第三怪 その3
「起きろコダマ。……起きないつもりなら、キミの肋骨を一本ずつ順番に、麩菓子みたいにペキペキやっていくぞ」
悪魔でも思いつかないような起こし方を聞いてしまって、僕の意識は緊急的に覚醒する。
寝覚めは最悪なのだけど。
「おはようコダマ。少しはキミも私の助手らしくなってきたじゃないか。無傷で妖刀をなんとかするとはな」
同時に浴びせられたのは褒めているような、嫌みのような微妙なラインの一言だった。
「おはようございます、室長」
すでに殴られた箇所は治ってしまったらしく、痛みはない。口の中には砕けた歯の破片が残っていたので気分は最悪だったけど。
すでに歯の再生は済んでしまっているので、用済みになってしまっている破片を吐き捨てながら僕は身を起こす。
年がら年中変わらない白衣にジャージに室長と、どこか申し訳なさそうにしている笠酒寄。そして、未だに目を覚ましていない状態の巫女さんがいた。
「……ごめんね、空木君」
しおらしく謝ってくる笠酒寄。
僕は決して心の狭い人間じゃないし、大海のごとく広い心の持ち主というわけでもない。
しかしながら、こうやって素直に謝罪の意を表明してくれるのならば許すのはやぶさかじゃない。
「いいよ、どうせなり損ない吸血鬼だから再生しちゃったし。……それよりも室長」
「わかってる。この妖刀のことだろう?」
すでに室長は抜き身の刀を手にしていた。
間違いなく巫女さんが持っていたヤツだ。
「妖刀、『地切り戸灰悪』。製作は大正時代の一品だ」
おそらく、またしても室長は抗魔を使って妖刀の影響を受けないようにしているのだろうが、それでも、抜き身の日本刀がすぐ近くにあるっていうのは落ち着かない。
まるで清澄な冬の空気を切り裂くように輝く刀身を持つ妖刀なんてものなら尚更だ。
「……コダマ、キミはこの妖刀の能力、というか異能はどんなものだと思う? ヒントはこの妖刀の名前だ」
はて? 突然の質問はいつものことだったのだけど、ヒントがヒントとして機能していないような気がする。
地切り戸……灰悪? なんじゃそら。さっぱり意味不明だ。打った人間の名前とかじゃないだろう。それならもっと短くなってくるだろうし。っていうか、地切り戸っていう銘自体がどうなのかと思うのだけど。
地切り戸、地切り戸……うーん、さっぱりだ。
「……ギブで」
「はぁ~やれやれ情けない。その調子だと助手らしくなってきたという前言は撤回しないとならないな。まだまだキミ一人だと心配になってくる。及第点はやれないようだ」
最近の室長の中では上げて落とすのがブームになっているらしい。
まあ、そういうどうでも良いことは脇にやっておこう。
「で、どういう『妖刀』なんですか? もしかしてこの前の『リア充殺し』みたいなやつなんですか?」
人の嫉妬心を増幅して、その上で行動権を支配してしまうという厄介な妖刀。クリスマスに遭遇したなんとも表現しづらい妖刀だった。
「惜しいが、違う。この地切り戸灰悪は何も増幅しないし、肉体を乗っ取ってしまうようなこともない。……ただ枷を外すだけだ」
はい? 枷? なんのこっちゃ。
僕の困惑なんぞ知ったことかとばかりに、室長の解説は始まった。
「原因、というか始まりというか、やらかしたのは一人の魔術師なんだ。この魔術師は明治に来日した際に日本刀に出会う」
はあ。いきなり明治大正ロマンでも始まるのか?
「刀、という芸術品でありながらも高度に洗練された武器に惚れ込んでしまった。そんなわけで自分でも日本刀の製作に乗り出した。……わずか数年で日本刀らしきモノには到達したのだから大したものだが」
刀鍛冶っていうのは何十年も修行してやっと一人前になる、ということぐらいは小耳に挟んだことがある。正式にという訳ではないけど、それなりには出来るようになったということなのだろうから、才能はあったんだろう。
「しかし、ここで問題が発生した。いや、問題と表現するよりも必然と言った方が良いな」
嫌な予感がする。
「日本刀もどきを製作した魔術師は考えた。『自分が作った刀が平凡な一振りであって良いはずがない。特別な一振りにしなければ』とな。後はいつものようにいらんことをやらかしてしまったのであった、とな」
いらんこと? いや、ちょっと待ってくれ。聞き覚えがある。とても身近なというか、具体的に言うと隣にいる笠酒寄の関連で。
「いらんことしいのナブレス・オルガ。地切り戸灰悪の製作者にして、数々のみょうちきりんなマジックアイテムの製作者だ」
笠酒寄が今現在、人狼の能力を制御するために二四時間肌身離さずに身につけている『服従の指輪』。その製作者がこの妖刀も作っていたというのはなんとも奇妙な縁を感じる。
「いや、室長。妖刀の歴史というか、製作秘話みたいなのはいいですから、とっとと本題に入ってくださいよ。どういう魔術が篭められているんですか?」
魔術師ならば、そして、マジックアイテムの製作者ならば、間違いなく何らかの魔術が関連しているだろう。
「抑圧の解放。そういう風に表現されているな」
は?
