26. 悪女らしく
断罪され、学園から追放された悪役令嬢イザベラと傷つく主人を守ろうとする侍従のシリル。禍々しいオーラを放ちながら2人はヒロインと対峙する――というのが乙女ゲームのラスボス戦なのだが。
しかし、この場には抜きん出たモブとそのモブを攫ったモブしかいない。ヒロインはおろか攻略対象すらいないのだ。
けれどシリルとイザベラはゴミを見るような目でデブ伯爵を見下ろしている。シリルなんて目を赤く煌かせて今すぐにでも一捻り、という感じだ。
「クイニー! 無事だったのね!」
「え、ええ……おかげさまで」
すぐさまイザベラが駆け寄ってきて縄を解いた。目一杯抱きしめられて歯がいじめなのかと勘違いしてしまうほどだった。
「クイニー、そこの変態に何もされていない? 後で消毒して、2時間はお風呂に入って」
2時間はさすがに、と言いかけたが今のシリルはなぜかラスボスゾーンに入っているので黙っていることにした。
それくらい、今のシリルは怒っている。思わずクイニーも気圧されてしまうほど。
しかし、未だ状況が把握できていない変態が1人。
「き、貴様! 侍従程度で僕の屋敷にズカズカと上がりおって! それに僕のクイニーちゃんを呼び捨てとは、何様だ!」
「あ? 話しかけないでくれる。今度一言でも何か言ってみろ、どうなるかぐらいわかるよね」
シリルがかなりドスの効いた声で脅す。手からは赤黒い炎が吹き出していてこの距離でも熱気を感じるほどだ。
ビルは恐れ慄いて黙り込んだ。
クイニーは怒りと気持ち悪さでわなわなと震えながら、なんとか立ち上がる。
本家の悪役のオーラに気圧されてしまっていたが、もし何かの手違いでラスボス戦が始まってしまっているのだとしたら。
(ヒロインや他のキャラもすぐ合流するだろうし……私は2人が悪役になるのを阻止するために悪役令嬢になろうとしたんでしょ)
自叙伝「悪役のすすめ」が手元にあったらどんなに安心したか――そう思いつつもすぐさまモードを切り替えた。
「2人とも私のためにありがとう。この変態は私が処理するから任せて頂戴」
にこりと浮かべたその笑顔は悪女そのものだった。
シリルはすぐさまクイニーが何か企んでいることを察した。けれど不服そうにクイニーを見る。
「クイニーが何を考えているか分からないけど、俺はクイニーを危険な目に合わせたこいつに一泡吹かせてやらないと気が済まないから」
シリルは隣に並び立った。耳元で「今から悪女やろうとしてるんでしょ?」と尋ねてくる。
「ねえクイニー。私だってシリルと同じ気持ちよ。それにこんなのこの世にいる方が危険だわ」
と、イザベラも横に立つ。本物の悪役だけあって言葉の選び方が基本的に辛辣だ。
クイニーはため息をついた。こうなったらヒロインたちが到着する前にこれを終わらせなければ。
クイニーはツカツカとビルの元へと進む。似合わない上等な靴を哀れに思いつつ踏みつけた。
完全に震え上がるビルは恐る恐る上を見上げ――そこに「悪女」を見た。
「理想の可愛い女の子じゃなくてごめんなさいね? 下から見たら私の真っ赤な目も綺麗に見えるのかしら」
「あ、あの、すみま」
「あら、聞こえないわ。ねえ2人ともなんて言ってるか聞こえる?」
問いかければシリルもイザベラも口を揃えてさあ、と笑う。「ひどい罰を受けたいに違いないよ」とシリルが付け加えた。
「そうね。私は悪女だもの。うんっと酷いのにしてあげないとね」
屋敷中に野太い男の悲鳴が響き渡った――
「で、それがそのひどい罰」
「あら、これ以上に社会的におしまいの罰ってあります?」
駆けつけたキャンディスたちはことのあらましを聞いて、その罰の光景を眺めていた。
目の前にはほぼ素っ裸にだっさい刺繍が施されたスーツのみを羽織って町を爆走する伯爵の姿。
