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空木コダマの化生/剣豪録  作者: 中邑わくぞ
最終怪 七不思議学校
36/51

油蛙 後編

 夜の学校を走る。 


 字面だけ見たらただの不審者。とんでもないスピードで走る今の僕を見たら敏捷度の高い不審者。

 だけど命令に従っているだけなので、責任は室長に帰属して欲しい。決してこれは僕の意思じゃない。


 が、なり損ないとは言え吸血鬼の脚力。

 殆ど一瞬で廊下の端から端に到達してしまう。


 今は一階の教室前の廊下を制覇したところだ。

 今のところ僕達以外に不審な点はない。


 「戻ってこいコダマー。もちろん全力疾走でー」


 反対の端から呼びかけられているので室長の声も間延びしている。

 ため息を吐きながら再び全力疾走を開始しようとした瞬間、僕はソレに気付いた。

 地面の摩擦係数の変化に。


 しかし、もう動きだした足を止めることは不可能だ。

 踏み出した右足が廊下に接地する。

 まるで油がひかれたかのように良く滑る床は物の見事に僕の足を滑らせた。


 前に、こける!


 とっさに腕を突いて顔が激突するのは避けられたのだけど、その腕も滑る。

 分厚い油膜が廊下に出現していた。

 油まみれになりながら僕は転がる。

 服に思いっきり油がしみこんでしまったのだけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない!


 「室長! 出ました!」


 まさかこんなに早く出現してくるだなんて思っていなかった。

 が、出た以上はとっとと解決してやる。


 「今行くー」


 多分、魔術を使っているだろう。室長は空中を歩くようにして僕に近づいてくる。

 だけど、僕は見てしまった。見えてしまった。

 室長の足下に出現した、巨大な蛙を。


 話通りに、一抱えはあるような大きさ。その図体に似つかわしい巨大な目玉は頭上の室長を確実に捉えていた。

 ずるん、と空中を歩いていた室長の足が滑る。


 「室長⁉」


 そのまま一回転しそうだった室長の体は床と水平の状態で停止する。


 「慌てるなコダマ。この程度は想定内だ。魔術にまで干渉してくるとはな」


 にらみ合う室長と油蛙。


 げろり、と油蛙が鳴いた。

 それを合図にしたかのように廊下全体が鈍い輝きに包まれる。

 おそらくは、油。


 僕のバランス感覚では立ち上がることさえも不可能だろう。そのぐらいの量だ。

 だが、空中に停止している室長にそんなことは関係あるのか? 答えはノーだ。


 「ふん、とっとと現象に解体されてしまえ」


 白衣のポケットから室長が何かを投げつける。

 透明な……(びん)


 「風刃(エアスラッシュ)


 室長の言葉と共に見えない刃によって瓶のようなモノが切断され、中に詰まっていた液体が油蛙に降りかかる。


 ゲ! ゲッ! ゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲッ!


 耳を塞ぎたくなるような断末魔と共に、巨大な蛙は塩をかけられたナメクジみたいに溶けていく。超グロい。

 半分液体になってしまった油蛙は動かない。声を上げることもなくなってしまった。 

 同時に、廊下を覆っていた油膜も消える。


 まるで、始めからなかったかのように。現実ではなかったかのように。


 一応、大丈夫なことを確認してから僕は室長と油蛙に歩み寄る。

 非常に冷たい視線を足下に送っている室長の手には、また瓶のようなものが握られていた。

 いや、瓶じゃない。

 台所用洗剤のボトルだ。


 「油蛙。コイツの正体は何だと思う?」


 突然の問い。

 だけど、そんなことを聞かれても僕には見当も付かない。 

 どこからともなく流れてきた土着の妖怪とかそういう感じだろうか? それとも……。


 「……もしかして、生徒のいたずらから想像されて、そこから生まれた妖怪みたいなものなんでしょうか?」


 想像。それは創造に繋がってくる。

 多くの人間によって共有される思念というのは『存在力』とても言うべきような力を帯びて、いつの日か実体化してしまう。


 あの『動く標本』はほぼその前段階だったと言えるだろう。

 人為的な操作によって生まれかけていた、『怪』の(ひな)。そういうモノだった。


 「正解、と言いたいところだがちょっと違うな。生徒のいたずらじゃない。必然的に起こった現象に対して、この油蛙を想像した人間が多かったということだ」


 なんじゃそりゃ。

 いたずら、じゃない?


 「作為的なモノじゃないっていうんなら、一体何が起こったっていうんですか? こんな……不細工な蛙まで生み出すような現象ってなかなか無いと思うんですけど」


 『怪』が生まれるには何らかの原因がある。

 今回の油蛙だってそうだろう。しかし、室長はそれが自然現象だとおっしゃる。

 学校内で滑って転んですってんてんの自然現象があったら教えて欲しいもんだ。


 「……ヒントをやろう。ほれ」


 室長は僕に何かを投げて寄越す。

 受け取ったソレは、スリッパだった。


 ……いや、何のヒントだよ。


 来客用のスリッパじゃない。もっと頑丈そうだ。トイレのスリッパかな?

