第四節 正体と決意 そして龍は唄を奏で ⑤
終わる世界で龍は唄う――本日で最終部分となります。
最早長くは語るまい。
では最終回、どうぞ。
『――――――――‼』
巨大な殻に身を包んだ使徒型の放つ気配が、一瞬で変わった。
その意識の向かう先にあるのは、倒壊した家屋の前に立つ一匹の龍。
暗い背景に佇む、一つの白。
ヒュイイイィィィィィィィィィィィィッ‼
白龍〈カイ〉が、龍鱗の障壁の向こうで咆哮した。
龍の周りで、雪の様な光の粒が湧き上がる。
風に溶けた障壁の龍鱗が、花弁の様に散りばめられる。
かつて互いに身を削り、雌雄を決する事無く別離した二体の獣が、再び〈レィミア〉の大地に相まみえた。
『お前だけは…………俺が仕留める‼』
〈カイ〉が地を蹴り、長大な身体を靡かせて飛び立つ。
宿敵と位置付けた相手の登場に、迎え撃つ使徒型の攻撃がその熾烈さを増す。
先刻と同じ重低音の唸りと共に、幾筋もの光線が〈カイ〉目掛けて殺到した。
黄金色の光条が、蒼白い炎とぶつかり合う。
無数の光線が、アヤカシの巨体と〈レィミア〉との狭間に交錯し、白き龍を撃ち落とさんと迫り、そして猛る。
対する〈カイ〉はその全てを回避し、打ち消し、ひたすらに使徒型を目掛けて滑翔する。
(コイツ……前回より明らかに攻撃の威力が上がっているな……。それに……)
使徒型の纏う硬質な外殻が自身の龍鱗と同じ霊力の塊によって構成されているという事実は、外殻そのものが放つ霊力の圧ですぐに分かった。
しかし同時に、その外殻の下に佇む何か強大な力の塊の存在も<カイ>は感知する。
(この霊圧……まさか、自身を霊核そのものに変貌させたのか……⁉)
傷を癒したのであれば、こんな大それた形態変化を起こす必要は無い。
負傷しそのままの状態での戦闘継続ができなくなったが為に、新たな力を生み出すべく適応進化を遂げたのだろう。
(――厄介な!)
舌打ちが漏れる。
つまり、今現在生き残って戦闘を継続している僅かな者達が続けている外殻への攻撃も、それまでの彼らの総攻撃も、このアヤカシの本体には欠片のダメージも与えていなかったという事だ。
そして〈カイ〉がこの使徒型を倒すには、どうにかしてあの外殻をぶち破り、その中にある本体を仕留める必要があるという事。
厄介ではあるが、致し方ない。
執るべき策は、ごく一点への集中攻撃による外殻の定点突破。
方針を固めて、〈カイ〉が加速した。
降り続ける光線の隙間を縫う様に、細いブレスが外殻目掛けて放たれる。
――直撃。
硬質な霊力の結晶片が、本体より剥離して幾つも眼下の地上に降り注ぐ。
そして迫る攻撃をかわし、いなして、二発目、三発目と違う事無く同じ場所へとブレスを叩き込んでいく。
しかし攻撃を浴び続けながらも、その外殻は一向に貫通の兆しを見せる事は無い。
流石に〈カイ〉の龍鱗と造りは同質と言っても、その強度という面においては霊力量で圧倒的に勝る使徒型に軍配が上がる様だ。
『……ちっ』
ブレスが突き刺さる度に、確実に結晶の外殻は削れている。
しかしそれも、外殻全体のほんの僅かな部分の話に過ぎない。
硬さに加えてその分厚さも、このアヤカシの外殻と〈カイ〉の鱗殻とでは、完全に桁が違うものの様だった。
「カイッ‼」
〈カイ〉の攻撃が、急速なカーブを描いてぶつかったアヤカシの攻撃に消されると同時に、別の場所から放たれた光の矢が、彼の狙っていた場所へと命中を果たす。
その声の主は、崩壊した神殿の方から飛んで来たシエラ。
逃亡中、彼女自身は何の得物も持っていなかったので、〈カイ〉はヴェネトの所に行く途中、シエラを神殿に下ろしていたのだ。
崩れた神殿の中から無事にフォルトゥーナを見付けて来た様で、早くも追撃の光矢を放つべく、使い慣れた得物の弦を引き、その照準をアヤカシの方へと向けていた。
先の〈カイ〉の行動を見て、彼女も即座に〈カイ〉の目論見を理解した様だ。
〈カイ〉と全く同じ場所にシエラが矢を打ち込む。
「カイ! シエラまで――!」
「お前ら、戻って――!」
「それはいいから! 今は早く、コイツを倒さなきゃ‼」
手の空いた防衛団員達もその攻撃に乗じ、アヤカシへの一点集中砲火が始まった。
『――――――――!』
降下するアヤカシの外殻に霊力が煌き、地上を護る龍と人々に光条が注ぎ込まれる。
正面、側面、後方、上方、下方。
攻撃と攻撃の間を縫う様に、絶え間なく、ありとあらゆる方向から迫る使徒型の光線。
それを撃墜すべく放たれる〈カイ〉のブレスが、礫の雨が、そしてシエラの矢が。
二つの勢力の放つエネルギー体が幾度となく衝突し、その度に爆発の光が空に踊る。
〈カイ〉の攻撃を止めんと迫る光線を、シエラの光矢が打ち消して。
射撃の隙を突いてシエラに殺到したアヤカシの光線が、突如展開された〈カイ〉の龍鱗障壁に阻まれる。
そして目の仇である〈カイ〉にアヤカシの攻撃が集中した隙を突いて、防衛団の面々がその手数にものを言わせて、大量の霊力を叩き込む。
互いに助け合い、補い合い、そして己よりも格上の存在と相対する。
これが単一で完璧な戦闘生物として確立されたアヤカシに対抗する為に、脆弱な人類が導き出した元来よりの戦闘スタイル。
長きに渡る人とアヤカシの戦闘の歴史によって――戦闘の歴史の存在そのものによって証明されている常道手段だった。
『はあぁっ‼』
シエラの射撃が、〈カイ〉の射線上に展開された弾幕に穴を穿つのと同時に、〈カイ〉のブレスがその隙間を射貫く。
十分な溜めを以て繰り出された一閃。
大気を切り裂いて飛来した蒼炎が、何十発と繰り返し攻撃を受け続けて脆くなっていた外殻の一部を、正確にぶち抜いた。
『オォォォォォオオオ――――――ン……』
くぐもった音が響き渡る。
確かな手応えを感じ、シエラが叫んだ。
「カイ‼」
即座に、〈カイ〉が飛び出した。
穿撃のエネルギーが渦を巻き、龍の身体は一気にそのスピードを増す。
天に昇る翠の彗星が、一息の間に使徒型の外殻の側まで迫った。
『――――――――‼』
しかしその突貫の最中、〈カイ〉は視た。
眼前の外殻が――そこにある霊力が、突如として活性化する――その様を。
『――ッ⁉』
無意識の危機感が、瞬間的に警鐘を打ち鳴らす。
何かが来ると、彼の意識に向かって叫びを上げる。
即座に身を翻した――翻そうとした。
