第三怪 その1
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人間として最も大事なコトはなんだろう? 時として僕はそんなことを考える。
なりそこない吸血鬼になってしまった僕としてはけっこう重要な命題なのだ。
人間と吸血鬼の狭間。そこで揺れている僕としては悩ましい問題でもある。
はてさて。まずは思考してみることからだ。思考して、試行してみることからだ。
大事、というからにはソレは何かしらの存在理由に関わってくるのだろう。無くてはならないものなのだろう。無くなってはならないものなのだろう。
だけど、ここで反射的に僕は反論したくなってしまう。
人間を人間たらしめている要素とは存在するのだろうか?
そういう風に、屁理屈をこねてしまいたくなってしまう。
結局のところ、そうやって自縄自縛している間は答えが導出されることはないのだろうけど。導き出すには、きっと先達が必要になってくるのだろうけど。
先達。
何事にも先を行っている存在というのはありがたいはずだ。
それが、例え血煙の向こう側だったとしても。
反面教師にはなるだろう。
けっして、水面に映る僕自身にしてはいけない。
だって、僕は……。
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「……平穏が好きなのだから、と」
「平穏なんてものはだな、物騒な事態になって初めて価値を実感できる。ゆえに、平穏を享受していると、価値が分からなくなってしまう。空気みたいなものだ」
自嘲気味に、というよりもちょっとばかり拗らせ系の僕による独り言に対して、容赦のない返しがやってきた。
「……いや、空気ってひどくないですか? 平和って良いじゃないですか。平和サイコー。ビバ平穏」
「太平の世の中にも血なまぐさい事件は存在していたんだから混じりっけなしの平和なんてものはまやかしだ。……いや、人類が絶滅してしまったらある意味じゃあ平和になるかも知れないな」
物騒な。
現在、僕は室長のクルマに乗って、とある場所に向かっている。
運転しているのはもちろん、室長だ。
見た目中学生の金髪碧眼の少女が運転しているものだから目立ってしょうがないのだけど、ちょうど良い足もなかったので仕方が無い。っていうか、本当は電車も通っているのだけど、室長が強硬に反対したので却下となった。
理由は知らない。だけど、理由無く室長はそういうことをする人(吸血鬼だけど)ではないので、僕はこうやってクルマの見た目をしている生物の腹の中でそわそわする時間を過ごしているというわけだ。
「で、室長。そろそろ何処に向かっているのか説明してくれても良いんじゃないですか?」
ちなみに、笠酒寄はいない。
ちょっとばかり笠酒寄には調べものがあるらしく、室長の別命によって動いているはずなのだった。……不安しかない。
そんな不安はさておき、僕が置かれている状況を把握する必要がある。
このままどこぞに拉致監禁されてしまったらかなわない。いや、単純な拉致監禁ぐらいならどうにでもなるのだけど。
「向かってるのはキミも知ってる場所だ」
ごく簡潔に室長は返答してくれた。回答になっているようでなっていなかったのだけど。
「いやいや室長。そんな答弁じゃあ野党は納得してくれませんって。支持率低下待ったなしですよ」
「支持率なんていくらでも操作できる。そんなのは犬にでも食わせてろ」
ばっさりと切り返すのと一緒に、ハンドルも切る。
クルマはコインパーキングにするすると入っていく。
慣れた様子で駐車すると、エンジンを切ってから室長はクルマから降りる。
「何をやってるコダマ。ついてこないなら置いていくぞ」
うっわぁ、勝手。
そのまま置いていってもらっても良かったのだけど、コインパーキングでひとりぼっちというのも嫌なので渋々クルマから降りる。
降りてから気付いた。僕はこの場所にきたことがあるという事実に。
ああそうだ。今になって気付くなんて僕はなんて愚かなんだろう。
だって……ここは八久郎さんの経営する店、マジカルカントリーがある街なのだから。
2
飲食店がひしめいている一角、正確には飲食店というよりも飲み屋か。
全体的に未成年お断りの雰囲気がぷんぷんしているから、僕も室長も完全に場違いなんだけど、幸いにも咎められることはなかった。
だって、昼間だもん。
準備中の店が殆どだ。辛うじて開いているのはランチタイムの店ばっかりで、そっちはアルコールをまだ提供していない。
とは言っても、あまり長居したい場所ではないのだけど。
補導されてしまうのは勘弁してほしい。警察で指導されて、家でも指導され、更には学校でも指導されるなんて三段活用になってしまった日にゃあ、僕のこれからが針のむしろだ。
すでに手遅れな気がしないでもないけど、現状よりも悪化するのはまずいだろう。
僕はそんな風にびくびくしながら、室長はいつもと全く変わらないふてぶてしい態度で、人通りもまばらな道を歩く。
あんまり以前来た時は違って、ネオンがついてないのでどこか地味な印象を受ける看板。
〈Bar マジカルカントリー〉
八久郎さんが店長を務めている店。
八久郎さんと会うのは、室長がバトルしたとき以来だ。結局、あれは木角利連が仕組んだ罠だったのだけど、それを勘定に入れてもどういう接し方をしたらいいのかがわからない。
ゆえに、僕は固まってしまった。
「何をもじもじしてるんだ。とっとと入らないと尻をひっぱたくぞ」
尻肉が取れそうだ。
ホントにやりかねないから、僕は思いっきり息を吸ってからドアを開けた。
からん、という軽やかな音と共にドアは難なく開いた。
一応は準備中じゃないのか?
