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漁師の男




 (レイ)が牧師見習いとして生活しているのは、ひとえに彼を拾い育てた牧師へ恩を返そうと思っての事である。


 十数年前、当時はまだ見習いであった牧師が、教会の裏手に小さな(かご)が打ち捨てられているのを見付けた。その中で衰弱(すいじゃく)していた赤子(あかご)(あわ)れみ拾い上げたのが、黎が恩返しをするに至った発端(ほったん)の出来事であった。


 「牧師さま!」

 「騒がしいですね、教会ではもう少し静かに」


 しん、と静謐(せいひつ)な空気を(まと)う教会に男の声が響き、会衆席に()けていた数人の村人が入口の方を向く。


 「すみません、ですが牧師さま、外に赤ん坊が()てられていたのです」


 教会へ入るや否や慌てた様に叫んだ男を(とが)めつつ、当時の牧師は、入口で困った顔を浮かべる彼と腕の中の赤子を交互に見()った。


 「親は何処(どこ)にも……?」

 「はい、何処にも……」


 しゅん、と一転落ち込む様に(うつむ)き伝えられた言葉に、牧師の表情が(うれ)いを帯びる。


 「それであれば、教会で引き取りましょう」


 牧師は、言い淀んだ彼を安心させる様に、にこりと笑った。


 それから赤子は、教会で育てられる事になった。

 親だと名乗る者はついぞ現れぬまま、黎の帰る場所は教会の中の一室となり、牧師ら教会の教えが、彼の人格をいくらか形作る事となる。




 この教会のある村は小さい。半日程歩いた所にある街が大き過ぎるのかもしれないが、(いま)併合(へいごう)されていないのが不思議な程に村の雰囲気(ふんいき)閑散(かんさん)としており、村人も自分や教会の人間と、そして水辺にある平屋の住人以外は皆、老いた者ばかりであった。


 片手で数えられる歳の頃には、よくその水辺の平屋へ(おもむ)き、魚の捕り方を教わったり、時には食べ物を与えられた。

 家主の男は漁師だった。遠く東には山脈が、西には海が広がるこの場所では、生き物を(かて)とし生活の基盤(きばん)とする者は特段(とくだん)珍しいものでもない。男はそこを拠点とし、街へ魚を(おろ)して日銭(ひぜに)を稼いだり、仕入れた食糧(しょくりょう)を村の老人達に分け与えていた。

 いつもありがとうねぇ、と受け取る老婆に破顔(はがん)する男の顔は痩せこけ、穀物(こくもつ)を抱えるその手は骨が異様に浮いている。

 疑問に思って、一度だけ聞いた事があった。


 「おじさんは、」

 「うん?なんだい坊主」


 その日は漁師の男と、その一人息子が平屋で過ごしている日だった。

 母親は随分前から見掛けなくなった。最後に見たのは、教会で用意された箱に納まり、穏やかな顔でひっそりと眠る姿。花を添えて静かに黙祷(もくとう)を捧げる男の顔は、その頃はまだ肉付きが良かった気がする。


 「なんで自分で食べないで、人にあげるのさ」


 村人に分け与える前にまず、彼もちゃんと食べるべきだと思う。

 他者へ(ほどこ)すというのは、誰にでも出来る事ではないし、教会もまた、歓迎されるべき行いであると()いていた。とはいえ食い扶持(ぶち)を得る為に出稼ぎに行っておきながら、その金で人に与えて自分は食いっぱぐれるというのは、(いささ)か本末転倒ではないだろうか。


 「いいや食べてるよ、食べてるとも」

 「でも凄く痩せてしまってるじゃないか」

 「なんでだろうねえ」


 男は困った様に笑うだけだ。

 漁師の息子は部屋の隅で膝を抱えて、話を聞いているのかいないのか分からない表情で(うつむ)いている。


 「時雨(シグレ)は最近、やっと部屋から出てきたなあ」


 漁師の男の家へ通い始めて(しばら)くは、同い年の子供が住んでいるなど全くもって知らなかった。

 初めて(たず)ねた時も、男は子供が居るとは言わなかったし、いつ行っても土間には自分の他に子供の気配は無かった。

 定期的に平屋へ訪問するようになってひと月が経った頃だろうか、いつものように正面から声を掛けたが、話し声がするのに誰も出てこない時があった。


 「……あれ、声は聞こえるのに」


 その声は家屋(かおく)の中から、というよりは、家の裏手から聞こえているように思える。


 「おじさん、何してるの―――」


 家の裏手に回って声を掛けると、池の傍で(うずくま)る人影が目に入った。人影はこちらに気付き勢いよく振り返る。


 「…………」

 「きみ……」


 ボソボソとした話し声の正体は漁師の男などではなく、その男に何処となく雰囲気(ふんいき)の似た、竜胆(りんどう)の様な髪色の幼子(おさなご)であった。


 「っ!!」

 「あ、ちょっと」


 まって、と続いた言葉は、彼には届かなかった。

 誰と話をしていたのか、と周囲を見渡してみても、家の裏は小池と、適度に伸びた雑草、そして子供が走っていった先にある雑木林(ぞうきばやし)のみであった。

 夕暮れに帰ってきた平屋の家主が言う事には、


 「ああ、時雨はねえ……少しばかり人見知りで」


 そう言って、困った時にするへにゃりとした顔を浮かべるのだった。誰と話していたのかは、その先暫くは分からないままだった。




 「…………」


 部屋で本を読み始めた時雨を見遣る。

 陽が落ち夕食を御馳走(ごちそう)になると、黎は度々時雨の部屋に押し掛けた。初めこそ中々傍に居てはくれなかったが、次第に近くで何かしていても、気にせずに過ごしてくれるようになった。


 「……時雨は、心配にならないの?」

 「…………何が」

 「きみのお父さん、今にも倒れそうだ」


 今思えば、少しばかり余計なお世話だったようにも思うが、その頃はとりあえず、とやかく言いたい性分だったのだ。……時雨に対しては、今もさして変わらないかもしれないが。

 黎の言葉を受けて、時雨は少し考えるように天井に目を向ける。


 「教会の教えってのと、父さんの気持ちはちょっと違ってる」

 「違う?」

 「そう」


 矛盾。とどのつまりそういう事だった。

 自ら命を断つ事を、教会は良しとしていない。だが時雨の父は、最愛の人を亡くし、もう何を頼りに生きていけば良いのか分からなかったのだろう。

 だが、もしそうであっても、全ての人間が教会の教えに従わなければいけない訳でもないだろう。そうやって自分を苦しめるくらいなら……と、己の立場も考えず口に出しそうになるのを思い留める。


 「……そうだけど、ちょっと違う」

 「どういうこと?」


 問われた時雨は、どう言えば良いんだろう、と再び天井を見上げた。

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