『が…………』
〈カイ〉が行動を起こすよりも寸分早く、使徒型が動いた。
硬い光沢を持つ球状の外殻を形作っている、折り重なる様に密集した霊力の結晶一つ一つがまるで毬栗の様にその先端を外側に向けて伸ばし、至近距離に居た〈カイ〉の身体を刺し貫く。
ほんの一瞬の出来事だった。
目で追うよりも先に、身体が動いていた。
だからこそ、急所は外す事ができた。
しかし全身を同時に、何か所も突き刺されるその激痛は、〈カイ〉を撃ち落とすには十分過ぎた。
シエラの悲鳴が、〈カイ〉の耳に届く。
団員達の驚愕する様が目に映る。
やがて突き出した結晶の棘が、瞬時に格納され、それにより空中での支えを失った〈カイ〉の身体は、砕けた鱗の破片や血の雫を撒きながら力無く落下。
瓦解した神殿に――その中で淡く光を放つ〈核〉の在るクレーターの中に落ちて行った。
「カイ⁉ 大丈夫⁉」
青い顔のシエラが、〈核〉の側で地に伏せる〈カイ〉の元に降り立つ
深いダメージを負った事で龍化が解除され、龍の姿は光となり装束の至る所を赤い血に染めたカイの姿がそこに残された。
「ぐ……。あのヤロォ……」
膝と両の手を硬い地面に突いて、血の雫をしたらせながらカイが起き上がる。
シエラがその身体を支え、装束を濡らす傷の程度を診るべくカイの服を捲って、
「――えっ?」
短く声を発する。
何だ? と疑問符を浮かべ、自分の肩口に刻まれた傷口に視線をやるカイ。
「これは……」
そして、シエラと同様に小さく呟いた。
鮮血に濡れた肩に刻まれている、貫通した深い刺突痕。
出血も止まっていないし、激しい痛みもある。
だがしかし、その傷口は――抉られ欠損した肉体は、僅かながらも既に再生の兆しを見せていた。
理由は、すぐに察した。
「〈核〉の力――か……」
カイにとっては本来の姿――もとい本体とも言える巨龍〈レスレティクト〉の再生能力。
〈レィミア〉の地を護り続けて来たその力の根源たるモノの側に身を置く事で、〈核〉と同質の存在であるカイの身体には、その能力が他よりも強く発現しているのだ。
しかしそれは同時に、カイという存在を自身に取り込もうとしている者の側に身を置く事であり、その影響でカイは前回、己の存在そのものを失いかけている。
(……大丈夫だ。今ならまだ、『俺』を保てる――)
しかし、一度呑まれかけたからこそ、その感覚に対抗する術は既に考えてある。
――自分を見失ってはならない。
〈核〉の放つ思考に、押し流されてはいけない。
あれは俺ではない、別の何か。俺は俺。それ以外の何者でもない。
大切な存在が居て、その為に在ろうと誓った一人の人間だ。
忘却の闇に――存在を侵食して来る〈核〉の声に吸い込まれない様にと、自らの気を奮い立たせる。
『――ォォォォォォォォォォォ――――ン』
しかしそれを遮る様なくぐもった声が、彼らの頭上から大音声で降り注ぐ。
墜ち行く隕石の如く、圧倒的なスケールと重圧感を以てして迫る巨大な使徒型の外殻に幾重もの瞬きが煌いた。
「――ッ! ダメ――!」
「シエラ――ッ⁉」
攻撃の兆しを認めるや、すぐさま弓を構えたシエラが迎撃に出た。
無謀だ、とすぐさま止めにかかろうとするカイであったが、まだ治りきっていない大腿部の傷に激痛が走り、前のめりに倒れ込んでしまう。
雨霰の如く降り注ぐ使徒型の光条の数々を、洞穴の外で戦い続ける術士達の攻撃とシエラの放つ無数の光矢が迎え撃ち、虚空には幾つもの爆ぜたエネルギーの華が咲き乱れる。
しかし迎撃こそ出来ても、その手数が十分なものと言えるかどうかはまた別の話だ。
迎え撃つ弾幕をすり抜けた使徒型の光線は容赦なく人々に、彼らの護る地上に突き刺さり、深い傷跡を幾つも刻んでゆく。
それでも、人は頑なに諦めを選択しようとはしない。
歯を食いしばり、目まぐるしく舞い踊り迫る光条の一つ一つに全神経を注いで上空に向かって迎撃を続けるシエラ。
しかし――、
「な――ッ‼」
反応が間に合わなかった光線が、シエラとカイの佇む洞窟の真上を直撃。
それにより、大穴が空いた事で脆くなっていた洞穴の天井が大きく耳障りな軋みを上げ、轟音を上げながら派手に崩落を起こした。
「ぐッ……が……⁉」
大きく重い岩の塊が足元を派手に揺らし、崩落の衝撃で濃い土煙が立ち上ってカイの視界を完全に閉ざす。
細かな砂や細礫の粒子が気管に入り込んで激しく咳き込みながらも、地面に手足を突いてどうにか立ち上がった。
「ゲホッ……。おい、シエラ……! シエラ、無事か……⁉」
しつこく視界を遮る砂煙の中、少女の名を呼ぶ。
しかしいくら呼べども、ある筈の返事はいつまで経っても返って来ない。
冷汗がカイの背中を伝う。
最悪の展開が頭を掠め、その現実味に血の気が引く感覚を覚える。
「シエラ‼ 聞こえてるんだろ⁉ おい、返事を――!」
焦燥に駆られて再び声を上げたその時、洞穴に吹き込んだ風が砂塵のスモークを浚う。
曇りが晴れて開けた視界の先には――
「――ッ⁉」
――最も恐れていた光景が、無情な程鮮明に広がっていた。
積み重なるのは重く歪で巨大な瓦礫の山。
洞穴の天井を形作っていた岩肌や地上の建物の材木の塊などを無造作に混ぜ込んだそれは、壊れかけの巨龍の結晶以外に何も無い洞穴に佇む巨大なオブジェの様。
そしてそのオブジェの下――巨大な岩の塊の足元には、得物を手放し、細かな礫片や砂塵に埋もれて力無く地に伏せるシエラの細い腕が見えた。
「シエラァァァァァァァァァッ‼」
痛みを押し殺し、まともに平衡もとれぬまま倒れ込む様にして少女の元へと駆け寄った。
「シエラ‼ なぁ、シエラァッ⁉」
この期に及んでもなお語りかけて来る〈レスレティクト〉の声に意識を持っていかれそうになりながらも気力を振り絞り、必死に少女の身体に被さる瓦礫片を取っ払う。
これまで発した事も無い様な痛烈な声音を上げながら、無我夢中で手を動かした。
礫片に混ざった木材のささくれが手指を突き刺し、重たい岩石に指を引っ掛けて振りを付け、体重を乗せて力ずくで引っ張った瞬間、岩の凹凸に引っ掛かった指の爪が軽く剥がれかけて血が滲む。
貧弱な人間の身体を必死に動かし、やっとの思いで少女の身体に覆い被さる礫片を全て取り去った――
「……ッ‼」
瞬間、カイの顔が凍り付いた。
(嘘…………だろ……?)