「人間、というか知性を持つ生命体はある程度自分を抑圧しているだろ? それを取っ払ってしまうのがこの地切り戸灰悪だ。つまりは、抑圧している欲求の解放によって起こる人格の豹変、もしくは攻撃性、もしくは反社会性の発露という風になってくるんだがな」
そりゃ、まあそうだろう。むっとした瞬間、やりたくないけどやらないといけない仕事、道徳観によって我慢する瞬間……と、社会の一員として生きていく中で自分を抑圧する場合は無数にある。
それが無くなってしまったらどうなるか、なんてことは想像するまでもない。
「つまり、この妖刀を持ってると、理性が吹っ飛んじゃったような状態になってしまうということですか?」
「そういうことだ。そして、抑圧されているはずの面が表出することからナブレス・オルガはとある小説の題名から銘をつけた。……ジキルとハイド。知ってるだろう?」
善良なジキル博士がおぞましい悪人であるハイド氏に変貌してしまうという小説だ。僕だって読んだことぐらいはある。
……なるほど。あの小説において、ハイド氏はジキル博士の抑圧されていた悪の部分みたいに言われていたし、妖刀を表わす名前としては悪くないのかもしれない。
っていうか、当て字かよ。暴走族じゃあるまいし。
「そういうわけで、この妖刀は統魔の管理下にあったはずなんだが、第二次世界大戦のゴタゴタで紛失してしまっていたんだ。日本にあるのは確定していたんだが、行方だけは杳としてわからなかった。こんな場所に奉ってあるとはな」
「へ? それってこの神社のご神体なんですか?」
だとしたらとんでもないことだ。よりにもよって妖刀なんてモノをご神体に祭り上げていたなんて、ちょっとした不祥事になりかねないんじゃないか?
「別にご神体だったとは限らない。何らかの事情で引き取っていたのかもしれん。……それに、封印していた可能性だってある」
神社に良くないモノが封印されている。良く聞く話だ。だけど実際には遭遇したことがない話でもある。
「さて、妖刀の解説はこのぐらいで良いだろう? 流石にこのまま放置しておくわけにはいかないから、これから統魔に連絡して回収してもらう。後の処理は任せておこう」
美しさすら覚えるような優雅さで納刀すると、室長はスマホを取り出した。
「それとも、キミたちも新年から統魔の事情聴取を受けたいか?」
もちろん、僕も笠酒寄も首を横に振った。
5
「ゴメンね、空木君。私勘違いしちゃった」
「良いって言ってるだろ? 一人で行動した僕も悪いんだから」
決して僕だけが悪いとは言わない。この辺りに腹の虫の具合が良く現れている。
妖刀騒ぎの神社から引き上げて、僕と笠酒寄は電車に乗っていた。
ちなみに、室長は今頃統魔の回収班を待っていることだろう。ざまあみろだ。そのまま夜まで事情聴取されてしまって、好きなアニメは録画で見える羽目になってしまえ。
そういう風に考えて僕は多少溜飲を下げる。
「……ねえ、あの巫女さんってさ、人を斬りたかったのかな?」
呟くように笠酒寄は言った。
「いらついてたんじゃないのか? 新年早々目の前では幸せそうにしている人々、だけど自分は仕事に忙殺されてる。そんな状態なら鬱憤が溜まってしょうがないんじゃないか」
人間は自分だけが不幸だって思いたがる傾向がある。僕だって、いつの間にかそんな風に自虐的に考えてしまうことがあるのだし、あの巫女さんがなってしまっても不思議じゃない。
そこにあの地切り戸灰悪はつけこんだのだろう。なんとも恐ろしい刀だ。
今回は普通の人間だったからいいものの、これが魔術師とか、室長みたいな人外だった場合は想像もしたくない。
……多分、あの妖刀は厳重に封印されてしまうか、破壊されることになってしまうのだろう。
貴重なのかどうかはわからないけど、危ないアイテムなんてそのぐらいの扱いでちょうどいい。
今回の件に関しては、僕はそんな風に割り切ることにした。
くい、と袖を引っ張られる。
「なんだよ、笠酒寄」
「……もうちょっと、一緒に、いよ」
新年早々、血なまぐさい事件になりそうだったのだけど、多少はあのおみくじも当たっていたみたいだ。
僕はスマホを取りだして、正月でも営業している店を検索し始めた。
もちろん、健全なやつを。