 大げさに肩をすくめながら室長は嘆息する。


 「やれやれ。ここまでわかりやすいヒントをもらっても、まだわからないとは……キミは百怪対策室で何を学んでいたんだ。これまでの『怪』も浮かばれないな」


 余計なお世話だ。


 「そんなこと言っても、スリッパで何がわかるっていうんですか」

 「ただのスリッパじゃない。さっき昇降口で拝借してきた、学校指定のスリッパだ」


 はぁ。わからなくもないけど。頑丈なつくりは使用頻度が高いからか。……で?


 「底を見てみろ」


 言われたとおりに靴底(スリッパ底?)を見てみる。

 つるんとした底があるだけだった。


 「摩擦、それは大事な力だ。普段見えない力というヤツはなくなってみて初めてそのありがたみを実感できる。人間もそれ以外も同じことなんだが」


 唐突に学問的なことを言い始めた。

 だけど、おそらくは種明かし。

 油蛙の、正体みたりスリッパ。というのはなんとも締まらないけど。


 「そのスリッパ、底に溝がないだろ?」


 たしかに、ない。 

 もしかしたら最初はあったのかも知れないけど、削れやすい素材なのか、それとも溝が浅すぎるのか、僕が持っているスリッパの底は平面だ。


 「さて、理科の時間だ。溝があるのとないの、どっちのほうが滑りやすい?」

 「そりゃ、溝がある方でしょうよ」

 「そうだ。しかし、別にあってもなくても良いような気もするな。……地面が滑りやすくないのならば」


 僕達がいる廊下は、多分リノリウムだろう。つやのある滑らかな表面をしている。

 だけど、それならば別に不思議でも何でも無い。『怪』にはならない。

 四六時中すっ転びやすいのならば、別に不思議でも何でもない。

 ただの、設計ミスだ。


 「ではここで実験。滑らかな床に水を撒く。更にその上で底がつるつるのスリッパを履いて走ってみよう。数秒後のコダマはどうしてる?」


 滑らかな平面と底がつるつるのスリッパ。その間に水という潤滑剤が入り込むことによって、まるで油の上でダッシュしたかのような結果に終わるだろう。

 すわなち、派手に転倒。


 「いや、待ってくださいよ室長。水なんて撒いてたら普通に注意して歩くでしょうに。走るなんてもってのほかですよ」


 いくら中学生とは言っても、それぐらいの常識は持ち合わせていることだろう。


 「撒いて無かったとしたら?」


 なんじゃそりゃ。水を撒いてないのに、水か撒いてあるなんてことあってたまるか。


 「梅雨の時期っていうのは嫌なモノだな。私は日本の梅雨が大嫌いだ。なんせ食い物はすぐに腐るし、雨ばっかり降るし、雨が降りでもしたらすぐに結露する」


 はっ、とする。

 自然現象に過ぎない結露。

 しかしながら、それはぴったりと密着した床とスリッパの間に出来た、ほんのわずかな隙間を埋めるには十分な量になりはしないだろうか。


 「ようやくわかったみたいだな。となると、油蛙の正体ははっきりした。梅雨の時期のリノリウムの床が結露し、その上を疾走した生徒は盛大にすっ転ぶ。痛みをこらえて立ち上がろうとすると、蛙の鳴き声が聞こえた」


 蛙の妖怪が自分を転ばせた。

 そういう風に“解釈”した。


 決して自分が不注意だったわけじゃない。これは他に要因があるという責任転嫁。

 それを幼いと糾弾(きゅうだん)することは、できない。僕だってやりかねない。


 だけど……まさか『怪』を生み出すほどに強固に信じられてしまうというのは想定外だけど。

 ここの生徒達はピュアだったのか、それとも怪談に飢えていたのか。前者であってほしい。


 「『滑らせる』という性質から『油』が連想されて、蛙の形にくっついたんだ。最初にいたのは多分蛙だ。それに肉付けされるうち、段々と巨大になり、油の性質を取り込み、そしてこの学校の七不思議の一つとして定着した。そんなところだろうな」


 なんともあっけない。 

 (よう)として正体の知れない妖怪蛙も、室長にかかればこの程度の現象に還元されてしまう。


 「……油蛙の正体はわかったんですけど、その台所用洗剤はなんなんですか?」


 室長が油蛙にぶっかけた液体。致命打になったのは多分、これだ。


 「水から生じた油の性質を持った『怪』。ならば、水でも油でもなくしてやったら、存在にほころびが生じる。元に還元されるのか、それとも油蛙なのかわからなくなって、そのまま永遠に乳化してればいい」


 まるで油汚れみたいな扱いをされている。


 『怪』の正体が両極端の性質を持っているのならば、それを無理矢理接合させて自己崩壊させてやったというわけだ。

 つなげたのは、何の変哲も無いような台所用洗剤。


 死因、洗剤。うわ、すっげぇ間抜け。


 「これで、油蛙は終わりなんですか?」

 「まあな。復活しようと思うのなら、あと一〇年以上はかけて徐々に生徒に浸透していくしかないが、いい加減に学校指定のスリッパも変更になってることだろう。もっとグリップがいいのにな」


 なるほど。どうやら、せっかく存在を得たデカい蛙はもう復活できる可能性はないらしい。


 「一つ目、ですか」

 「ああ、あと六つだな。まったく、誰だこんな面倒くさい依頼を受けたのは」


 アンタだアンタ。



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