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竜の帝冠  作者: 鷹守イサヤ
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第1章 仮面の使者(2)

「あなた!」

「いいよ、アナベル。わかってる。同じ利用されるのなら、シャルのバカ王子より世話になったヴァストのためになるほうがずっといいもん」


 アーシファはまっすぐにアルフレートを見つめた。ヴァストの王は慈愛の瞳で少女を眺め、頼もしげに頷いた。


「姫様はまことにしっかりしていらっしゃる。いてくださるだけで我が軍の士気も上がろうというもの。極楽トンボがお気に召さぬとあれば、こちらの弟はどうですかな? 我が身内ながら水もしたたるいい男、頭も相当切れますぞ」


「うん、エドゥアルドならお嫁さんになってもいいよ」

「即答かよ!」


 キリアスが眉を吊り上げてわめいた。当のエドゥアルドは困った顔で苦笑している。アーシファはつーんと顎を反らした。


「だってエドゥアルドはあんたと違って恰好いいし、頼りがいありそうだもーん」

「おまえみたいなじゃじゃ馬、兄さんにふさわしくないっ」

「なによ、極楽トンボ!」


 年端もいかない幼児のように感情剥きだしていがみ合うふたりを、大人三人は苦笑しつつも温かな瞳で見守っていた。




 アーシファは表向き王妃の遠縁の娘で、身重の王妃の話し相手として呼び寄せられたという体裁で気楽に日々を過ごした。もちろん、かつて八年もこの城に滞在していたのだから、主な家臣をはじめアーシファの正体を知っている使用人は大勢いる。


 三年間の空白は三日と経たずに消え失せた。結婚が決まってからはほとんど軟禁状態に置かれていたアーシファは、好きな弓や馬の稽古に嬉々として励んだ。またもやお転婆姫のお守り役を命じられ、キリアスは不平たらたらだったけれども。


 唯一悔しかったのは、三年前にはまだ立ち向かえた剣技でまったく相手にならなくなっていたことだ。しばらく会わぬうちにキリアスは腕を上げていた。十八になり、背もぐんと伸びてすっかり大人びていた。それが何だか眩しかった。


「これならいつ戦場に出ても大丈夫ね」


 あっさり負けたアーシファが悔し紛れに皮肉ると、キリアスはどうでもよさそうに肩をすくめた。


「もう四年近く戦は起こってないよ」


 ヴァストの王軍が最後に動いたのはキリアスが十四歳になったばかりのことだ。十五歳なら従士として兄の楯持ちを仰せつかったかもしれないが、まだ子ども扱いで連れていってもらえなかった。


 その後、両隣の国と盟約が結ばれ、ヴァストの国情は安定している。同じ頃アーシファとその母は宮城に呼び戻された。キリアスもまた小姓として出仕することになっていたが、宮廷が内乱状態に陥ったため危惧した兄が差し止めた。


 皇家が内紛で自滅していくなか、八葉州の戦乱はもっぱらシャルとアルドが舞台となった。二国ともヴァストとは皇帝領を挟んでほぼ反対側に位置している。八葉州全体としては戦乱の時代であっても、東方三州は平穏だったのだ。


「戦場に出たいと思わないの?」

「出たくないね、面倒くさい」


「呆れた。あんたって昔からそうよね。勝っても負けてもへらっとしてて、何かむかつく。やる気ないくせに呑み込み早くてすぐに上達しちゃってさ。師匠が出て行ったのも、そんなあんたに愛想を尽かしたからじゃないの?」


「年とったんで引退したいって言ったんだよ。神殿巡礼の旅に出たいって」


「こういう世の中なんだよ? 滅んだ皇家に代わって新しい王朝を築いてやるー! とか、何かそういう野心はないわけ?」

「兄上がそうしたいんならもちろん手伝うさ。もし兄上が皇帝になったら、兄さんが次のヴァスト王だ。どっちにしても俺は関係ない」


「何よ、拗ねてるの?」

「馬鹿言え。面倒な荷物背負わずにすんでありがたいと思ってるさ」


「アルフレート、帝都に上るつもりなのかな?」

「さぁね。おまえが転がり込んできたんで、ひょっとしたら考え始めたかもな」

「……あたし、ひょっとしてトラブルの種まいちゃった?」


 眉を垂れるアーシファにキリアスは苦笑した。


「案外動きだすきっかけがほしかったのかもしれないぜ。気にすんなよ」


 キリアスはアーシファから剣を取り上げ、代わりに弓を渡した。


「ほら。こっちの方が得意だったろ。それともなまけて腕が落ちたか?」

「冗談でしょ」


 アーシファは弓をひったくり、勢いよく立ち上がった。




 宣言どおり百発百中の妙技を見せつけ、キリアスから素直な感嘆と拍手を引き出したアーシファは、いい気分で晩餐の席に着いていた。


 キリアスとて弓が不得手というわけではないが、精度においてアーシファが数段優っていた。それが今でも変わっていないことを確かめられたのが嬉しくてたまらない。


 勝気な性格のアーシファは、一歳しか違わないキリアスに対抗心を燃やし、何でも真似したがった。姫君としては必ずしも必要とされない実戦的な馬術や武術を習い覚えたのはそのためだ。母もそれを制止しなかった。黄昏の争いが続く皇家では、自分の身を自分で守れることが必要だと思ったのかもしれない。