不思議には思ったのだけど、後ろから室長が詰めてきているので前進する。
「あらぁ? お客ぅ~? 生憎とぉ、まぁだ営業時間外なんだけどぉ」
やけに間延びした口調で僕達を迎えたのは長身痩躯の女性だった。
長身、というか女性にしては滅茶苦茶でかい。八久郎さんほどじゃないけど、それでも一八〇はありそうだ。
服装こそラフな物だけど、すでにけっこう呑んでいるらしく、その目はとろんとしている。
……昼間っから酒呑んでんじゃねえよ。
毒づきたくはなったけど、それよりも優先すべきことがあった。
「マリーか。八久郎はいないのか?」
後ろから室長の声が飛ぶ。
どうやらこの飲んだくれの方はマリーというらしい。源氏名だろう。あんまり深く考えると頭痛がしてきそうだ。
「いるわけないじゃなぁい。最近はぁ、店長忙しいみたいだしぃ~。店もアタシに任せっきりよぉ~」
どうやら八久郎さんは不在らしい。っていうか室長はこの人と知り合いみたいだ。
まあ、室長だし。
まるで呑むことでその不満が解消されるとでもいわんばかりの勢いでマリーさんは一気にグラスの液体を飲み干す。
そして、酒臭い息を吐きながらも、やっと体を僕達の方に向ける。
「ヴィッキ~、あんたからもぉ、言ってやってよぉ~。店ほっとくんじゃないわよ、ってさぁ~」
どうやらマリーさん、絡み酒のようだ。据わった目で見てくる。
しかしながら、『怪』の専門家にして、吸血鬼にして魔術師のヴィクトリア・L・ラングナーにはそんなものは通用しなかった。
「これから会う予定だから言っておいてやる。……奥のドアを使わせてもらうぞ」
「お好きにぃ~」
満足したようで、マリーさんはふらふらとした足取りでカウンターの奥に酒瓶を取りに行く。店の酒を勝手に飲んで大丈夫なのだろうか、などと余計なコトを心配したのだけど、本来はマリーさんの足下を心配すべきだったのかもしれない。
かつかつと足音を立てながら、室長は店の奥、〈店長以外使用禁止〉と書かれたドアの前に立つ。
このドアは統魔日本支部につながっている。
以前来た時には、僕の魔術師としての登録と大根退治の依頼でだったのだけど、
今回の理由はわからない。いや、本当はわかってるんだけど、それを認めたくない僕がいるだけなのだろう。
「……ねぇヴィッキー。アタシはさ、店長やアンタみたいに化け物みたいなコトはできないけどさ……話を聞くことぐらいはできるわよ」
「……それも八久郎に伝えておいてやる。安心しろ、私は約束を守る女だ」
「はん、アンタが言うと説得力が違うわぁ~」
やけに含む物のある会話を交わしてから、室長はドアをくぐる。慌てて僕も続く。
ドアをくぐった先は見覚えのある建物があった。
支部とは言うが、それでも世界中の魔術と魔術師を管理する団体の建物。
ぽつんと、寂しげに建っているそこに僕達は用事があるのだ。
「……なんか、寂しげな女の人でしたね」
そういう感想を漏らしてしまったのは、きっとマリーさんとの会話のせいだろう。きっとそうに違いない。
「コダマ、アイツは男だ」
「…………は?」
マリーさんは最後にとんでもない爆弾をくださった。




