第一話 朽ちるだけの日々
決して今の辛い生活がよくはならない。変わらない日々をこうして朽ちるように、腐ってゆくように生きていく。
劇的な変化などない。
満員電車の山手線に乗り込み最寄り駅まで揺られる。異常な人口密度の電車内ではスマホをいじるスペースなど当然ないし、痴漢の冤罪も恐ろしいので両手でつり革をしっかりと握る。
拷問のようなこの時間を何とか逃れるため対して興味もないが電車内で流れる車内広告が移り変わるのを眺めていた。
車内広告では売れっ子の女優が上からぎゅうぎゅう詰めの車内に向かって大げさなガッツポーズをしながら口パクでしゃべり、その口パクに合わせて「今が人生変えるチャンス!転職♪天職♪」と字幕が派手に表示されている。
オタクの俺はテレビといえばアニメしか見ないがそれでもこの子の名前は知っている。なぜなら学部は違ったが同じ大学に在籍していたらしいからだ。有名人がなんだかぐっと身近になった気がして驚いたのだ。彼女の名前は憶えている。
今まで生きていてテレビに出る人は自分よりも年齢が高い大人だった。
なんというかそういう人たちは遠い未来の先の存在のように今までは感じていたのだ。それが今や同い年で同じ出身大学で大物女優だ。仮に出身大学が違ったとしても同い年だとどうしても比べてしまう。
同い年なのにテレビで輝く彼女。おそらく給料もめちゃくちゃもらっている。
一方上司に怒られぼろ雑巾のように働き社会の中で使いつぶされるだけの存在の俺。給料も安い。彼女が見ているものや会う人なんかも俺と全然違うだろう。
成功者と自分の人生。
何がこんなにも違うのだろう。
俺も同じように義務教育を受けて、高校に入り必死に受験勉強をし、大学に入り論文を書いて大学を卒業したのに。
その期間の間どんな違いがあったのだろう。
俺はこんな存在になる可能性が一パーセントでもあったのだろうか?人生のどこかで違うことをしていたら俺はそちら側に立っていた可能性はあっただろうか?
いやない。もしもなんてありえない。そしてこれからもない。そもそも持って生まれたものが違う。俺にはそんなチャンスなんてない。これからはあってもなくても変わらない社会のどっかに組み込まれた部品として生きていくのだ。
でも子供のころ、いや、高校生くらいまでは俺は周りと違う考えを持っていると感じていてその他とは違う考えが花開いて成功するのだと思っていた。しかし大学になってもそのチャンスがない一方で、同じ大学にはもう成功者がいたのだ。
このままじゃ何物にもなれない。そうは思ったけれど結局何もできず就活の時期を迎えてしまった。おそらくそこが最後のチャンスだったのかもしれない。しかし俺は失敗した。何社も落とされ蓋を開けてみたらブラック企業の内定しか得ていなかった。俺に特別なことなど何もなかった。
ただでさえしんどい満員電車の中辛いことを考えてしまったので余計胸が苦しくなった。
満員電車をでて最寄り駅に降りる。
家は駅から15分の場所で、駅前の繁華街を抜けた先にある。いつもは残業があるのでに早い時間に帰ることはなく町の様子も異なるので新鮮だ。
シャッターが常に降りていた店は美容院だと今初めて知ったし、こんなにも制服を着た高校生が多い町なんて思わなかった。何となく今高校生は見たくない。早く帰ろう。早く家に帰って総菜コーナーで買う予定の寿司と唐揚げをストロングゼロで流し込みたい。
そう思い早歩きを始めた瞬間、いつもはない全く見たことがないものを見た。それは時間帯に生じる町の変化とは全く違う異質なものだった。店と店の間の暗く狭く汚い路地裏、その奥にマホガニーの重厚な扉が設置してある。
なんだかどこでもドアのようだ。いつもなら珍しいものを見たとSNSにアップするぐらいで特に何もせずスルーだ。写真を撮って一度路地裏の前から離れたがなぜかまた戻ってきてしまった。
「人生変えるチャンス!」
あの広告のでかでかとしたフォントが俺の頭の中を埋め尽くした。チャンスってもしかしたらこういう突拍子のないことを指すんじゃないだろうか。
緊張しながら恐る恐るドアノブを回す。結構重厚な手ごたえだ。重い。―扉を開けその先を覗いた。