最悪も最悪。これが悪い夢であるなら今すぐ覚めてくれと、痛烈に願った。
一際大きな岩の塊が、シエラの右脚を押し潰している。
溢れ返った血だまりはなお地面を侵食し続けており、暗い景色の中に血の赤色が嫌な程鮮明に映り込む。
「……ぁ……」
「ッ⁉ シエラ、気が付いたか⁉ おい⁉」
血だまりに倒れ込んだ少女の喉から発せられた弱弱しい声が、凍り付いていたカイの意識を現実に引き戻した。
うつ伏せに倒れるシエラの瞳が薄く開けられ、虚ろな視線がカイの眼差しと交錯した。
「カイ……。よかっ、た……無事、だった……」
「喋るな! 待ってろ、すぐに……ッ!」
霊力を熾し、龍の姿へと変化する。
しかし――
『……ッ⁉ くっそ……が……‼』
龍鱗を展開し岩石を砕こうと力を熾すが、霊力を熾せば熾す程に龍化で敏感になった感覚がより鮮明に〈レスレティクト〉の声の影響を受け、がくりと膝を突いてしまう。
浮かび上がっていた龍鱗の光も霧散し、光の粒が虚空に溶けた。
『シエラ……、もう少しだけ……!』
それでも、力ずくで岩を退かすべく〈カイ〉は動く。
前脚の爪を引っ掛け、白鱗の身体を岩肌に打ち付けて抵抗を続けるが、一つ一つが重たい上に幾つも重なり合った岩石はびくともせず、その間にも溢れる血は止めども無く流れ続け、従う様に少女の体温も熱を失ってゆく。
ブレスの一つでも吐ければまた状況は違ったのかもしれないが、今の彼は龍の姿を維持するだけでも相当に巨龍の影響を受けている故、そうもいかない。
焦燥がその瞳に滲んだ。
『――オォォォォォォォ――――』
『――!』
更にそこに追い打ちをかける、使徒型の一撃。
龍鱗を展開――しかし、再び淡い粒と消え果てしまうそれは目論見通りの壁を作り出すには程遠い。
『クソ……ッ!』
苦し紛れに、シエラの上に自身の身体を覆い被せる。
〈カイ〉の身体は腐ってもアヤカシだ。
多少の攻撃くらいで壊れる程の脆さではない。
来る衝撃に備え、全身に力を込めたその矢先――
『なッ――⁉』
外部――第三者の霊力の気配と共に〈カイ〉の頭上に障壁が展開され、アヤカシの攻撃を相殺した。
予想だにしていなかった乱入者、その正体は――
『族長……』
見紛う筈も無い、隻腕の老翁。
そんな〈カイ〉の呟きに反応したシエラが、焦点の合わない視線を祖父へと向ける。
「お爺……ちゃん……」
「また、自身を顧みる事無く無茶をして……。お前は本当に父親に似て育ったな……」
虫の息の孫娘を見るジンダイ自身もまた、深い傷を負っていた。
纏う衣服はボロボロで、土汚れや血の痕にまみれている。
先の神殿を狙った崩落に巻き込まれたのだろうか、全身に切り傷や打撲の痣を作り、白髪の頭には赤い血の色が滲む。
そして神殿の壁に使っていたのであろう石材が砕けたと思われる鋭い石の欠片が、丁度腰の辺りから生えていた。
傷は深い。出血も止まらない。
明らかな致命傷――既に、救命の余地は残されていなかった。
「いや……私も、他人の事を言える立場では……ないか……」
弱い笑みを浮かべると、自身の霊具でもある杖の先を孫娘の上に居座る目障りな岩石に突き立て、
「は――ッ!」
一息の呼吸と共に、霊力を爆発させて杖の先を突き込んだ。
大きな亀裂が幾筋も走り、迸る霊力が岩肌を内側から引き裂き、砕いて、破壊する。
強烈な霊力の閃光が止んだ後には、重しが取り払われて砕けた瓦礫の中にうつ伏せに倒れるシエラの身体があった。
潰された脚の生々しい惨状が見るに堪えぬ有様であったが、それでもまだ息だけはあった。
「ぐぅ……ッ」
しかし重傷を負っているのは何もシエラだけではない。
ジンダイが短い苦悶を発するや、がくりとその膝を折って座り込む。
腰から下を血で染め上げる程の大量出血。
それだけでも十分致命的だったにも関わらず、先程の強烈な霊力の解放。
霊力とは一口に言えば生命力そのものなのだ。
だというのに、致命傷を負い衰弱した所に重ね掛けての先の荒業である。
術者本人にのしかかる反動の大きさなど、語るまでも無かった。
「……シエラ……」
それでも彼はしっかりとその足で地を踏み締め、その場所に立っていた。
〈カイ〉も、孫娘であるシエラでさえも見た事の無い様な、悲愴な表情を浮かべながら。
「お前は私にとってはただ一人の……かけがえのない大切な存在だった。不甲斐無い私に残された、たった一つの宝だった……。お前が生きてくれている。ただそれだけで、私にとっては十分過ぎる幸せだった……」
血の気の無い顔で、ジンダイは語る。
乾いた唇が、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「だというのに、ベルディが死んでから……私はお前を遠ざけてしまった……」
「私は、弱かったのだ。集落の皆に事の真相を――世界の真実を明かす事を恐れ、秘匿を貫いてきた結果、こうして皆の間に混乱を招き入れ……。民を護る力――この〈レィミア〉を護る為の力を欲した結果、集落を分裂させて……。結局、何も成せなかった。何も、出来なかった……」
二の腕より先の欠損した、自らの左腕を一瞥する。
「この怪我で一線を退く事となり、ベルディに――息子に頼らざるを得なくなった結果、その息子を失い……悲嘆と焦燥に駆られて。そしてその娘であるお前にも、辛い思いをさせてしまった……。本当なら、親を失い、誰よりも悲しみに駆られていた筈のお前の手を取り、祖父として……残った家族として、誰よりも親身になってお前を支えるべきだと、分かっていたのに……」
――できなかった。
どうしても、この場所を護る事に固着してしまった。
だって、この場所を残す事が――。
「この〈レィミア〉だけが――お前がお前の大切な者達と生きていける場所を残す事だけが、私からお前に与えてやれる、たった一つの事だったから――」
ジンダイの頬を、温かな涙の雫が伝う。
老翁の乾いた肌を滑る雫が、一つ、また一つと血だまりの地面に落ちて行く。
「おじい…………ちゃ、ん……」
知らなかった。思いもしなかった。
あの、いつも堂々としていて、誰よりも強いと思ってきた祖父の胸中に、そんな苦しみが――そんな葛藤があったなんて。
その大きな背中の裏側に潜んでいた自らの弱気を、ずっと一人で抑え込んできていたなんて……。
「…………ぁ……」
声が掠れる。
ただでさえ見え辛かった視界が余計にぼやける。
それでも、言わなきゃいけない。
伝えなきゃいけない。
この胸にぐるぐると渦巻く想いを、此処に居る大切な家族に、届けなきゃいけない。
「おじいちゃん…………ごめんね……。わたし、何も分かっていなかった……。たった一人の家族なのに…………分かって、あげられなかった……。ずっと、ずっと……」
首を横に振り、ジンダイが微笑んだ。
