咲星祭
私の村の伝統、七夕祭り。村の中では"咲星祭"の名で知られている。
街灯の少ないことが幸いして、星がとても綺麗に見えるこの村。夜空に咲き誇る満天の星を見るために多くの人が村にやってくる。ちょっとした有名なお祭りなのだ。
さて、天の川で別たれた織姫と彦星が、一年に一度会える魔法の時間。短冊に願い事を書くことが一般的な七夕祭りがこの世にはある。
でも私の村の七夕祭りは、"咲星祭"は違う。どうしてこの名前で呼ばれるようになったか、少し昔話を聞いてほしい。
昔、村の外れにルミという名の娘が1人住んでいました。だが本来娘と呼べる歳ではありません。何故って?それは、娘は永きを生き、幾重にも時を重ねてきた魔女だからなのです。
幾多の人との出会い別れを繰り返し、愛する人の最期を看取る、これは永き時を生きながらも人と触れ合うことを辞めることをしなかった魔女の運命となるのは疑いようのない事実なのでした。
ですが、いくら魔女とはいえ抗えぬものはあります。それは"心の消耗"。永き時を生きたからこそ、刺激を感じることのなくなってきたこの世が、大事なものを失う喪失感が心をすり減らしていく感覚が、心を疲れ果てさせていくことは当然と言えるのでしょう。
少しずつ、心のすり減る音が聞こえてきた魔女は心が壊れた時の自分が怖くなり始めていました。そこで魔女は、自分の友達を作るために、この時代禁忌と呼ばれ人々の記憶に残らぬよう秘匿され続けてきた魔術である禁術を解放することに決めるのでした。
"人形錬成"と"魂魄恵与"。これはその名の通り人形を造り、魂を……心を与える魔術。つまり人を造ることにほかなりません。神をも恐れぬこの魔術、人を造るのです、禁忌とされ秘匿され続けるのは自然の流れなのでしょう。
魔女の禁術は危なげなく成功しました。人里離れた土地で暮らしていたこともあり、邪魔は特に入らなかったのです。それに永き時を生きた魔女です。高い技術で正確に描かれた魔術陣は完璧でした。そしてそこに現れたのは1人の女の子、ではなく人形。
魔女は生まれた人形にサキと名付けました。
こうして魔女と人形は末永く暮らしていきました。
――となることはありませんでした。サキが生まれてから一年、また一年と時を重ねる毎に魔女が少しずつですが、衰えを見せ始めたのです。
理由は2つの禁術"人形錬成"と"魂魄恵与"にありました。禁術とは、倫理的な観点から起動させてはならないものだから禁術に定めらるもの。人を造ると同義のこの禁術は、対価として生命を要求しました。魔女でもそれは例外なく要求されます。
そして、対価を支払った魔女に残されたのは、50年という、今までの人生からすれば短い時間でした。
魔女は残された時間の短さに絶望する暇なはないと言わんばかりに、全力でやりたいことをしていきました。1人ではありません。サキと一緒にです。とても幸せな時間だったと日記にも遺されていました。
ですが、時が流れれば流れるほど魔女の身体は弱り、床に伏せることがほとんどとなっていきました。立ち上がることすら困難になるほどに。
星の瞬く真っ暗な夏空に、その時は唐突でした。
サキと魔女のご飯終わりのお話の時間。ゆっくりとした時間を楽しむ、それが日課でした。
魔女はいつもと同じ声でいつもと同じようにサキに呼びかけました。
紅茶の用意をしているサキが目にしたのは、少しずつ、少しずつ光の欠片となって空へと昇華している魔女の姿。
サキが慌てることはありませんでした。覚悟はできていましたし、魔女を困らせると安心して昇れなくなりますから。魔女はそんなサキを幸せそうな顔で眺めながら身体を光の欠片に変えていきました。それは、幾百年にも及ぶ人生を振り返っても見ることがなかった微笑みだったと伝えられています。
身体が殆ど消えかけ、輪郭もあやふやになりつつある魔女は静かに、ただ静かに笑顔で
"ありがとう"
そうサキに遺していきました。
そして――
永き時を生きた魔女の物語はこうして幕を閉じたのです。
この日は7月7日のことでした。
魔女の光の欠片は村の夜空を瞬く星のように。
夜空を見た村の子供が、
"お星さまがお空に咲いた!!!"
と目を煌めかせていました。
これが村の遠い昔のお話で、とある魔女の最期の物語。
このお祭りの名前の由来。それは村外れの魔女が最期に残した綺麗に咲いた星の花。そこから付けられたのが咲星祭だった。
長々と話してしまったせいでお祭りももう終わり。皆、笹に短冊を括りつけていた。
結局今年も願いは叶わなかった。
でも――それでも――
私は今年も短冊に想いを込める。
同じ時間をあの人の隣で過ごすために
同じ星空をあの人の隣で見るために
星の流れる夜空に願い事を。
星の美しく咲く夜空に願い事を。
来年こそは生まれ変わったあなたと一緒に
"ルミと一緒に"
この咲き乱れる星を見られますように。