飛びたいイトイ君
人生に難ありのイトイ君、そんな彼の頭の中を覗いてみませんか?
椅子に針を置かれて、弁当にチョークの粉を入れられて、トイレに逃げれば上から水をかけられ、それを先生に言えば笑って誤魔化されて、家に帰れば父に殴られる。そんな僕を見て皆、見ぬ振りをする。
はぁー、なんか疲れたな。
僕は何で生きているんだろうか。
誰かが、生きていればいつか必ず報われる時が来る、と言っていた気がするがそれはいつなんだろうか。
嫌われるのも傷つけられるのも無視されるのにも、もう慣れた。
でも、傷つかない訳ではない。
何回死にたいと思ったことか何回殺したいと思ったことか。
ただ、殺しやしないし死にもしない。
だって、捕まるし、きっと痛いだろうから。
それになんか癪じゃないですか。
傷つけられるだけ傷つけられて、殺ること殺れば捕まる。
そんで言われるんですよ、
「なんで、こうなる前に言ってくれなかったんだ。立ち止まってくれなかったんだ」と。
うるさいよ!
虫唾が走る!
言っても、言っても、言っても、聞いてくれない、変わってはくれない。
何回も我慢して、耐えて、耐えて、耐えて、耐えてきたんだ。
じゃあ、百歩譲ってやられる方にも非があると認めよう。
いや、認めるのはイヤだが、やられる方にも、原因は100%あるだろう。
見た目が汚いとか、声が小さいとか、下手したら存在自体が気に障ると思っている奴もいるだろう。
ただそうだとしても、やってる方は気づきはしない。
今、自分がやってることで人が傷ついているなんて微塵も思っちゃいないんだ。
そういう奴に限って将来、酒でも飲みながら笑い話にでもしてるんだよ。
いや、それなら良い方か。
皆、虐めは良くない、人を傷つけることはいけないことだと分かっているはずなのに、、、。
なんでこんなことが起きるんだろうか?
待て、何か逸れてやいないか?
僕は今、それは高い建物の屋上にいる。
それは死ぬためだ。
ただ、今回も死ぬことはないんだろう。
だって、もし僕が今、この屋上から飛び降りたとしよう。
そして、うまく死んだとする。
さて、ここから得られるものは何だろうか?
答えは何も無い。そう、無だ。
いや、無でなければいけないのだ。
死から得られる幸福なんて悲しい。
僕は、本当に辛いことがあれば逃げるのは良い行動だと思っている。
実際、僕自身そうしてきた。
ただ、自殺は別だ。これは最低の行いだ。
でも、自殺を実行する人はいる。
それはなぜなのだろうか?
これ以上傷付きたくないからか。
死を選択するしかいけない所まで追い込まれたからか。
それとも、自分を攻めきって、呪いきって、恨みきって、立ち直れなくなったからか。
または、これが最後の自己防衛だと思わずにはいられなかったからなのだろうか?
まぁ、所詮すべて僕の持論なのだが、結局のところ、生きることに耐えられ無いのだろう。生きていることが苦になっているのだろう。そう思うと思考が停止し、もう行動するしか後がないのだ。
でも、心のどこかで願っている。
自分の後ろから、自殺を止めてくれる声がすることを。
泣いて、怒って止めてくれることを。
そして、自分はまだ生きていていいんだって思っていたいんだ。
ただ実際は、誰も悲しみやしないし、悔い改めることもない。
当然、止めてくれる人は僕の後ろにはいない。
そもそも、何故追い詰められた僕は死のうとしているんだろうか?
死にたくないと思いながらも僕はまたここに来ている。
ということは、まだ僕の心には余裕があるということだろう。
つまり、今死ぬことは馬鹿がする事と言うことになる。
それになんかおなかも空いてきた。
はぁーあ、誰も待ってないけど、スーパーにでも寄って帰るとするか。
今日も、なんとなく生きてみることにした。