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竜の帝冠  作者: 鷹守イサヤ
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第1章 仮面の使者(4)

「緊急用の花火が上がったと、この城の警備から知らせが」

「王城に何かあったのか」

「花火の色は、待機命令でしたが……」

「キリアス……、王城で何かあったの?」


 寝間着にガウン姿の叔母が、不安そうな顔で現れる。その後ろからアーシファが寝ぼけまなこをこすりながらやって来た。


「どうしたの? 何だかバタバタしてるけど……」


「わからないが、城で何かあったみたいだ。俺、引き返して様子を見てくる。アーシファ、おまえはここにいろ」

「引き返すって、真夜中だよ!?」


「若君、合図は待機を指示しておりますが」

「それはアーシファに関してだろ。ここの警備は?」

「大人数ではないけど、それなりに備えてあるわ。時々盗賊の群れがこの辺にも出没するものだから」


「なら安心だ」

「でもキリアス、こんな夜中に移動するのは危険よ。今夜は新月で、月明かりもない。せめて夜明けまで待ちなさい」

「それまでの時間が惜しい」


 叔母が引き止めるのも聞かず、キリアスは松明と馬の用意をさせた。今の季節は夜明けが早い。あと二、三時間すれば空も白み始めるだろう。


 自分も行く、とせがむアーシファを、キリアスは撥ねつけた。いつもの彼からしたら別人のような厳しさに、アーシファは言葉を失った。エレオノーラも断固として反対したため、アーシファは渋々離宮に残った。


 松明をかざして速歩で進み、視界が利き始めるのを待ちかねてスピードを上げた。来るときは雉を追い回したり何度か休憩を取ったりしたので半日以上かかったが、飛ばせば数時間だ。


 進むにつれて嫌な予感はますます高まった。風に乗って異様な臭いが吹きつけてくる。それは紛れもなく──血臭だった。


 森を抜け、城の全景がようやく見えた。外壕にかかる跳ね橋は降りたままだ。何かあったのなら上げているはず。それともすでに落城してしまったのか。まさか!


 城壁を抜けたキリアスは愕然とした。居館の前の広い中には死体で埋めつくされていた。建物の窓という窓から黒煙が上がり、一部は崩れ落ちている。堅固な石造りの城砦は、外観こそほぼ無傷でも内部はすでに灰塵に帰していた。


 「こ、これは……!」


 追いついた家士もまた絶句する。

 キリアスは馬を降り、ふらふらと死体の間を歩きだした。


 大半は城の警備兵で、異様な風体の者がその間に混じっている。鎧も武具もなく、普段着──というより晴れ着のような者をまとった男女だ。


 その全員に首がないぱかりか、肉体自体がかなり損傷して一部は骨が剥き出しになっている。それは戦闘による傷ではなく明らかに腐敗によるものだ。


 キリアスは反射的に口を押さえた。これは死体だ。もともと死体だったのだ。それが墓から這い出し、襲いかかった……!?


「おい……。変だぞ、敵の死体がひとつもない」


 家士たちも気付いて上擦った声を上げた。


「それに、この死体……、喰われてるみたいじゃないか?」


 キリアスは産毛が逆立つような感覚に襲われた。そのとおりだった。ここに倒れている死体はすべて損壊されている。


 喰われた死体、腐った死体。異様な死体ばかりだ。血臭と腐敗臭、焼け焦げた臭いが混ざり合い、吐き気を催す臭気となって漂う。館から流れだした灰色の煙が渦巻き、不気味な霧のように辺りを包んでいた。


「兄上……。兄上たちはどこだ……?」


 キリアスはふらふらと歩きだした。渦巻く煙の向こうに、煤けたバルコニーが浮かび上がる。そこから棒杭のようなものが三本突き出していた。いずれも先端に丸い物体が掲げられている。呼吸が、止まった。背後で家士が息を呑む。


 大切な人たちが、そこに並んでいた。


 瞼を閉ざした血の気のない顔。かつてそこには温かな微笑みがあったはずなのに、今はただ冷たく凍りついているだけだ。悲しみと絶望の中で──。


 がくん、とキリアスの膝が地面に落ちた。たなびく煙がバルコニーを一時覆う。ふたたび現れたバルコニーには、キリアスの願いもむなしく同じ光景を見せつけていた。真ん中に長兄アルフレート、向かって右に次兄エドゥアルド、左に義姉のアナベル──。


 かけがえのない人たちが、そこに並んでいた。


「なっ、何だ!? やめろ」


 背後で悲鳴が上がる。振り向くと家士たちに死んだはずの警備兵が組み付いていた。重傷を負って錯乱しているのかと一瞬思ったが違う、あれはどう見ても死体だ。死体が動きだした。


