全力疾走人体模型 後編
「おいおいおいおい、そんなに変な顔で固まらないでくれよ。それじゃあボクが何かキミ達に悪いことをしたみたいじゃないか。奇矯な行為をしているようじゃないか。ボクはただ単に毎週のお楽しみをやろうかと、今し方居城から脱出してきただけなんだぜ? それで責められるコトはないんじゃないかな? それとも、キミ達はちょっとした外出にも公的機関の許可が必要とか言っちゃうタイプの人種かい? それはそれで面白いけどね」
よどみなく言い終わると、ケタケタと人体模型が笑う。
・・・・・・わーお、中身が揺れてやがる。間違いなく人体模型だ。特に腎臓の揺れが激しい。
まるで上演前のピエロのように人体模型はくねくねと気色悪い動きを続けている。
やばい、吐きそうだ。
会話したくないので、室長を肘でつつく。
「……任せます」
「……仕方ない」
どうにも気は進まない、という様子で室長は一歩前に出る。
「私は百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーだ。お前は一体なんだ? どこぞの魔術師に造られた人形か?」
ゴーレム。その推測は僕もした。
がしかし。
「ゴーレム? なんだいそれは。ボクはただのスポーツをこよなく愛するアウトドア派の人体模型っていうだけだよ。それ以上でもそれ以下でもないよ。キミ達だってそうじゃないかな? 多少の趣味の違いっていうのはあるだろうし、他人の嗜好に対してああだこうだといちゃもんをつけるのを常識的な行動だとは思っていないだろう?」
よくしゃべる奴だ。舌はプラスチック製だろうに。
「別にお前の趣味嗜好はどうでもいいんだ。お前自身が動き回っているのが問題なんだ」
人体模型に話し合いを試みる吸血鬼。なんだこれ。
「ボクが動き回ることが問題? なぜだい? 知的生命は身体的及び肉体的に自由であるべきだ。特に他者の権利を侵害しない限りはソレを保証されるべきじゃないかな? それを求めしまうことが棄却されてしまうぐらいにこの世界が狭量だというのならば、ボクも一考の余地があるのだけど、そうじゃないだろう?」
口が回る人体模型だ。いや、口の回らない人体模型が普通っていうか、そもそもしゃべるな!
「知的生命体? お前のどこが生命体だ、この無機物が。分解して燃えないゴミに出してやる」
「いまだに厳密な生命体の定義はできない。それは十分わかった上で言っているのかな? キミはちょっとぐらいの回る頭を持っているように見えるんだけど、その程度だというのはちょっと期待外れだね」
静かに、しかしながら確実に二人の間の空気は緊張感を増していく。
「刻まれたいらしいな。バラバラにして展示してやる」
「暴力的だね。見た目からは想像もつかないぐらいに暴力的だ。そんなことだから男にも逃げられるんだよ」
……あ、この、バカ!
ぷちん。
その音がなんの音かは確認するまでもない。
室長が、キレた音だ。
すぅぅっ、と室長の鋭い呼気が聞こえた。
「……おい人体模型、お前スポーツが好きなんだろう? 特に何が好きだ?」
突然の質問。だけど、これからやりたいことぐらいは想像がつく。
相手の得意分野で蹂躙する。
そういう、徹底的に相手のプライドをへし折るつもりだ。
「スポーツに得意不得意はないつもりだけど、抜きんでている、という意味でなら陸上競技だろうね。特に四百メートルは誰にも負けるつもりはないよ」
挑発に乗ったこの人体模型の明日はない。
「……いいだろう。お前の得意な四百メートルで私と勝負しようじゃないか。一人で走ってばっかりだとつまらないだろ? ……その代わり、賭けをしよう。敗者は勝者の言うことをなんでも聞く。それでどうだ?」
野瀬思中学校グラウンドにて今、二名がスタートの合図を待っている。
正確には二名じゃない。片方は人体模型だし、片方は魔術師にして吸血鬼。
まあ、室長と件の人体模模型なんだけど。
クラウチングスタートの体勢を取る人体模型を目撃することは二度とないだろう。あったら困るぞ僕の人生。
グラウンドは一周四百メートル。ゆえに、先に一周してきたほうが勝利者という至極単純明快な判定方法。これならばもめることはあるまい。
同じような姿勢の二人の隣で、僕は一応確認する。
「・・・・・・じゃあ、室長が勝ったら人体模型を分解する、人体模型が勝ったら今後一切手出しをしないという条件で良いですね?」
「当たり前のことを確認するんじゃないコダマ」
「確認、確認は大事だよ。怠ったらそのまま致命的な失敗に繋がるからね。そういう部分じゃないのかな? キミが彼氏に愛想を尽かされてしまったのは。・・・・・・尽きたのは愛情かな?」
ぎしり、と室長がかみしめた歯の音が聞こえた。
やめてくれ。そのまま襲いかかりそうだ。
とっとと始めよう。
「いちについて、よーい・・・・・・ドン!」
合図と同時に人体模型が飛び出す。
まるで疾風のようなその脚力はインターハイどころか世界でも通用しそうなぐらいだ。
あれ? 人体模型だけ?
