幕間 その3
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「さあ先輩。『デート』はここから始まりますよ。わたしと先輩の第一歩ですね」
それを肯定してしまうと、僕はかなりまずい状態になりそうだったので否定も肯定もしない。
ただただ佐奈平君が喋るがままに任せている。下手につつくと爆発するような危険物には
放置するという選択がベストではないだろうけど、ベターだ。
「さあ行きましょう。二人の桃源郷に」
「うん、普通のショッピングモールだから変な名前つけないでくれる? 多分オーナーさんたちもすっげー迷惑だからさ」
「何を言ってるんですか? わたしに命名されることを至上の幸福として捉えるぐらいの境地に達してもらわないといけません。だって、想定している呼び方を変更するっていうことは愛着を持っているからなんですよ。だから、感謝すべきなんです。まだショッピングモールと呼ばれているこの場所は。数年後には名前が変更されている予定ですし」
……オーナーにでもなるつもりなのだろうか、この子は。
なんとなく、この子が小唄に頼み事をできた理由が段々とわかってきた気がする。
天上天下唯我独尊。ゴーイングマイウェイ。エゴイスト。
しかしながら、どこか人を惹きつける。あり得ないほどの自己中心さと、それを支えるだけの自信と、能力。そういった類いの存在だ。
そして、類は友を呼ぶ。
小唄にとって、自分と同じカテゴリの人間っていうのは珍しかったのだろう。二つ返事で頼みを聞いたのが想像できる。
思いっきり当事者である僕にはめちゃくちゃ大事なんだけど。
「……佐奈平君の未来計画は脇に置いておくとして、行こうか。ここでおしゃべりしててもしょうが無い」
「そうですね。若い内の時間の価値は黄金にさえも匹敵するという名言もありますからね」
「へえ、そんなの言った人がいるんだ」
「今わたしが言いました」
「……そう」
完全に向こうのペースになってしまっている。
年下の女子(しかも中学生)に掌の上で転がされている高校生男子っていうのは嫌だなあ。現在の僕のことなんだけど。
執拗に僕の手を握ってこようとする佐奈平君の手を躱しながら僕達はショッピングモールに入っていった。
「はい、先輩。あーん」
「……人目があるから止めてくれないかな、っていうか僕と君はそういう関係じゃないし、そもそもそれは人に食べさせるタイプの代物じゃないと思うな。液体だけどさ」
フードコート。色々な店舗が入っているからちょっとした空腹を満たすにはちょうどいい。
ちょっと冷えたので何か飲もうと思って入店し、受け取って席についてからの速攻だ。
ちなみに、今僕の目の前に差し出されているのは佐奈平君が注文したホットコーヒー。紙コップに入っている黒い液体は湯気を立てている。
僕の手にもホットコーヒー。つまり、自分が飲む分はしっかりと確保しているのだ。この状態でなぜ僕は佐奈平君が注文したコーヒーを飲まないといけないのか?
「え? わたしのコーヒー飲みたくないんですか? 本心から言っているならちょっとまずいかも知れませんよ先輩」
「え、なに? 君の勧めるコーヒーってそんなに重大なやつだっけ?」
「そうですよ。だって、未来の彼女の勧めるコーヒーなんですから。直接キスはちょっと気恥ずかしいので、最初は間接キスからいきましょう。順序は大切ですからね。あんまり一足飛びにやってしまうと事をし損じます」
「うん、君が僕の彼女になる予定はないよね? うん」
「わたしはすでにそういう予定にしています」
聞いてねー。二重の意味で。
僕の話を聞くつもりもないし、君の未来計画も聞いていない。
目の前に差し出されたコーヒーは微動だにしていない。まるで僕が口をつけるまでこの場所から動かないと主張しているかのようだ。
……困った。飲めば既成事実が、飲まなければこのまま気まずい状態が続く。
「僕のと交換する?」
「いえ、わたしはコダマ先輩が口をつけたコーヒーを飲みたいんです。そこをはき違えないでください。常にわたしは自己の主張に迷いはありません」
まっすぐな瞳は本当に迷いがない。
『いいから口をつけろ』と押し迫ってくる。生来押しが弱い僕としてはこのまま押し切られてしまうのは想像に難くない。
「さあどうぞ。コーヒーは熱いうちに飲むのがいいんですよ。コダマ先輩が飲んでくれないといつまで経ってもわたしが飲めないじゃないですか。わたしにぬるいコーヒーを飲めと?」
言ってねえ。とっとと飲み干したら良いじゃないか。
は、と気付く。
そうだ。これをとっとと飲み干してしまったらいいんだ。そしたら佐奈平君は口をつける理由がなくなる。
ふっ、多少は頭が回るみたいだけど、所詮は中学生。やはり考えが浅い。
「ああ、先輩。飲み干してしまったらわたしはもう一杯注文してきます。わたしの計画が実行されるまで。例え先輩がギブアップしても同じ事です。むしろギブアップしてからが本番ですから」
……どうやら、大分思い詰めていらっしゃるようだ。この女の子は。
これは、もう、やるしかないのか? 『はい』が選択されるまで延々と同じ会話を繰り返すゲームのキャラなのか、君は。
くっ……そろそろ注目を集めてしまいそうになっている。当然だろう。身を乗り出してコーヒーを差し出している女子と一向にそれを飲もうとしない男子。端から見たらこれほど奇妙な状態はない。
まさか僕の方にはすでに別の彼女がいるという事情まで推察できるヤツがいたら出てきて欲しい。なんの役にもたたないだろうけど。
「……ぬ……くっ……」
「変な声上げてないで男らしく行きましょう。さあ」
ずい、っと更にコーヒーが僕の口元に近づく。
「あ、空木くーん、やっほー。奇遇ぅ。空木君も遊びに来てたの? ここいいよねー。割となんでもあるし、時間つぶし……に、は……」
後ろから聞こえたその脳天気そうな声は、現状一番聞きたい声だったかも知れないし、聞きたくない声だったのかも知れない。しかし、聞こえたのは事実だ。
そして、最後のほうで段々と声が低音へと変わっていったのは、正直に恐ろしい。
「……なんで、なんで空木君が彼女のわたしを差し置いて佐奈平さんと一緒にいるの? ねぇ、教えて、うつぎくん」
「あら、これは奇遇ですね、笠酒寄先輩。空木先輩はわたしと『デート』に来ているんですよ。邪魔しないでくれますか? 理解してくださったらうれしいです。理解してくださらないなら実力行使に出ます」
開戦からの激突は避けられたみたいだったのだけど、すでに僕が介入してどうにかなるレベルの決裂ぶりではなかった。
下手をすれば、血を見る羽目になる。
後ろを見る。
スカート姿の笠酒寄がいた。
口は笑っているのだけど、目が笑っていない。
「ねぇ、空木君。どういうこと?」
その瞳の奥に、僕は人狼の姿を見た。




