゃないかしら」
イザベラの発言に、その手があったか! とクイニーは目を輝かせた。
(でも、シリルは魔力が強いせいでいじめられていたのに、大丈夫なのかしら。でももし彼が協力してくれたらとっても嬉しいけれど)
ちらりとシリルに目を向ける。
期待を含んだ目で見すぎたのか、シリルは目があった瞬間に凄い勢いで目を逸らした。
「シリル、ごめんなさい。嫌なら全然いいのよ……」
「いいや、やるよ。赤点を取らなければ、その婚約者とは会わなくて済むんだよね?」
「ええ、そうよ。ありがとう、助かるわ!」
「絶対赤点は食い止めてみせる」
シリルの勢いはなんだか凄まじかった。
かくして、魔法特訓が始まったわけだが。
今、クイニーとシリルは部屋に2人きりである。
イザベラは『今日はアラン様と約束があって』と渋々出て行った。なぜか『楽しんでね』とまで言われた。
魔法特訓に楽しいも何もない。
(それに……何気にシリルと2人で過ごすことってあまりないから変な感じ)
シリルは書庫から持ってきた魔導書やクイニーの学園の教科書を見比べながら一生懸命説明をしてくれる。
「シリルの教え方ってとっても分かりやすいわ。学園の先生と変わった方が良いと思う」
「それは学園の先生にちょっと申し訳ないな」
「それに、純粋な魔力量だったらシリルの方が多分上だわ」
クイニーが何気なく言うと、シリルが驚いたようにこちらを見た。その意味に気がついたクイニーは失言した、と目を伏せる。
ベルガモット家がシリルを引き取った理由は『魔力があるから』という簡単なものである上、シリル自身魔法をあまり披露したことはないのだ。
つまり、クイニーが「シリルの魔力が学園のトップレベルの先生より高い」と言い切れるのは少し不自然なのである。
すると、突然シリルが指を鳴らした。それを合図に指からごおっと火が燃え上がった。
バーナーの勢いに近いが、これでも抑えている方だろう。ゲームの中の彼は焼け野原を作れるくらいの火力があった。
「……ずっと、魔力が原因で恐れられてきたんだ。見た目のせいもあったけど、悪魔だなんて言われて。でも今ではこんなに魔法を操れるようになったんだ」
「……そう、だったのね。ベルガモット家の魔法の指導がよかったのね。でもコントロールできるようになったのはあなたの努力の賜物だわ」
早口でそう言う。シリルが勇気を出して話してくれたことが事前に知っていたことだと思うと、なんだか罪悪感があって、チクチクする。
「それもあるんだけどね、これはクイニーのおかげでもあるんだ」
「私……?」
『クイニーのおかげ』という言葉に少し引っかかりを覚えたけれど、クイニーはシリルの話に耳を傾ける。
「クイニーが自信をくれたんだ。この赤い瞳も今ではすごく素敵に思えるし、一緒に過ごしてくれてすごく嬉しいんだ」
シリルが目を細めて笑う。
そこでクイニーははた、と気が付いた。
見覚えがある表情、声色。
(シリルルートに進んだ時のヒロインと話すシリルにそっくりなんだわ)
それをどうしてモブの私に、とクイニーは疑問に思ったがヒロインと出会っていない状態では何が起きてもおかしくないか、と思うことにした。
現に、アランのイザベラへの対応はゲームの中とはまるで違うのだから。
「こんな私でよかったら、これからも仲良くしてね。それから、できればこれからも私の魔法教師でいてほしいわ」
「うん、僕でよかったら」
吹っ切れてお願いまですれば、シリルは楽しげに笑った。
(ゲーム1魔力が強いひとに魔法を教えてもらえるなんて、幸せね)
「あ、それで少し考えたんだけど、僕も魔法学園に入ろうと思うんだ。高等部から」
「…………え?」
幻聴か。
そう思って聞き直せばシリルははっきりと高等部からクイニーたちも通う『乙女ゲーム』の舞台に参戦する、と宣言した。
「ほら、高等部からは様々な科に分かれるから、クイニーやイザベラお嬢さまとは同じところへは行けないけど……一般科の魔法学部に挑戦しようと思うんだ」
「えっと……イザベラは良いって?」
「うん。旦那様にも許可は取ってあるんだ」
頭を抱える。
一般科の魔法学部といえば、ヒロインが入学するところである。
それに『乙女ゲーム』の中でシリルは学園には通っていない。そんなイレギュラーな存在が現れても大丈夫なのだろうか。
しかし、目の前で幸せそうに話をするシリルを見て「入るな」とは言えるわけもなく。
クイニーはとある決心をした。
「シリル、話があるの」と声を掛けると、シリルはクイニーの雰囲気の違いに気がついて真面目な表情を浮かべた。
「……私にちょっとした未来予知みたいな力があるって言ったら、信じてくれる?」