シリルが強制魔法のようなものを使っているらしく疲れてもどんなに恥ずかしかろうが止まることはできない。
かれこれ4週目に突入する。
「シリルさんのあの魔力量にも驚きですが……あの刺繍はもしかしてクイニーが?」
「ええ、そうですわ。先ほど作ったんです。あのサイズですから大変でしたけど、イザベラにも手伝ってもらってなんとか」
背中には『私はロリコンです。どうぞ罵ってください喜びます』と刺繍がされている。
「あの変態に服なんて贅沢なもの、お洋服が可哀想です」
そう言ってのけるとリドルはもちろん、後ろでアランが吹き出していた。ノエはもうお構いなしに笑い転げている。
たしかにひどい罰だが、ずれている。
その場に駆けつけた誰もがそう思ったが、クイニーは投獄とかそういうのよりも社会的に生きていけないくらい恥ずかしい思いをするほうがよっぽど罰なのだと言い切った。
一方、屋敷に囚われていた女の子たちも解放されていた。中にはキャンディスやテレンスの友人もいたらしい。
クイニーがそちらへ様子を見に行くと大勢の女の子たちにお礼を言われてしまった。クイニーをまるで女神のように扱うのだ。
「もう、そんなのじゃないわ。あんな変態のそばでよく頑張ったわね。でもいい? ただ従うだけじゃ駄目なの。やり返して踏みつけにするぐらいの気持ちでいなくちゃね」
じゃないと悪女のようにしたたかな女にはなれないわ、と言おうとする前にわあっと歓声が起こってしまった。
これでは町の女の子が全員悪女になってしまう。
苦笑していると2人が頭を下げてきた。
「みんなを助けていただいてありがとうございます」
「そんなのいいわ、私はあの変態が嫌だったからしたことだもの」
ヒロインにお礼を言われるとやはりむず痒い。ふんっとそっぽを向くとテレンスが「やっぱりいいひとだね」とキャンディスに耳打ちするのが聞こえた。
するとキャンディスが大きな声で、
「そうよ、クイニー様は素敵な方なの! 大好きなの!」
と叫ぶ。吹き出しかけてそれは違うでしょと言おうとしたところ、ぬっとシリルが割り込んできた。
「そういうのは目の前の人に言ったほうがいいと思いますよ」
シリルの背しか見えないクイニーは、まさか自分に言えと言ってるのかと慌てる。ここであのセリフ――シリル即落ちセリフが飛び出してきたら、今までの努力が無駄になってしまう。
「ねえ、シリルそれはちょっと――」
肩に手をかけると、奥の様子が見えた。
そこには顔を赤らめて向き合うキャンディスとテレンスの姿がある。
「私、あなたと一緒にいたい」
「うん、僕もだよ」
なんて甘ったるいセリフにうんざりする。同時に、あんぐりした。
(それ即落ちセリフじゃないの……)
まさか、シリルに使われるはずのセリフが、モブに使われてしまうとは。
吐き出すように息をついて、そのまましゃがみ込んだ。
シリルもイザベラも悪役にならずにすんだ安心感や、今までの努力は一体、という残念感がまざって複雑だ。
とりあえず一言、
「せめて私にもなんか言いなさいよ……」
「クイニー、すっごい面倒な女みたいなこと言ってるよ……」
シリルが苦笑いした。足元にしゃがみ込むクイニーを立ち上がらせる。逆に自分はしゃがみこんでドレスについた埃や汚れを手で払いながらクイニーを見上げた。
「もう、わざわざ払わせちゃってごめんなさい。これくらい、私がやるわ」
「いいんだ、俺にやらせてよ」
シリルはそう言いながら、クイニーの手をとって額に近づける。クイニーはまるで忠誠を誓われているような、むず痒い気持ちになる。
「もうおしまい! ほらほら、まだやることたくさんあるんだから」
いつもの調子で言うものの、シリルはクイニーの顔がほんのり赤いのを見過ごさなかった。
「分かったよ、クイニー」
嬉しそうに笑ってシリルは立ち上がった。
次回最終話です!




