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水の都

 「お前はね、水神(すいじん)様に愛されているんだよ」


 墓石に手を触れた父がぽつりと、そう呟いた。

 母さんは水の神様に見初められていたんだ、お前もいつか、自分の前から居なくなってしまうかもしれない、と。




 生まれ育った小さな村から半日と歩いた街は、水の都と呼ばれ、各地から人がやって来ては(あきな)いをしたり、(もよお)し物を開いて人(だか)りを作っていた。

 教会で(レイ)に、自分が見た不思議な生き物の話をした所、もしかしたら水都(すいと)の図書館にならば何かしら載ってる書物があるかもしれないなあ、などというので、翌日朝のお(つと)めを終えた彼を引っ張り街へと繰り出したのだった。


 「水都へやって来たはいいけど……良いのか? ここだけは行くなって言われてたんだろう?」

 「そうだけど、もう(とが)める人も居ないから」

 「今まではわざわざ遠くの街まで行商(ぎょうしょう)に行ってたんだろうに、そんなに気になるもんかねえ……」

 「気になる、気になるから来た」

 「はいはい」


 軽口を叩きながら、黎の案内で図書館への道を進む。

 水都の大図書館は、この大陸一の蔵書(ぞうしょ)量を誇ると言われている。確かに街の入口で黎にあれだと指を差され、見上げた建物は、まるで城か何かかと見紛(みまが)う様な様相であった。

 あれなら簡単に辿り着けそうなものだと一歩足を踏み出した所で、黎に待てと腕を掴まれる。


 「…………?」

 「見えてるかもしれないが、多分初めてじゃ辿り着けないぞ」

 「あんなにでかいのに?」

 「水路が多くてなあ……図書館に向かってる筈なのに段々遠ざかっていくんだよ」


 それは恐ろしい。

 渋い顔をしたのが面白かったのか、黎は軽く笑った後、まあ俺に任せろ、と案内を買って出たのだった。




 喧騒(けんそう)で賑わっていた大通りから一歩裏通りへと足を踏み()れば、随分と穏やかな空気が流れていた。

 続く水路の両端(りょうたん)にはレンガ造りの建物が並び、その足元には細い小道が沿()っている。一定の間隔でその小道と小道を石橋が結び、その下を小舟が進んでいた。

 建物の三階部分から妙齢の女が顔を出し、窓辺の鉢に水をやっているのが目に入る。あんな高さから植木鉢が落ちてきたら、痛そうだな……と黎が横でボヤいていた。


 「そういえば、黎はよくここへ来るのか?」

 「よく……ではないけど、お前よりは来てるな」

 「図書館に行くのか?」

 「そういう日もあるし、出店とかも面白いんだよ」


 あとはまあ、海辺の方で釣りかねえ、と付け加える。




 黎は昔から、水辺で釣りをするのを好んでいた。そのきっかけは、間違いなく時雨(シグレ)の父親だ。

 物心付くか付かないか、という頃から同じ村で育ってきた二人だが、父が危険だからと引き留めていたことに加え、当時は母の看病をする為に家と、家の裏手を往復するばかりであった事もあり、長い間彼らは顔を合わせる事は無かった。

 母が亡くなってから、母の墓前で父が語った水神という存在の話を聞いてからは、より一層(ふさ)ぎ込む様になった記憶がある。

 何をするでもなく鬱々(うつうつ)と過ごしていた頃、二人で囲む食事の席で、父がいつの頃からか村の子供の話をするようになった。


 「教会で育てられている子でね、この村で子供はお前と、その子くらいのものだけど」

 「ぼくと同じくらいの……」

 「そう。どうだろう、今度会ってみないかい」

 「いい……」


 答えると、父はしゅん……と眉尻を下げる。

 あまり出歩くなと言いながら友達を作らせようとしていた父は、恐らく水神とやらに対する恐怖と、我が子に対する様々な想いが()()ぜになっていたのだと思う。

 落ち込んだような父を見ても、特に彼の話す村の子供に興味を持たなかったが、彼が外へ出稼ぎに行っている間に出くわしてしまった事で、自然と関わるようになっていった。


 「釣りに行かないか?」

 「釣り?」

 「そう、海や川には色んな生き物がいるんだ」


 出会ってから何度か季節が(めぐ)った頃だった。

 あまり遠慮をしなくなった黎がいつもの様に時雨の部屋にやって来て、何か物を抱えながらそんな事を言った。


 「楽しい?」

 「楽しい。川だと水の中で動いてるのもよく見えるから、今度スケッチしてみようと思うんだけど」


 司祭さまが魚の図鑑があるって言ってたんだよ、とにこにこしながら話す黎を見て、時雨は父の言いつけを思い出していた。

 考え込む時雨に、黎が(いぶか)しむ。


 「どうした?」

 「父さんが、雨の日の池には近付いちゃいけない、海には晴れでも絶対に行くなって言ってたんだ」

 「……川は、どっちなんだ?」

 「分かんない……」


 答えを持つ父は、家を空けていた。

 結局その日は釣りをする事はなく、黎はその後も、図鑑を持ってきてあの日はこんな魚がいた、この日はこういう魚がいたと語るだけで、時雨を連れていく事はなかった。




 「そういえばさ」


 過去を思い出していた時雨は、黎の言葉で現実へと戻ってきた。水路に掛かる橋の丁度真ん中辺りで、黎がついと足を止め、こちらを振り返る。


 「初めて会った時、誰と話してたんだ?」

 「誰と?」

 「そう、裏の池でさ。それを聞いて、俺は様子を見に行ったんだよ」


 時雨は考えを巡らす。そんなふうに俺達は出会ったのだったか。考え込んで答えを出さない時雨を見て、黎はうーん、と少し(うな)っては目を細める。


 「覚えてないならいいんだ」

 「ごめん」

 「小さかったからな、そういう事もあるさ」


 ほら、着いたぞ。そう言われて見上げれば、首が痛くなる程の高い城が目の前まで来ていた。あんぐりと口を開けて言葉を失った時雨に、黎は呆れた様な顔を向ける。


 「見るからに田舎者だぞ」

 「田舎者なのは本当だろう?」

 「せめて口を閉じろ」


 そう言い残して、すたすたと図書館の入口へ向かっていく黎を時雨は追いかけた。

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