 城の大広間は城主一族と城詰めの家臣たちが一堂に会していた。一日一回、晩餐は主従揃って取ることになっている。アナベルの隣に座り、談笑しながら食事をしていたアーシファは、ふと妙な雰囲気を察して首を巡らせた。


 いつのまにか、広間の中央に黒衣の人物が佇んでいた。やはり気付いた家臣たちは食事の手を止め、戸惑い顔でその人物を眺めた。誰も彼が入ってきたことに気付かなかった。まるで空中から湧き出たように、気がつけばその人物は城主一族の並ぶテーブルの差し向かいに黙って佇んでいたのだ。


 黒い長衣ですっぽりと全身を覆い、頭巾を目深に被って俯いている。何ともいえず禍々しく不吉な気配がその人物を取り巻いていた。


 アーシファの隣、テーブルの端に座っていたキリアスが置いてあった剣を掴み、いつでも飛びかかれる姿勢で身構えた。『極楽トンボ』と身内からも揶揄されるお気楽三男坊だが、いざとなれば違うのだとアーシファは密かに感心した。


「誰だ?」


 厳しい声は次兄エドゥアルドのものだった。彼もまた白皙の美貌を緊張させ、テーブルの下で油断なく武器を手にしている。アルフレートは黙って黒衣の人物を凝視している。


 その人物が顔を上げた瞬間、アルフレートは息を呑んだ。いや、彼ばかりではない。その人物の顔を見たものは全員、同じ反応を示した。目深にかぶった頭巾の下から現れたのは、三日月型の目と口を備えた、白い道化師の仮面だった。


 主君を守ろうと馳せ参じた警護の騎士たちも、槍を構えたまま戸惑いの色を深めた。これは何かの余興か? それにしては王の表情が険しすぎる……。


 仮面の奥からくぐもった男の嗄れ声が陰々と洩れ出た。


「ヴァストの王に告げる。生き延びたければおとなしく〈竜の宝珠〉を渡せ」


 呆気に取られた沈黙が広間に降りる。誰も笑いださなかったのは、仮面の男のまとう雰囲気があまりに陰惨で不吉だったのと、相対して向き合う王の表情が到底冗談とは思えぬ鋭さと厳しさに満ち満ちていたからだ。呑まれたように誰もが凍りついた。


 やがてアルフレートが重々しく問い返した。


「〈竜の宝珠〉だと? あれが竜帝から賜った王の証だと知ってのことか」

「むろんだ。皇家が滅んだ今、新たな竜帝が起とうとしている。宝珠は改めて下賜されることになろう。そなたが素直に宝珠を差し出せば、だが」


「渡さなければ?」

「奪うのみ」


 仮面の答えは簡潔だった。


「やってみろ」


 挑発するキリアスを制し、アルフレートが尋ねた。


「新たな竜帝とは誰だ? シャルの王か、世継ぎの王子のことか」

「そなたではない誰かだ」


 嘲るように仮面男は答えた。これを聞き、血の気の多い若い家臣たちが一斉に席を蹴った。彼らはアルフレートがいずれ帝都に上るものと信じている。アルドを破ったシャルが帝都に上り、表面的には勝者となった。それはあくまで一時的なことで、天下はまだ定まってはいない。アルフレートは雌伏して機会を窺っているのだ。アーシファがヴァストに逃げ込んできたことも、家臣たちの期待を高める要素となった。


 警備兵が槍を構え、家臣たちもそれぞれ武器を手に仮面の男を遠巻きに取り囲んだ。男はしかしあくまで平然としている。


「誰だかわからぬ相手に膝を屈するわけにはいかぬな」


 アルフレートの答えに、仮面がわずかに揺れた。笑ったのかもしれない。


「身の破滅だぞ。一族郎党すべてが滅びる。国がなくなってもよいのか?」

「断る。宝珠がほしければ奪いに来るがいい。どこの誰だか知らぬが、な」

「ではそうしよう」


 くぐもった笑い声が広間に響く。それまで悠然としていたアルフレートが目にも止まらぬ速さでテーブルを飛び越え、仮面の男に踊りかかった。その手にはすでに愛用の長剣が握られている。アーシファが瞬きする間にヴァスト王の剣は仮面の人物を頭頂からまっぷたつに切り裂いていた。


 ふたつに割れた仮面がガランと床に落ちる。全身を覆っていた黒衣は四方に飛び散り、数多の蝋燭が作り出す影の中にするすると消えてしまった。


「──幻術か」


 アルフレートが吐き出す。どこからか首筋がそそけ立つような声が陰々と響いた。


「警告は、したぞ」


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