 その兵士は白目を剥き、仲間相手にとまどう家士の首に野犬のようにかぶりついた。もうひとりの家士が慌てて剣でなぎ払うと、吹っ飛んだ死体はまたよろよろと立ち上がって向かってきた。


 恐慌状態に陥った家士は滅茶苦茶に剣を振るった。死兵はどんなに斬りかかられても平気で歩き続ける。片腕を斬り飛ばされても歩みは止まらない。痛みも恐怖も感じていないのだ。


 キリアスは猛然と飛び出し、兵の脚に刃を叩きつけた。片足を失い、ようやく兵は倒れた。片腕片足で、それでも立ち上がろうともがく様にゾッとする。


 兵に首を噛まれた家士は、大量の出血ですでに瀕死状態だった。気を取り直した仲間の家士がせめて苦痛を和らげる方法はないかと手を束ねていると、瀕死の家士が血泡まみれの口で同僚の手に噛みついた。同僚は悲鳴を上げて飛び退いた。


 家士の目玉が左右別々にギロギロと回っている。蘇ろうとしているのだ。剣を握りしめたキリアスの背後で、嘲るような声がした。


「首を刎ねない限り、そ奴らは動き続けるぞ」


 弾かれるように振り向いたキリアスの目が驚愕に大きく見開かれる。


「ギ……ドウ……!?」


 灰色の髪をした壮年の男が、削げた頬で薄く笑った。けたたましい悲鳴に、キリアスの意識が引き戻される。


「うわぁ、やめろ! やめてくれよぉっ」


 手を噛まれた家士は剣を突きつけながら震えていた。ぱっくりと開いた首の傷から血を滴らせながら、こと切れたはずの仲間が彼を捕えようと両手を伸ばしてくるのだ。


 キリアスは怯えきった家士の前に飛び出し、亡者と化した家士の首を一刀両断した。首をなくした死体は固まったまま仰向けに倒れた。指先がわずかに動いたものの、すぐにそれも止まった。


 キリアスはギリッと歯噛みして、ギドウに向き直った。


「……加勢に来たわけじゃなさそうだな」

「ふむ。甘ったれも少しは成長したか」


 男は目を細めた。灰色の総髪は以前と変わらないのに、何故か違って見える。


 ギドウはキリアスたち兄弟の武技の師匠であり、ヴァスト軍の顧問でもあった。即位以来アルフレートが連戦連勝で来られたのも、彼がいたからこそと言える。それはアルフレートもよくわかっていて、彼が暇を願い出た時にはずいぶん引き止めた。


「あんたが敵を引き込んだんだな。何故兄上を裏切った!?」

「裏切ってなどおらん。俺は元々傭兵だ。長く居すぎたせいで誤解されているようだが、俺はヴァストの家臣ではない」


「よくもそんなことを……!」

「警告を聞かなかったアルフレートの自業自得だ。素直に従っていれば死なずに済んだものを」


 嘲笑う表情に、かつて彼が師匠と慕った男の面影はない。キリアスは雄叫びを上げて斬りかかった。ギドウは余裕で笑っていた。


「どうした? いくらか腕を上げたかと思えばその程度か」


 ギドウには一度も勝ったことがない。彼はキリアスの知る限り、最強の剣士だった。


 主君であるアルフレートには何度か勝ちを譲ったものの──それを兄は喜んではいなかったが──キリアスにはまるで手加減しなかった。むしろ厳しく容赦なかった。何かと甘い兄たちとは対照的だった。


 ギドウにはどこか求道者めいたところがあった。彼は誰より厳しく己を律し、喧嘩っ早く好戦的な兵士たちのように感情の赴くままに武器を振り回したりしない。


 だから負けても悔しくはなかった。彼を尊敬していたし、敵わなくて当然だと思っていたのだ。そんなキリアスを、ギドウはよく叱った。本気を出せ、負けたら心の底から悔しがれ、と。


 師匠の叱咤がキリアスにはよくわからなかった。いつだって自分は本気で取り組んでいると思っていたし、尊敬する人に負けたところで何故悔しがらなければならないのだろう。


 だが。今は違う。どんな事情があったか知らない。知りたくもない。ギドウはヴァストを裏切り、兄を裏切った。


 悔しかった。その時その場にいなかったことが。悔しくてならなかった。


「兄上を、殺したな……!」


 鍔迫り合いの最中、キリアスの怨嗟をギドウは嘲笑をもって受け流した。


「ああ。弟と妻もな」

「返せ! それは兄上の剣だ」


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