「なにやってるんですか室長⁉」
「ハンデですか?」
慌てる僕と、冷静な笠酒寄。
「ああそうだ。ヤツには圧倒的な敗北を教えてやる」
すでに人体模型は半分ほどを消化しようとしている。
「・・・・・・いくか」
地面が爆発したのかと思った。
そのぐらいの勢いで室長が飛びだす。
人体模型は確かに世界レベルの足をしていた。
しかしそれは人間のレベルの話。
身体能力において、純粋吸血鬼の室長はそんなレベルをスキップで飛び越す。
十秒もしないうちに人体模型に追いつく。
「どけ、ノロマ」
あらん限りの侮蔑の念を込めた言葉と共に人体模型を抜き去った室長はそのままゴール。
五秒ほど遅れて人体模型がゴール。
決着は、明らかだった。
「・・・・・・ボクが、負けた?」
ショックを隠しきれない様子だ。無理もないけど。
見た目だけの話をするのならば、中学生女子にしか見えない室長に敗北したのだ。そりゃあショックだろう。
ガタガタと悲壮感を漂わせて、模型は震える。
「約束だ。バラバラに解体してやる」
ぺきぺき右手を鳴らしながら、室長は容赦なく宣言する。
「・・・・・・そうか。ボクは負けたのか。やっと、負けたのか」
呟いたのと同時に、人体模型は突如硬直を起こす。
まるで、普通の人体模型のように。
土の上に倒れても、それは変わらなかった。
「・・・・・・結局コイツ、なんだったんですか?」
室長と四百メートル競走をした人体模型は、普通の人体模型に戻っていた。
それを理科室に戻す途中だ。
「・・・・・・コダマ、太腿の付け根を見てみろ」
は?
一度立ててから、僕は言われたとおりに確認してみる。
塗装がはげて劣化も進んでいるプラスチックの表面に、消えかけた文字で書いてあった。
〈お前は誰よりも早い! 負けないぐらいに!〉
・・・・・・これが、なに?
「おそらく、全力疾走人体模型の噂自体はそうとうに古いんだろう。コイツに限っては黒幕の関与ではなく、元から『怪』として成立していたんだろうな。たぶん、元々は『歩く人体模型』ぐらいなものだったんだろう。それが語り継がれる内に徐々に大げさに変化していった結果がアレだろうな」
野瀬思中学校の生徒達自身が、この『怪』をどんどん変化させていたのか。
・・・・・・待てよ? ということは、これじゃあなんの解決にも鳴っていないんじゃないか?
「また動き出すんじゃないですか、これ? だって、すでに成立してしまっているんでしょう?」
「そうは問屋が卸さない。そこに書いてあるだろう? 誰よりも早い人体模型だからこそ成立していたんだ。負けてしまったからには、ただの人体模型。ただのぼろいプラスチックの塊だ」
納得できるようなできないような微妙なライン。
負けないゆえに動き回っていた人体模型は、敗北によってただの物質に戻った、ということだろうか。
「なんでまた、そんな面倒くさい設定に・・・・・・」
「私に聞くな。野瀬思中学校の卒業生に訊いてみるんだな」
ごもっとも。