「お前が……カイと生きる事を真に望むのであれば、それを貫き通せばいい。これからは、私ではなく……お前の時代だ。お前の思う世界を……お前の思うやり方で、創り上げて行けばいい……」
――最後に。
ジンダイの頭が持ち上がり、一歩引いた所で二人の行く末を見守るカイの方へと向けられた。
「……カイ。お前にも、本当に辛い思いをさせた……。私達の都合で勝手にお前を造り出し、そして勝手に、お前をこの場所に閉じ込めようとした。そんな私に、こんな事を口にする資格など無いが……その上で……それを承知した上で、一つだけ……頼みを聞いてくれないか……?」
ジンダイは、自分はカイに恨まれていると思っているようだが、それはただの杞憂だ。
むしろ感謝している節もあるくらいだ。
――だって、そうだろう。
ジンダイが彼を造ったからこそ、カイは今この大地に立っている。
大切な記憶を、思い出を、仲間を得る事ができた。
そしてかけがえのない、たった一人の少女と、同じ時を歩む事ができた。
本来、生まれるはずの無い命であったはずの彼が、これ程のものを、これ程の幸せな人生の欠片を得られた。
それは紛れも無く、ジンダイがカイを造り出したからこそ得られたもの。
経緯がどうであれ、そうして自らを生み出してくれた者に対して、どうして恨みや辛みを抱く様な事になろうか。
「どうかシエラを……そして〈レィミア〉を、この窮地から護って欲しい。私がこの子に残してやりたかった、たった一つの場所を――……」
その返答に対して、迷う余地など何処にも無かった。
『――お任せください、族長。俺の全てに変えても…………必ず――』
だからこそ、カイはジンダイの要求に対して、間を置くまでもなく頷いた。
「そう、か。――――ありがとう」
それはカイに対して、ジンダイが初めて見せた心からの笑みだった。
そしてその笑みを掻き消すかの如き強烈な光が、彼らの頭上に閃く。
「――むん……ッ!」
再び、ジンダイが霊力を熾す。
天井の大穴を丸々塞ぐ程の大規模な障壁が、雨の如く降り注ぐ使徒型の光条を正面から迎え撃った。
反発し合う霊力は大量の火花を吐き散らし、その余波がただでさえ脆くなっている天井の岩肌を削り込んでパラパラと崩れ出す。
「――カイ……!」
『――ッ!』
ジンダイの瞳が〈カイ〉を射貫く。
言葉など発するまでもなく、意図を酌み取った〈カイ〉がすぐさまシエラの身体を前脚に掴み、飛び跳ねる様にして横っ飛びに退避した。
ピシ……ピシ、ピシピシピシッ。
嫌な音が、頭上より響き出す。
(嗚呼……シエラ……。私の――最後の家族よ――……)
朦朧とした瞳の中に確かな悲しみを浮かべた孫娘の蒼い顔が、光に呑まれゆくジンダイの視界に映る。
後悔に後悔を重ねた人生の終着点――最後に想うのは、たった一つの素朴な願い――。
「いつまでも――――元気で――……」
障壁を破り降り注いだ光の奔流がジンダイを――そして殺風景な洞穴に佇んでいた巨龍の結晶までをも呑み込み、地を穿つ光線の嵐が奏でる轟音が洞穴全体を強烈に揺さぶる。
岩の足場が削れる音と、結晶の砕ける破砕音が慌ただしく轟く。
瓦解していく天井。
落下して来る無数の瓦礫の山。
その全てから腕の中の少女を護るべく、洞穴の隅の方まで逃げ込んだ〈カイ〉は必死に身体を丸める。
濛々とした砂塵が辺り一帯を埋め尽くして。
やがて、唐突な静寂が辺りに満ちた。
『……ッ』
全身に込めていた力を抜き、鎌首を上げて周囲を見渡す。
「あ…………ぁ……」
その龍の腕の中では、言葉を失ったシエラの呟きが、小さく、細切れに漏れ出でる。
歪に、荒々しく削り込まれた岩盤の地面。
崩れ落ちた天井から覗く曇天には、先の攻撃であらかた落とされたのだろうか――霊力を放つ人々の姿は既に見えない。
陥没した着弾地点にジンダイの姿は跡形も無く、代わりに一つ光を弾く小さな楔が――封印の呪楔が一つ、削り飛ばされた地面に取り残されていた。
その脇では、全身を包み込んでいた霊力の結晶を粉々に砕かれ、無防備な身体を細切れの様に破壊された〈レスレティクト〉の残骸が、光の粒子へと少しずつ還りながらバラバラに散らばっていた。
外部からの強大な霊力によって、対象の霊核の活動エネルギーを強制的に封じ込める技術――封印による大きな負荷に晒され続けていたその身体はとうに、器としての形の維持以外の機能を失っていたのだ。
そして砕けた巨龍の骸の中には、未だ小さく発光を続けている〈レスレティクト〉の霊核が、唯一損傷を逃れて転がっていた。
(〈核〉が……砕かれた、のか……)
その事実を認識すると同時に、〈カイ〉はふと、足元の小さな揺れと、天井の大穴から覗く空には、天に上る白き灰を。
そして遠くから聞こえた、僅かな崩落音を感知した。
(…………そうか。〈核〉が壊されたから……)
世界の崩壊の進行と、〈レスレティクト〉の再生が拮抗する事で、今の〈レィミア〉は成立していた。
それが再生側の破壊によってパワーバランスの均衡が崩れ去った事により、〈レィミア〉の崩壊が始まったのだ。
きっと巻き上がっている灰は、大陸が崩壊によって白灰へと消失したもの。
先の揺れと崩落音は、灰の海に面した外側部分の決壊によるものだろう。
きっとこのままでは、〈レィミア〉はいずれ完全に灰の海に還る。
自分たちの故郷であるこの場所が消える。
ここに生きる人々も、獣も、植物達も。
その全てがこの崩壊に巻き込まれ、死滅する事だろう。
…………。
………………。
……少し、思い淀む。
(……仮に、それでここを捨てて、何処か別の場所に生きる世界を見付けたとして……。果たして俺達は――それを本当に幸せと謳歌できるのだろうか……)
何百何千何万という犠牲を見捨てて得た未来で。
それを幸せだと、思えるのだろうか。
(――っ……)
この大陸を救うべく己が執るべきたった一つの手段なら、既に検討は付いている。
そしてその結果として我が身に降り掛かる代償も、訪れる未来と手放す未来も、明確に見えている。
〈カイ〉の良心と、心に刻んだ約束が。
――先程、ジンダイに言い渡した宣誓が。
――シエラと、一緒に居ようと交わした契りが。
カイの中で、複雑に絡み合い、ほつれ合い。
冷たい鎖となって、その心を。その身体を。キリキリと締め付ける。
(…………あぁ……もう、どうして俺って奴は……ッ……‼)
ぐっと、生え揃った牙を噛み締める。
翡翠の瞳が苦悩に歪む。
どうしようもない位に、自分で自分に腹が立って仕方が無い。
……こんな事を平気で考え付く自分が、酷く浅ましく思えて仕方が無かった。
こんな考えを思い浮かべさえしなければ、何も苦しい思いをせずとも自分の心に従えたのに――。
ここまで来て、自分の心に鞭を打つような真似をせずとも済んだのに――。
血を吐く様な葛藤。
泣き出したくなる様な苦悩。
口をつきそうになる嗚咽を、必死に喉の奥へと呑み込んで。
そして――彼は動いた。