その扉は本物のどこでもドアだったのかもしれない。扉の先は路地裏の続きではなかった。その空間はどうやらバーのように見えた。
バーカウンターは白い大理石で光沢を放っているがなぜかカウンターの上にも背景の棚にも酒の瓶は見当たらず、椅子もない。酒を背面の棚に並べる代わりに棚には何やら三日月の形をした紺色にキラキラしているオブジェや古いカメラ、外国の民族が儀式に使いそうな翅のついたわっか、潜水士が身に着けるような重そうなさびたマスクなど何やら怪しいが惹かれるがらくたが今にも棚から落ちそうなくらいギュウギュウに詰め込まれていた。
椅子の代わりなのかカウンターの奥の席にあたる場所に三脚が設置されており、その上にはおそらく星を眺めるためであろう大きな望遠鏡がバーの上に乗り出すように設置されていた。ちなみに天井に窓はない。
「お、よく来たね。」
すると奥からしわのないピシッとしたワイシャツを着こなし、蝶ネクタイのつけたダンディな男が現れた。くたびれたしわっしわのシャツを着た俺はこの空間にいてはいけないと判断し、握ったままのドアノブを引き同時に帰ろうとした。それを見た男は慌てて引き留める。
「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。怪しくないよ。行くのはやめてくれよ。」
男性に引き留められ気まずくなった俺はしょうがないので残ることにした。好奇心に負けてしまった面もあると思う。
「いらっしゃい。君が初めてのお客さんだよ。お目が高い。さあ何にするかな。」
初めての客だったのか。引き留められた時帰ればよかったともう後悔し始めている。
「そもそもココ何扱っているんですか?バー?」
「その望遠鏡気になるんでしょ?覗いてもいいよ。面白いものが見れる。」
こちらの質問に答える気が全くなさそうだ。しかし何かこの望遠鏡に強烈に惹かれるのも事実だ。このマスターはなんだか癪だし、とりあえず覗くだけ覗いて何も見えなかったら今度こそ帰ろう。そう思って望遠鏡をのぞいた。
まるで宇宙のように青黒く透明な空に向かって伸びる見事な三角形をした白銀に輝く雪山が見える。その山は彫刻のように凛として美しく山肌を走る雪の凹凸一本一本までが洗練されているようだった。まさに神の作った芸術、いや、神そのものといった風貌だ。
すごい。何だこの山は。こんなのは見たことがない。
「これ何山っていうんですか?生で見てみたいです!」
興奮交じりに俺はそう言い望遠鏡から眼を放し、勢いよくマスターのほうに顔を向けるとふわっとした感覚が体を襲って重力を感じなくなった。
「え」
俺はいつの間にかここはバーではなくなっていて青い空の中にいた。下を見てみると雲しかなく地面は全く見えない。落ちる際に出るの体の空気抵抗で空気が轟轟と音を鳴らしている。
「うわああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
「大丈夫死にはしない。それより見てごらん。後ろだ。目の前だ。」
マスターは近くにいないがなぜか声だけが聞こえてくる。
「ななな、なんだって!?落ち着けるか!何があるっていうんだ!」
俺は混乱しながら叫び手足を必死にばたつかせている。死にたくない!何とか助かりたい!もがいていると視界の隅に何か白いものが見えた気がしたので反射的に振り返った。
瞬間、すべてが止まり音がなくなった。
望遠鏡で見たあまりにも巨大な銀嶺が視界のほぼすべて奪い雲の上でたたずんでいた。それは望遠鏡で見たものの何百倍も大きく、遠くにそれがあるとわかっていても今まで見た何者よりも強烈なプレッシャーを放っていた。
落ちていることもつい忘れて見とれてしまう。目を離させてくれない荘厳さがあった。
「スゲェ」
感嘆の声を出すしかない。
「落ち着いたようだね。」
また脳内で声がする。マスターの声だ。
「これから君が行く世界だ。こんな絶景がごろごろ転がっているよ。お楽しみに。」
「な、え?ちょい待ってくれ!」
俺はそう叫んだと同時に体が雲の中に消えてゆき何も見えなくなってしまった。




