12. 悪役令嬢はまだまだ努力不足
私は彼女の瞳に心を奪われていた。それから彼女の白い肌が目につくようになってしまった。思わず私は手を伸ばし、彼女をベッドに押し倒す――
魅惑魔法の魔導書かと思い耳を傾けていた人たちも本の正体に気がつき顔を赤らめ始める。クイニーはリドルが少し気まずそうに顔を背けたところで読むのをやめた。
「あら? どうやら私、間違えてしまったみたいですわ……お恥ずかしい」
わざとらしくそう言い、扇子を取り出し顔を隠す。
なんだか続きを期待する眼差しもあって、クイニーは苦笑した。
「こんな本がこの図書室にあるなんて……これは私が先生方に渡しておきますわ」
クイニーは扇子越しにリドルを見つめる。
リドルにとって「この本」はキャンディスを揶揄うためのものだから、手元に残してあるはずだ。
(私がこのまま出て行ったら焦るでしょうね。自分の手元にある本がどこぞの令嬢のところにあるなんて)
「場を悪くしてしまったようですので……私は失礼させていただきます。とっても有意義な会でしたわ」
クイニーは優雅に礼をすると退出した。
……もう来たくないというのが本心だが。
「待ってください」
続けざまにドアを開ける音がしてクイニーはニヤリと笑った。これは焦って追いかけてきたに違いない。
(キャンディスとのことを聞き出して、ついでに軽く脅しておきましょ)
「あら、リドル様。どうされたのですか?」
平然と笑う。このあとのリドルのセリフは『どこでその本を?」に違いない。
「ふふ、わざとそういう本を読むなんて意外ですね。とっても面白かったです」
「……どうしてわざとだと?」
予想していた言葉と違う。それにリドルはクイニーがわざと間違えたと気がついている。
「この図書室をこの前点検したので、もうそういう本はないものかと……ですがまだ一冊残っていたんですね」
「その一冊なのでは?」
冷や汗が滲む。たしかにこの本はゲームで出てきた本とは違うものだから。
「その最後の一冊をキャンディスさんが紅茶をこぼしてダメにしてしまったんです」
「…………は?」
「僕のお気に入りの魔導書も一緒にびしょびしょにした物ですから、その代わりに雑用をしてもらっていたんです。……クイニーさんが何を勘違いしていたかは知りませんが」
リドルは微笑む。その笑顔の裏にある腹黒い一面が垣間見えるようだった。
(ていうか、キャンディスは何をしてくれてるのよ! ゲームの中とまったく違うことをされたら私だって行動しにくいじゃない!)
内心文句を垂れていると、目の前にリドルが迫っている。
「キャンディスさんがあながのことをよく話すんですよ。だからどんな方なのかと気になっていたのですが……まさか人前であんな本を読み上げる人だとは。ふふっ」
クイニーはここではぐらかしても無駄だと悟り、開き直る。
「私はあなたみたいな腹黒い方は嫌いですわ」
「へえ。僕の性格までお見通しですか。噂の『完璧な令嬢』とはまた違った一面で素敵ですよ」
「性格の判断だって『完璧な令嬢』に必要な才能です」
ふんっと顔を背けたクイニーをリドルは相変わらずにこにこしたまま眺めている。
「この前、テラス席で会ったときのことをすっかり忘れている、と思ったのでしょう? あなたが想像より面白い方で良かったです」
クイニーはますます不機嫌になる。
今日のことは全て彼の計算内のことだったということに腹が立つ。
「雑用は彼女1人にしてくださいね」
「嫌ですね、学園でも話題のご令嬢を顎で使うほど僕は驕ってなどいませんよ」
(このまま彼と話していても言い負かされるだけだわ。それにキャンディスもいないのだからこれ以上彼と話すのは無意味ね)
今はクイニーの悪役令嬢よりも彼の腹黒の方が上回っているし。
クイニーはなぜか負けた気持ちになってため息をついた。
「では、私はこれで」
「また近いうちにお話ししましょうね」
「気が向いたらそうしましょう」
クイニーは義務的な礼を済ませてさっさと歩き出す。
リドルはいい獲物を見つけたと言わんばかりの目でクイニーの背を見つめていたのだった。
「してやられましたね」
「今日は、よ。あんなに腹黒だったなんて。本当、いい性格してるわ」
攻略対象とは思えない。クイニーは仮にもヒロインのキャンディスを顎で使っているリドルを想像し、敵の強大さにまたため息をつく。
「まあ安心しましたよ。リドル様が腹黒だと聞いた時、クイニーお嬢さまが『腹黒って悪役っぽくて素敵!』とか言い出すかとヒヤヒヤしていたので」
「嫌ね、私があんなのと組むと思ってたの?」
「それもありますけどね」
シリルは苦笑する。クイニーの思考回路は基本利益があるか否かであるため、遠回しな表現はよく理解できないのだ。
「まあ彼はキャンディスさんのことも興味が無さそうだったし、しばらく候補から外そうかしら。あーあ、国外追放まであと一歩だと思ったのに」
「まあまだまだですね。クイニーお嬢さまも恋のお相手さんに負けているようでは『悪役令嬢』とは言えませんしね」
「そうね、努力が足りないってことよね。私もっと頑張るわ」
「無理はしないでくださいね」とシリルが付け加え、クイニーは大きく頷く。
悪役令嬢は適度な休息と健康的な生活なしには成り立たないのだ。
クイニーがやる気に満ち溢れているところ、シリルは「そういえば」と気になったことを尋ねる。
シリルの目線はクイニーの持っていたカバン……の中に入っているさっきの本に向けられていた。
シリルの目線の意図に気がついたクイニーは何故か呆れ返り、本を手渡す。
「これは私が家から持ってきたお父様の秘蔵書よ」
「秘蔵書……」
「腹いせも兼ねて持ってきたけれど、役になんて立たなかったわね」
シリルは渡されてしまった秘蔵書を手に、きっと子爵様は必死にこれを探しているだろうなと思った。
それよりも気になるのはクイニーがこれを読んだのかどうかである。
「これ、読んだんですか?」
「ええ、読んだわよ」
「えっ」
平然と言ってのけるクイニーにシリルは思わず目を丸くする――若干の興味も込めて。
しかしそんなシリルの期待はあっけなく消えることとなる。
「大したことなかったわ。いたって健全でつまらなかったくらいよ」
「へ、へえ」
「だからあなたが読んでも多分つまらないわよ?」
「……読みませんってば」
山場はさっき読み上げたシーンだったの、と揶揄うように付け足した。シリルは期待外れな発言に、クイニーをじとりと見つめた。
「ああ、でもそうね。シリルには本当に助けられたわ。魔導書をあんなにすらすら読んでしまうなんてさすがだわ」
「一時凌ぎにしかなりませんでしたけどね……」
「あら、一時凌ぎだって十分だわ。どのみちあの腹黒には太刀打ちできなかったわよ」
シリルもそれに同意する。
「シリルにお礼しなくっちゃね。何が良い?」
「えっ何でも良いんですか」
「できる範囲内にしてね」
妙な食いつきのよさ。
シリルが熟考するのをクイニーは見守る。一体どんな高価なものを言い出すのか。
「……カフェテリア10名限定のスペシャルケーキが食べたいです」
「えっ、それでいいの?」
「もちろんクイニーお嬢さま持ちで」
「はいはい。じゃあ、今度1番に食べにいきましょ」
スイーツをお願いするなんて、シリルらしいといえばシリルらしい。
予想に反してだいぶ可愛らしいお願いにクイニーはくすりと笑ってしまった。




