21. 不測の事態
クイニー、シリル、イザベラの3人は一般科への渡り廊下をずんずん進んでいる。
貴族科と違っていくらか質素になった内装をクイニーはこれはこれで味があると評している。ただ、生徒たちの制服の着こなし、ヘアスタイルはどうもいただけないが。
クイニーは改めて作戦を復唱する。
目下の目標はリドルとの婚約をなかったことにすること。それにはリドルの興味を逸らすことが先決だ。
(どうにかしてキャンディスをその気にさせて、誰かと恋をさせるわ。あわよくばリドル様とくっつけさせたい)
「つきました。ここが俺の教室です」
「へえ。とってもいいところね! 落ち着いて勉強できそうだわ」
イザベラの楽しげな反応に、クイニーも入り口から教室内を覗き見る。廊下を行く人たちは貴族令嬢を遠巻きに眺めていた。
(キャンディスは一体どこなの? もっとヒロインオーラを放ってくれないと分からないわ!)
クイニーは若干のイライラを抑えつつ、目を凝らす。
……一瞬、男子生徒と仲睦まじく話す姿が見えて気がするが、あれは気のせいだろうか。いや、気のせいだと思いたい。
「ねえ、あの冴えない男の子と話している女の子がキャンディスなわけないわよね?」
「冴えない男の子?」
シリルは首を傾げたが、すぐさま同じ光景を見て「ああ―……」となんとも言えぬ声を出した。
「キャンディスさんにも素敵なお相手がいたってことね? 素敵だわ! 彼、なんていうの?」
「彼は、テレンス・ホワイトです」
テレンスという名前の男子生徒をクイニーは思わず睨んだ。
(なんで、攻略対象者じゃないのよ!!)
そう、このテレンスという男――彼は乙女ゲームに一切姿を見せたことがないモブ中のモブなのだ。
姿を見せていたクイニーは彼と比べると抜きん出たモブということになる。
落ち着いた深緑の櫛でちょちょいっととかしただけに違いない髪。シリルの赤目のようにパンチのない栗色の瞳。
顔も背丈も攻略対象と並んでしまうと霞んでしまいそう。
「ねえ、何者!? いつからああなの!?」
どこからどう見ても2人は両思いだ。
シリルは決まり悪そうに目を逸らした。
「いやあ、よく話しているなあとは思っていたんですよ……でも俺はクイニーお嬢さまのお話を信じていたのでそれはないとばかり」
「嘘だと言って……」
思わずがくりと倒れ込みそうになったクイニーだったがなんとか持ち堪えた。
「とりあえず、乗り込んでくるわ」
教室に一歩踏み入れる。
少々どよめいたが、クイニーは気にせず進んでいく。入り口でシリルは「ちょっと入り用でね……」とクラスメイトに向かって苦笑いを浮かべていた。
(いつもは10メートル先にいたって私を見つけるのに、なんで気が付かないの!)
気づいたら気づいたでお小言を言うくせして、気が付かないのも拗ねるという面倒くさい女になっている。
「キャンディスさん!」
「はっ!? クイニー様自ら私の元へ……!?」
なんだかときめいているキャンディスから噂の男、テレンスへと視線を向けた。
テレンスはクイニーの目力にも臆さずにこりと微笑んだ。それから礼儀正しく挨拶をする。
「はじめまして。僕はテレンス・ホワイトと申します。ずっと会ってみたいと思っていたんです」
「あら、私に?」
クイニーは性悪ぶってそう尋ねた。
テレンスはキャンディスから話を聞いていたんです、と嬉しげに語りクイニーの攻撃をいとも簡単にスルーした。
にこにこーっと無邪気な笑顔を浮かべ続けるテレンスに、隣に並ぶキャンディスのほんわかさも相まってクイニーは毒気を抜かれてしまいそうだった。
「ちょっと、キャンディスさんをお借りしても?」
「へっ!? もしかしてデート!?」
「ちょっと、嬉しそうにしないでよ。それに違う」
えへへとヒロインらしからぬ笑い声を出すキャンディスを見てもテレンスはキャンディスを愛おしそうに見ていた。
クイニーを大好きなキャンディスも含めて好きなのだろう。寛大な男である。
「……で、あなたは彼を好きなのね!?」
「恥ずかしいですぅ……」
キャンディスは顔を赤らめる。
まさにそれはヒロインというべき可憐な表情で――初めて見せた乙女らしい表情がまさかモブに向けられていることを除けば。
「俺は応援します。キャンディスさんのこと」
「え、シリルさん……!」
「そうね。好きな人がいるって幸せなことだわ。残念だけど、アラン様のことは諦めなくちゃ」
「イザベラ様……!」
まさかの裏切り。
アラン様という発言にはキャンディスはいまいちぴんときていないようだったが。
「で、どうして彼を好きになったの?」
プライバシーのかけらもない直球質問である。
キャンディスは恥ずかしそうにもじもじしつつ恋に落ちた経緯を教えた。
「私も、あの本に書かれていたみたいに、自分を磨いて素敵な女性になろうと努力したんです」
あの本、というのは著クイニーの悪女のすすめである。
クイニーは小さくびくついてから無意識に鞄をさすった。
「私、それでファッションや料理、裁縫いろんなことに挑戦して……そうしたら彼が私の刺繍を褒めてくれて」
キャンディスはその刺繍が入ったハンカチを見せる。
見事なバラがさしてある。
(私の本に感化されて才能が花開くなんて、おかしな話ね)
それから話すようになり、意識するようになったのだとキャンディスは語った。
リドルを好きになってもらおうという淡い期待は消え失せたわけだが、諦めきれないクイニーは最後に尋ねてみた。
「ねえ。アラン様やリドル様、ノエやシリル……キャンディスさんはどう思う?」
「どう、ですか?」
ずいぶんアバウトな質問にキャンディスも首を傾げた。
「アラン様はイザベラ様のことが本当に好きなことが分かります。リドル様は……そうですね、もう雑用はやりたくないですね。ノエ様とはあまり関わっていませんが、可愛いですよね。えっとシリル様は……」
脈なし発言にすっかり心を抉られたクイニーは満身創痍で「シリルは?」と続けた。
せめて、シリルがラスボスにならないという保証がほしい。
「強いて言うならいいライベル、でしょうか。でも応援はしてるんですよ?」
「ら、ライバルって何の……」
にまにまと笑うキャンディスからは言いたいことが手にとるように分かる。しかしながら、クイニーは生憎それを見ていなかった。
今のは最終決戦への宣戦布告なのだろうか、と大真面目に考えていたからだ。
「あのう……それで今度一緒にお出かけすることになっているんですけど」
「もしかして今度のお祭り?」
イザベラが無邪気に尋ねたお祭り、という言葉にキャンディスとクイニーが同時にびくついた。
キャンディスはそれが図星だったからであるが――クイニーがびくついた理由はそのお祭りが乙女ゲームの重大イベントだからだ。
「あの、何を着ていったら良いのか……」
「先週買っていたシェルピンクのワンピースがいいと思うわ。間違っても頭の派手なリボンはNGよ。髪にごてごてつけるんじゃなくて髪型に重視をおきなさい」
「はい!!」
それはもうただのアドバイスだよ……シリルはぐっと我慢した。クイニーはキャンディスがあれを悪役の口うるさいお小言だと思っていると信じて疑っていないのだ。
「ていうか、キャンディスさんが買ったものをなぜ把握しているんだ……」
「悪役なんだから、当然でしょう?」
シリルは呆れたが、クイニーは得意げに笑うばかり。
そのクイニーの表情から、これからの展開までもが予想できてしまう気がした。