『……ごめんね。シエラ』
「カ……イ……?」
少女の身体を地面に横たえて、ゆっくりと身体を引き剥がす。
零れ落ちる少女の涙を、鼻の先で軽く拭い。
そして一度だけ――ほんの少しだけの口付けを、その唇に落とした。
「……ッ! カイ……!」
不安と予感に掻き立てられて見開かれる瞳――その視界を覆い隠す様に、突顎の口先を放してシエラの額に己の額をくっ付ける。
『やっぱり俺には……誰かを見捨てて自分の幸せを勝ち取る事は、できそうに……ないや』
「ダメ……」と力無く、掠れる声で訴える少女の声に、僅かに微笑む。
震えるシエラをその場に残し、カイはすっと立ち上がる。
そして数歩程歩みを進めると、一つの物をその口に咥えた。
『だから――――ごめんね――……』
僅かに震える声でそう言い残し。
咥えた物――〈レスレティクト〉の霊核を、一口で飲み込んだ――。
『ガッ…………あああああああああああああああぁぁぁぁァァァァァァァァァァッッ‼』
全身を貫く激痛に、雷轟の如き絶叫が迸った。
〈カイ〉本来の霊核を巨龍の霊核が呑み込んで一体と化し、新たな霊核から沸き起こる膨大な霊力の奔流が、カイの全身を駆け巡る。
本来の許容を越えたエネルギーと、急速な身体の変化が、カイの全身に激痛をもたらす。
急速に結晶化した霊力が頬を、手足を、そして白龍の背中までをも乱暴に食い破った。
抑えの利かないエネルギーが龍鱗となり、その体中から花吹雪の様に溢れ出す。
「カイ――……」
零れ落ちたシエラの声に応える事も無く、暴風と共に、〈カイ〉が飛翔した。
先程までとは――少し違う。
その背に走る彩色の体毛の中には不規則に並んだ結晶の背ビレが覗いており、身に纏う龍鱗一つ一つに至るまでがまるで別物の様にその煌きを増している。
龍の象徴とも呼べる頭角はよりその鋭さと長さを増し、雄々しき獣の圧倒的なまでの雄志を見事なまでに体現する。
輝く翡翠の瞳は舞い上がるその視線の先――使徒型の巨大な輪郭を睨み付け、翠白の身体は曇天へと飛翔する。
その容姿は何処となく、本来の〈カイ〉の姿である〈レスレティクト〉のそれに近付いていた。
『ォォォォオオオォォアァァァァァァァァァ‼』
迫り来る龍を見、使徒型が叫んだ。
――ヒュオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォオッ‼
眼前の宿敵との決着を着けるべく、〈カイ〉が咆えた。
降り注ぐ光線の数々。
天より注ぐ、黄金の嵐。
その全てを、蒼きブレスが一瞬の内に薙ぎ払う。
撃ち落とすのでも、打ち消すのでもない。
一方的に――消し去った。
上昇する〈カイ〉の全身の龍鱗が一気に逆立ち、その全てが龍の咆哮と共に、数多の閃きを放ちながら一斉に使徒型に向けて放たれる。
その威力も、速さも、礫の手数も、以前の〈カイ〉の比ではない。
それはまるで、全天を埋め尽くす流星の豪雨。
ただの一発たりとも地上に使徒型の攻撃を落とさせまいと、礫の光条がことごとく、降り注ぐ黄金の光に肉薄し、ぶつかっては爆ぜて、虚空に爆炎の華を咲かせる。
地に這う者達が、〈レィミア〉に生きる全ての生命が、皆一つの例外も無く、連爆の咲き乱れる空を見上げていた。
小さな世界を護り抜こうと、文字通り命を懸けて抗う龍星の光を、その網膜に焼き付けていた。
『が……あああぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼』
繊細な糸を縫い合わせるかの様に、休む間もなく降り続ける敵の攻撃の只中を、〈カイ〉はひたすら、前に前にと突き進む。
その自爆特攻の様な進撃で、当然何の被弾もしない訳がなく――。
光線の直撃を受けた胴体に、大穴が穿たれた。
横薙ぎの熱線により、白き身体がバッサリと分断された。
細い手足が、降り注ぐ光に呑まれて溶解した。
空中で爆ぜた光線の爆発が生え揃った龍鱗を乱暴に吹き飛ばし、細長い〈カイ〉の身体の半分近くを肉片へと変えた。
研ぎ澄まされた鋭い一撃が、龍の眉間を的確に射貫き、脳を焼き焦がした。
極太の熱線が龍を呑み込んで、その全身を凄絶なまでに溶解し、焼き払った。
それでも、龍は止まらない。
どれだけ傷付こうと、どれだけ苦しもうと、決して落ちる事は無い。
それどころか、飛翔する〈カイ〉の、使徒型によって損傷を受けた筈の身体には、その損傷の痕跡が一つとして見受けられない。
〈レスレティクト〉の霊核を取り込んだ事で、〈カイ〉自身にも再生の力が発現しているのだ。
その能力が、〈カイ〉の身体が損傷を受けたその端から即座に再生を発動させ、あらゆる外傷を無へと帰する。
最早今の〈カイ〉は、霊核への直接攻撃による破壊――即ち、即死以外では殺される事は無い。
霊核を破壊されない限りは、決して死ねない――そんな身体へとなり果てていた。
一見すれば完璧に近い能力かもしれないが、これには一つだけ、欠点があった。
外傷を無かった事にし、死を回避する能力、再生。
――つまり、いくら傷が癒えたとしても、傷を負う度に全身を駆け巡る『痛み』までは、無効化できないという事。
脳を焼かれ、全身を穿たれ、幾千万回もの死に値する程の痛みを受けてもなお、頑なに『死』という安息を受け入れる事ができないのだ。
痛い。苦しい。辛い。怖い。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイ。
意識を漂白する激痛の連鎖。
あと一歩踏み外せば、狂乱と狂気に堕ちてしまいそうな程の、壊乱とした精神状態。
それでも――全身を無茶苦茶に引き千切られる様な、常軌を逸した苦痛に苛まれようとも。
カイの中で滾る、『大切なモノ達の為に』という強く熱き心が、自身の安息を叫ぶ己が無意識を力ずくで黙らせる。
逃げ出そうとする身体を、強引に前進させていく。
『――――――――‼』
使徒型の外殻が霊力を活性化させ、その下側の半球が再び、鋭く伸びる結晶棘の山へと変貌を遂げる。
つい先刻、〈カイ〉の身体を穿ったそれを前にして、龍の身体が加速した。
先は不意を突かれたものの、一度見てしまえは、最早その対処に困る事は無い。
――穿撃の体勢。
『おおおおおおおおおおおおおおおおッッ‼』
荒々しくも美しいポイント型の結晶の山に、翠の彗星が激突した。
連なる巨大な棘と棘の間に生まれた谷間を狙い、結晶をぶち壊しながら〈カイ〉は進む。
削り込まれ、砕け散った結晶の欠片が、ガラス片の様にキラキラと白い光を放ちながら、荒れ果てた地上に降ってゆく。
分厚い結晶の殻を破る度、新たに現れる結晶の錐体部分が無数の棘となり、〈カイ〉の纏うエネルギーの奔流を貫いて、白い身体に突き刺さる。
そして、自身を突き貫いた結晶棘を渦巻くエネルギーの奔流が砕き、〈カイ〉は着々と結晶殻の大地を削っていく。
『あと…………もう少し……っ‼』
