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残る印

 「っは、……はぁ、はぁ」


 時雨(シグレ)は動かしていた手足を止め、息を整えながら辺りをそっと見回した。水の音はいつの間にか後方から聞こえている。通り過ぎたのか、何度目だ、と重い息を吐く。

 角獣(かくじゅう)との追いかけっこが始まってから、全速力で水音の方へと走って、予想通りにその音が近くまで聞こえてきた所までは良かった。しかし、そこからどうにも水場へ近付く事が出来ず、いつの間にか遠ざかった音を聞いては方向を変え、方向を変えれば音がまた別の方から聞こえ、というのを繰り返していた。段々と時雨は、同じ所をぐるぐると回っている様な錯覚(さっかく)を覚え始める。いや、錯覚ではない、


 (何かの魔法か……?)


 時雨はあまり魔法に詳しくなかった。色々な分野に手を出していた(レイ)に時折教わる事はあったが、精々(せいぜい)少量の水を浮かすなどのお遊び程度に留まっており、高度な物については想像の域を出ない。これが魔法であるのかも、正直な所は分からなかった。


 (もし魔法なのだとしたら……)


 間違いなく先程の、得体の知れない生き物の仕業(しわざ)なのだろう、それだけは何処(どこ)かで確信していた。

 立ち止まり考え込んでいた時雨の後方で、サク、サクと草木の()れる音がする。身を固くして、ここまでかと溜め息を(こぼ)し力を抜く。時雨は半ば諦めの表情を浮かべて後方を振り返った。


 「あら、追いかけっこはもういいの?」


 凛とした声が耳に届く。今一番会いたくなかった筈の獣は、白い服に身を包んだ少女に変わっていた。


 「女の子……」

 「……」


 にこ、と柔らかな笑みを見せる少女の声は、確かに角獣の声と同じものだった。けれど姿があまりにも変わっている。時雨は大きく戸惑(とまど)いながら追いかけてきた者を凝視(ぎょうし)した。少女は時雨の視線を受け、くるりとその場で回りだす。


 「言ったでしょ? 擬態(ぎたい)だって。どう?」


 見事な擬態だったでしょ? などと言いながら少女は少しづつこちらへと近付いて来た。同じだけ時雨も距離をとる。少女はそんな時雨の様子を見て、むむむ、と眉間にしわを寄せた。


 「つまんない、そんなに逃げないでよ」

 「そんな事言ったって、怪しいだろ……」


 それに、最終的に捕まったら負けだのとルールを(もう)けたのはそちらだ。こちらに非はない。……時雨としては、ただ逃げたい一心であるが。

 (うたが)わし気な視線が気に食わないのか、少女は頬を膨らませてこちらを見返す。


 「可笑(おか)しいわ……向こうではこの容姿(ようし)、レアなのに……」

 「何の話だよ……」

 「あんた、朴念仁(ぼくねんじん)なの?」

 「え?」


 それなら仕方ないわよね……、と何やら(あわれ)れむような目を向けてくる少女に、若干の怒りが込み上げてくる。何故自分はこんな所で見知らぬ少女に憐れまれなきゃいけないのか。


 「何を勘違いしてるのか知らないけど、さっきまでそこらの角獣と変わりなかった奴が急に人になって追いかけてくるなんて、誰だって怖いだろ」 

 「え、ちょっと、あたしの擬態より森の子達の方が可愛いでしょ? 一緒にしないで!」

 「はあ……?」


 どうしてそうなる? 話が脱線していないだろうか。

 時雨は頭を抱え、地面に視線を落とす。何だか振り回されてばかりだ、うんざりしてしまう。


 (どうしてこんな事になってしまったんだろう)


 全ては己の好奇心を恨むしか無い。初めて行く場所、珍しいものに、気付かぬ内に心(おど)らせていたのだ。

 視線を上げれば、少女は時雨の目の前まで(せま)っており、顔を近付けて怪訝(けげん)な顔をしていた。


 「!?」


 思わずズザザ、と後ずさって胸を押さえる。心臓が口から飛び出るかと思った、まだバクバクと揺れている。そんな時雨の行動を見ているのかいないのか、少女はうーん、と唸って首を傾げた。


 「あんたさあ……」

 「…………何」

 「うん……」

 「??」


 何とも煮え切らない言葉を連ねて押し黙ってしまった。すんすん、と、何やら匂いを嗅いでいる様だったが、一体何だというのだろうか。

 そんな少女の後ろが一瞬、いびつに(ゆが)む。森の様子がおかしい。

 目を凝らせば、ざわざわと()らめく木々はいつの間にか、その身から薄い紫の(きり)を吐き出し周囲を(よど)ませていた。時雨はまた困惑の色を浮かべ、目の前の少女に問い掛ける。


 「あんた……森に何かしたか?」

 「? ……あぁ、」


 少女は時雨の視線の先を追うように、後ろを振り返る。


 「ふふ、あたしは何も。森は手伝ってくれるみたいだけど」


 こちらを向いた時には、その顔に微笑みが張り付いていた。

 ほら、眠くなってきたんじゃない? 笑う少女の姿が次第にぼんやりとしてくる。細くなる視界に(あらが)いたいと力を入れても、最早(もはや)時雨の言う事を聞いてはくれなかった。




 「あんたも寝たり起きたり忙しいわね……」


 膝から(くず)れ落ち、地に伏せる男を眺めていた少女は、その足を動かぬ男の(そば)まで運ぶ。(かが)んで手を伸ばし、竜胆(りんどう)の髪を掻き上げて見える横顔を眺めた。どうしようかな、と一人ごちる。

 時雨が倒れた後、森は再びその姿を歪ませた。空を隠していた屋根は日の光を通すように薄れ、鬱蒼(うっそう)と茂っていた筈の森の一部には粛然(しゅくぜん)(たたず)む水源が広がっている。先程まで遠くに聞こえていた滝の音は、今はもう聞こえない。


 (調査のついでに……って、最初は思ってたけど。冷静に考えたら、連れ帰った所で報告しないと怒られるしなあ)


 倒れる男の頬をつんつんと(つつ)きながら、ぼんやりと考え込む。パシャ、と水が跳ねる音がして、そちらに目をやった。


 「満足したかね」

 「……まさか、貴方みたいな大物に出くわすなんて思わなかったわ」


 ごきげんよう、と声を掛ければ、水面から顔を出しこちらを見ていた男は、ああ、と軽く手を挙げる。


 「これ、貴方の獲物だったの?」

 「いいや、手が出せなくてね」

 「……」


 再び、少女は倒れる男に目をやる。妙な匂いがしていたのは気のせいではなかった。


 (知ってる匂いな気がするんだけどな……)

 「……時に薬師(くすし)、」

 「何かしら」


 己を呼ぶ声に振り向いて、後悔する。


 (随分とお(かんむり)じゃない、こいつ……!)


 頼みがある、と話す男は少女を逃がさんとその目に力を入れる。

 少女はやれやれと息を吐き、なんなりと、と男に一礼した。

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