食べるイトイ君
お腹が減ると悟りは開けるものなのか?
今日もあのくだらない戦場からなんとか逃れることができた。
もうクタクタだ。お腹が減ってきた。
リアルお腹と背中がくっつくぞ状態なのだ。
とは言え、何で僕たち人間は食べるのだろうか?
食べることは大切なことである。それは分かっている。
僕は食べることイコール生存本能の表れだと思っている。
人間は食べないと死んでしまう。それは誰もが承知の事実だろう。
僕は何度か、小さい頃に飲まず食わずの状況に置かれたことがあったが、3日はなんとか生きれた。ただ、4日目はさすがにきつかった。
今思い出しても、身震いしてしまう。本当にきつかった。あの時は生きるためになんとか身の回りの物で何か食べられるものが無いか必死で探してトイレットペーパーを食べたっけ。あんなこと二度としたくない。
さて、話を戻そう。
先ほど僕は、食べることは生存本能の表れだと言ったが、それなら極端な話、皆腕に針を刺して点滴でも打って貰えば良いだけの話になってしまう。
まぁ、あれ自体に栄養があるかは謎なところだが、、、。
しかし、町を歩いている人達は、あの点滴ぶら下げ機(?)なる物を誰一人として持ってはいない。
ということは、考えるまでもないが、生存本能だけではないという事になる。
ならば、人は何故食べるのだろうか?
日本には、「衣食住」という言葉があるが、これは人が生きていく上で必要な3つであることを表した言葉だ。
他にも、「三大欲求」というものがある。
性欲、睡眠欲、そして食欲だ。
つまり、人にとって「食」とは生きていく上で必要なものであり、抑えきれない欲であるということになる。
そう考えると、「食」が与える力というのは、それはそれは壮大な物なのだろう。
だが、壮大であるが故の問題もあると僕は思っている。
かのソクラテスも何かで『生きるために食べるべきで食べるために生きてはならない』と言っていた。
先程、僕は「食」というのは必要なものであり欲だと言った。
そう、「欲望」なんだよ。
皆、「欲望」があるから一生懸命に汗水垂らして必死に今を生きようと努力する。まぁ、例外の人もいるだろうが。
だが、この「欲望」というのが厄介でさ、多少の欲は自分を鼓舞する為のエネルギーになる。でもこれが、「欲望」にまみれるというかさ、、、“飲み込まれる”っていう方が正しいのかな?
そうなると、なかなか抜け出せなくなるんだよ。
だから、「食」にもそれだけの力があるから、その力に飲み込まれてはいけないよ。的なことが言いたいんじゃないのかなと僕は思うんだけどね。所詮、全て僕の勝手な解釈なんだけど。
とは言うものの、僕のように「何故人は食べるんだろうか?」なんてバカみたいに一々考えてる人はなかなかいないだろうけど。
ただ、皆「食」をいろんな形で楽しんでいるのではないか?と僕は思う。
1,食べること自体が趣味の人。
2,栄養補給や体作りとしてストイックかつバランス良く食べる人。
3,周りの皆からチヤホヤされるためのアイテムとして楽しむ人。
4,ストレス発散の為に食べる人 etc.
まぁ、楽しみ方は人それぞれだが言えることはただ一つ。
“何事も程々にね”ってことかもしれない。
こんな事を考えてしまうのもお腹が減っているからだ。
さぁ、早くスーパーにでも寄って家に帰らなきゃ。