密集した周りの結晶に爪を立て、固い地面を掘り進むかの様に、一つ、また一つと、結晶殻の層を砕き。
――ビシィィィッ‼
と、一際大きな亀裂が、〈カイ〉の視界に映った。
『――ッ! これでぇぇぇぇぇぇッ‼』
ありったけの力を、振り絞った。
滾り続ける穿撃のエネルギーを、牙を剥き出したその頭部を、亀裂の間へと捻じ込んだ。
そして、使徒型本体への道を阻む最後の壁が、反響を孕む大音量の破砕音を奏でて砕け散った。
『――これが……!』
入り込んだ結晶殻の内側は、巨大な空洞となっていた。
内部に満ちるのは、見渡す限りに広がった不思議な彩色光。
外装の結晶殻からは幾つもの結晶の支柱が伸びており、空洞の中心に佇む一つのモノへと集結している。
そしてその中心には見慣れ、そして傷付いた、紫の身体があった。
『シュルルルルル…………』
先日、〈カイ〉によって突き飛ばされた使徒型。
片方の翼を奪われ、自慢の太尖角まで折られ。
戦闘能力の大半を失った身体そのものを、巨大な結晶殻を維持する為の特大の霊核へと変貌させた怪物が、そこに居た。
紫の表皮は、既にその八割以上を結晶体により覆い尽くされている。
辛うじて動く頭部と、結晶の浸食により隻眼となった右の眼が、体内へと侵入した憎き白龍の方へと向けられた。
『ゲ……オォォォォォォォォォォォォ‼』
掠れ、歪んだ、不協和音の咆哮が、だだっ広い空洞の中に反響した。
『……よお。また会ったな』
〈カイ〉はただ静かに、
『わりぃが、〈レィミア〉(ここ)を壊されちゃ困るんだ』
囁く様に、呟いた。
『だから今度こそは――キッチリ殺してやるよ』
そして、動いた。
それからの決着は、ものの十秒とかからなかった。
半分以上結晶に呑まれた片翼と、無残に折られた角の先から撃ち出される迎撃の光線が飛翔する〈カイ〉に集中する。
しかし、既に半分以上が霊核そのものへと変化していた本体の有する攻撃性能など、最早〈カイ〉の恐れるに足るものではない。
身を翻し、龍鱗で攻撃の全てを打ち消し、掻い潜って本体へと接近。
途中で放った二本のブレスが、使徒型の頭部と残りの翼を的確に潰した。
そして残った胴体にしがみ付き、密着。
その牙の内側に、揺らめく強烈な蒼い煌きが覗いた次の瞬間。
『――ッ‼』
ゼロ距離からの完全臨界ブレスが迸り、使徒型の全てを、蒼炎の彼方へと消し飛ばした。
轟音と、悲鳴にも似た超高音。
そして重く低い軋みが、宙に浮く巨大な球体より漏れ聞こえた。
やがてその外殻の至る所に亀裂が生じ、その合間から煌々とした蒼の煌きが垣間見え。
そして一気に、使徒型の全てが光の粒子へと還り、強烈なフラッシュを伴って爆ぜた。
強烈な爆風が地上の瓦礫を吹き飛ばし、全天にかかっていた黒雲の空に大きな晴天の穴を開ける。
急に射した太陽の光に目が眩み、横倒しに倒れたまま空を見上げていたシエラは眩しそうにその目を細める。
次第に瞳がその明るさに慣れ、開けた視界の先に浮かぶ景色は――。
粉雪の様に儚く、脆く、ふわふわと舞い落ちてゆく霊力の粒子。
荒廃とした〈レィミア〉の大地は崩され、焦がされ、見るも無残な有様と化しているが、〈核〉の破壊により始まっていた、陸地の白灰への帰化現象は既に収束の兆しを見せており、舞い上がる灰の粒はもうほとんど見受けられない。
そして天井の穴から覗く晴天の最中に、陽の光を浴びながらこちらへと降下して来る龍の姿を認めた。
「……カイ……」
ゆっくりと、〈カイ〉がシエラの側へと降り立つ。
伸ばされた少女の手が、そっと龍の身体に触れる。
陽の光に照らされた龍の全身の龍鱗はまるで澄んだ水面の様な煌きを帯び、身体の各所からは鱗に混じり、翠色の結晶が生えてきている。
『――動かないで』
そう短く囁くと〈カイ〉は、無残に押しつぶされて血に染まり上げているシエラの右脚に自身の口先をそっと押し当てる。
骨格どころか神経さえも擦り潰されて最早何の感覚も無かったシエラの右脚であったが、やがて龍の口が触れた部分を中心として淡い光が脚全体を包み込むにつれて、次第に失われた感覚が回復していくのが朦朧とした頭でも理解出来た。
時間にしておよそ十秒にも満たない短い時間の後、光がふわりと消えたその後には、押し潰される前の色の白い少女の健康な脚部が再生されていた。
これでもう、シエラの命が危険に晒される事は無い。
「ありがとう……。カイ……」
口を放した〈カイ〉はゆっくりと顔を動かし、少女の顔の近くまで持っていく。
『シエラ……』
虚ろな呟き。そして何処となく寂しそうな声と、愁いを帯びた瞳。
脚を畳んで座り込んだ〈カイ〉の頭を、シエラが愛おし気に抱き締める。
『…………ごめん。約束、守れなかった……』
「え……ッ……?」
見開かれる灰色の瞳。
やがて一拍遅れてその言葉の意味を理解し、シエラの表情が苦痛に歪む。
恐る恐るといった様子で、シエラがカイの胸元に視線をやる。
左胸――丁度、〈カイ〉の霊核の位置する所に生えた小さな結晶。
握り拳一つ分程の塊であるそれが、パキリ、と小さな音を立てる。
「……!」
そしてその音が一度鳴る度に、〈カイ〉の翠白の身体が段々と、結晶体に呑まれていくのが見て取れた。
「……これ、は……」
『決まってる。〈レスレティクト〉の霊力の所為さ……』
淡々と、〈カイ〉は自身の身に起きている事態について語る。
『俺は、〈レスレティクト〉の劣化コピー。つまるところ、同質であって、同格の存在ではない。本来の持ち主よりも明らかに格下の存在である俺の力では、この霊核の放つ力に抵抗し切れない――力を抑制しきれないんだ……。だから、抑えきれずに溢れ出して結晶化した霊力がこうして俺の身体を食い破って来てるし、さっきの戦闘だって、俺の意識とは関係なくこの再生能力は勝手に発動し続けていた。霊核の依り代となっても、今の俺には、この霊核を完全に制御する事は――できない……』
つまり、半暴走状態。
制御の効かない能力を極力、己の内側に必死に閉じ込めているのが今の〈カイ〉の現状だった。
『そして……この力を制御するには――コレを使う他に無い』
そう言って〈カイ〉が前脚に握っていた物を地面に置く。
それはジンダイが残した――封印の呪楔。
「……」
そしてその行為が示唆する未来は――その結末は、少女にとっても龍にとっても、あまりにも残酷なものだった。
「だ……め」
弱い呟きが、震える声音が、掠れた空気が、シエラの口から零れ落ちる。
力の入り切らない小さな手が、龍鱗に覆われた龍の身体を必死に掴む。
いや……嫌だ……。
約束したのに……一緒にいようって……。
やっと、やっと……カイに私の気持ちを……打ち明けられた、ばかり、なのに……。
まだ…………これからなのに……。
ダメ……行か、ないで……。
私はもう…………大切な人を、失いたく――……、
(……あ、れ……?)
不意に、全身から力が抜ける様な感覚がシエラを襲う。
しかしそれは先程まで感じていた様な、冷たくひんやりとした暗転とはまた違う。
強烈な眠気にも似た、抗い難い疲労感。
(どう、して……?)
あれほどの重傷を、あれほどの失血を、〈カイ〉はものの十秒足らずの内に完全に治して見せたのだ。
あまりにも急激な状態の変化――そしてそれに順応する為にシエラ自身の身体に掛かる負担は、当然多大なものとなる。
まして彼女はアヤカシなどとは程遠い、普通の脆弱な生物種なのだ。
抵抗出来ぬのは、むしろ必然とも言える結果だった。
(い、や……ッ! ここで、意識を手放したら……)
カイを引き留めていられなくなってしまう……!
――お願い…………今だけでいい……から……、
鱗を掴む手が、力を無くして落ちる。
――今だけは……この手を……、
震えながらも地を這って伸ばされた手が、ゆっくりと〈カイ〉の前脚に重ねられる。
――カイの手を…………手放させないで――――…………。
細い指で、きゅっと龍の前脚を握り締める。
「行か……な、いで……」
しかしその言葉が実を結ぶ事は無く、一瞬感じた温もりと共に手の中の龍の脚の感触が消えて――、
「――あ――……」
次の瞬間には、シエラの身体は燐光の花吹雪の中で、翠の髪の少年の腕に抱き締められていた。
「……ごめん……。ごめん……シエラ……」
耳元で囁くその声は、聞くに耐えないくらいに弱弱しかった。
そこに込められているのは他でも無い――非業を背負ってしまった少年カイの、嘘偽りの無い生々しい感情そのもの。
「俺もずっと……ずっと、シエラと一緒にいたかった……。君の側でずっと、君の温かさに触れていたかった……。でも、俺には……」
目の前で、少年の背中が震えている。
その背中には無茶の代償か――幾つもの翠色の結晶が、背中を突き破る様に頭を覗かせていた。
それだけではない。
寄せ合う頬にも、破れた装束の端から覗く腹部にも、少女を抱き締める細腕にも――その身体の至る所を霊力の結晶が無残に食い破っていた。
「この場所に居る皆を見捨ててしまう事が、どうしても…………どうしても、できなかった……。多くの仲間を犠牲にして、自分の未来を掴む覚悟が――非情を貫くだけの心が……無かった……」
翡翠の瞳から涙が零れ、シエラの肩を暖かく濡らした。
しかし今のシエラには――再生の反動がピークに達し、抱き締めてくるカイの背に回す腕にさえも力が籠らなくなってしまった彼女にはその温もりさえも、おぼろげな――微睡みの様な感覚にしか感じられなかった――。
「そんな……そんな俺自身を、俺は許せない……。大切な人との約束一つ守れない自分が、どうしようもなく情けないと思う……。だからシエラも……俺を許せなくても構わない。後でどれだけ俺の事を責めてくれたっていい……。でもせめて……これだけは、伝えさせて欲しい――」
「――――カイ――…………」
少年の腕の中で、最愛の人の温もりに包まれながら――。
少女の瞼は、ゆっくりと落ちて行き――、
「本当に――――愛してるよ――シエラ――――……」
やがて意識は、深い闇へと落ちた。
◇
「……そろそろ出て来いよ、ヴェネト」
「……バレてたか……」
眠りに就いたシエラの身体を優しく横たえて、カイは後ろを振り返る。
そこには貫かれた脚を引きずり右腕を押さえながらも、苦笑を浮かべて立つヴェネトの姿があった。
「最初っから気付いてたっての。あんまり甘く見るんじゃねーよ」
「へへっ……そりゃ失敬」
静けさを孕んだ洞穴の中、二人の男は互いに笑みを零す。
そうして笑うカイの姿を見て、ヴェネトの胸はキリキリと締め付けられる様な息苦しさを訴えかけていた。
霊力が溢れた結果、人としてのカイの身体はその負荷に耐えられずに崩れかけている。
それが一体、どれ程の無茶を重ねた結果なのか――巨龍を取り込んだ〈カイ〉の最後の飛翔を直に見ていたヴェネトでさえ、それを想像する事は出来なかった。
「お前……本当は俺達がまた戻って来るって分かって送り出したんだろ?」
唐突にカイが問い掛ける。
対するヴェネトは、小さく肩を竦めて肯定を返す。
「そりゃまぁ……ちょっとは、な。……期待はしていた。大規模な襲撃になれば、どうせ何だかんだ言いながら来るだろうとは思ってた。何年一緒にいると思ってんだ」
「全く、いい性格してやがるな――お前は……」
「そりゃ、仮にも兄貴だからな」
「……道理だな……」
二度、笑う。
声質も顔立ちもよく似た二人の男は、二人揃って愉快に笑って。
そうして暫く笑い合って、一つ息を吐いて。
「ここに来たって事は――どうするべきか分かってるんだな?」
「――あぁ」
静かな視線が交わる。
最早それ以上に、言葉などというものは必要なかった。
ゆっくりとヴェネトがカイの側まで足を進めて、日光を弾く小さな楔を受け取る。
片手に持てる程の大きさでしかない楔の重量が、やけに重く感じられた。
「お前の後は――俺が継いでやる。この身に変えても、絶対にこの世界を護って見せる。今はこんな有様で説得力の欠片もねぇだろうが……」
「頼りにしてるぞ――兄貴?」
「うるせぇ。あと兄貴じゃねぇ。アルトは俺の事を兄さんって呼ぶんだ。また会う時までにその辺、もうちょっと練習しとけよな」
「――分かった。直しとく」
そこまで話して、カイは瞳を閉じた。
光が舞い、アヤカシの力を全面的に開放し、翠に煌く白龍へと姿を変える。
その左胸――一段と霊力の結晶が密集している〈カイ〉の霊核部分に、ヴェネトが封印の呪楔を突き立てた。
「おやすみ……カイ」
『あぁ。おやすみ――……』
穏やかな顔で目を伏せた〈カイ〉の霊核に、楔を押し込んだ。
結晶も龍の鱗もある筈なのに、不思議と楔は何の抵抗も無く、まるで溶ける様にすんなりと楔は〈カイ〉の胸の中に入り込む。
――変化は、すぐに訪れた。
〈カイ〉の身体をゆっくりと侵食し続けていた霊力の結晶は緩やかにその侵攻を止め、繭が閉じる様に身体を丸めた〈カイ〉の身体を中心に、温かな光の渦が巻き上がる。
燐光と龍鱗の混在した、煌びやかな花吹雪は天へと昇り、曇天を押しのけて、次第にその輪を〈レィミア〉全体に広げていく。
〈核〉となった〈カイ〉を起点に巻き起こった光の嵐は、その輝きに呑まれた全てを修復し、再生し、元あった〈レィミア〉の姿を取り戻させてゆく。
抉られた大地も。
吹き飛ばされた家屋も。
水の枯れた河川や湖も。
業火に呑まれ、焼け爛れた森も。
灰へと帰し、消滅してしまった陸地も。
そして〈レィミア〉中に溢れていた、あらゆる生命の傷跡さえも。
その全てが光に照らされ、光に溢れ、光を受けて再び立ち上がる。
これを奇跡と言わずして、何と言おう。
これを救済と呼ばずして、何と呼ぼう。
それは〈レィミア〉を照らす、祝福の光。
今一度崩壊の渦中に落ちながらも、再び生き残る道を歩むに至った旧世界の残渣を包み込む新たなる希望の光。
――そしてその光の中心で、膝を突いた青年は眼前で巻き起こる奇跡の連鎖に胸を打たれ、光の舞う空を空虚に見上げて――。
光に包まれ眠る少女の頬には、零れ落ちる涙の雫が閃いていた――――。
◇
――あれから、時は流れて。
最期にカイが居た時から数えて八回目の『誕界ノ宴』の季節が、〈レィミア〉にやって来た。
つい先日も、巨大な使徒型の襲撃があったばかりだというのに、人々は皆、それが嘘であったかの様に、ひたすら宴の準備に奔走している。
山にはきっと今頃、ヴェネトが仲間を引き連れて狩りに行っているだろう。
神殿の前の広場では、女達がせっせと大釜の鍋を使って食材達と激闘を繰り広げ。
田園では豊作となった作物を収穫した男達が、汗と土にまみれながら、採れたての野菜達を運搬して。
そんな大人達の側では、大勢の子供達が待ちきれないと言わんばかりの大騒ぎを繰り広げているのだ。
「……ふふっ」
思わず、小さな含み笑いが出てしまった。
きっとこの場所に彼が居たなら、一緒になって笑ってくれたんだろうな――――。
この景色のいい小高い丘の上に、ポツリと佇む一本の大木。
その木陰は、彼の一番のお気に入りの場所。
この場所に彼が居ない事は、分かり切っている。
ここに居ればいつかは――なんて甘い幻想を抱いている訳ではない。
ただ彼女は、彼が好いたこの景色を――彼と同じものを見ていたいという思い一つで、住まう神殿より些かの距離があるこの丘に、頻繁に足を運んでいた。
「カイ……」
大木に背中を預けて座り込み、そっと自身の首から下げた、一つのネックレスを持ち上げる。
そこにあるのは、宝石ではない。透き通る様な白の中に、僅かな翠を孕んだ、美しい一枚の龍鱗。
愛しさを込めた手つきで優しく、煌く鱗に指を這わせた。
「貴方は今、何を見ているのかしらね――――」
答えは無い。吹き抜けた微風が小さく、葉の生い茂る大木の枝を揺らした。
「おかあさーん!」
元気な声が、大木を挟んだ背後から呼び掛けて来た。
「ミツキ? どうしたの、こんな場所まで?」
「ヴェネトおじちゃんが、おかあさん呼んで来いって! すっごくおっきなくろししをつかまえたから、手をかせって!」
「また黒猪⁉ ヴェネトったら……毎年毎年黒猪ばっかりじゃ飽きるって言ったのに……」
「すっごくおっきいんだよ! おかあさんもはやく来てってば!」
グイグイと、子供特有の容赦のなさで手を引く少女。
その髪は、母親と同じ灰色。
そして爛々と輝かせたその瞳には、透き通る翠色が浮かんでいた。
「はいはい、今行くから。そんなに引っ張らないで、ミツキ」
母親が立ち上がると、少女は「じゃあ、ひろばまできょうそうね! よーい、ドン!」と同意を得る事もせずに一人で駆けだした。
「ちょっと! そんな下り坂で走ると転ぶから…………ああ、もう!」
母の心配を他所に、「きゃははははははははは!」と高笑いを上げながら、グングンと駆けて行く少女。
これは……もう腹を括って追いかけるしかないか……。
「はぁ……。全く、誰に似てあんな天真爛漫になったんだか……。私だってあそこまでじゃなかったのに……って痛っ⁉」
頭を抱えた母親の脳天に、まるでツッコミの様なタイミングで一つの木の実が落下した。
「何すんのよ」と木を見上げる。当然、返る返事は無い。
暖かな光を湛えた葉擦れの音ばかりが、ざあざあと母親を急かす様に響くばかり。
「はぁ……。全く……」
小さく溜め息。そして僅かに微笑んで。
「こらぁー! 待ちなさいってばー! ミツキー!」
木漏れ日に照らされた胸の龍鱗が、仄かに煌く。
既に坂を駆け下りていた小さな娘の後を追い、シエラは駆け出した。
彼女の大切な者が護る、この小さな大地を踏み締めて。
◇
――そこに、一匹の龍が居た。
翠白の鱗に身を包み、結晶の棺にその身のほとんどを閉ざして。
暗き閉鎖空間の中でひっそりと、まるで死んだ様に、静かにその場所に佇んでいる。
きっとこの先、永劫の時をこの場所で過ごす事になるのだろう。
遥かな時間を、この世界に与える事となるのだろう。
ならば――それで構わない。
それが大切な者達の為になるのであれば、この身の一つや二つ、喜んでこの世界に捧げよう。
彼女達の生きる明日の為に、いくらでもこの力を振るおう。
どうかこの世界に、祝福を。
この地に生きる者達に、一縷の希望を。
そして最愛の彼女とたった一人の我が子の未来に、温かな光が、いつまでもいつまでも、照らし続けられますように――。
龍の口角が、微かに持ち上がる。
穏やかな呼吸は唄となり、終わりかけの美しき世界に、優しく満ちた――。
完
はい、という事でこの部分を持ちまして終わる世界で龍は唄うは完結とさせていただきます。
正直、一冊分の尺で話を完結させるって中々難しかったです。
ですがこれでめげる事無く、また日々書き続けて精進に努めたいと思います。
それではここまでお読みくださった皆様、ありがとうございました!
……さて、天ブレ更新頑張るかな――。




