第一怪 その3
3
「遅かったなコダマ……ん? また油断したな」
「あーはいはいおっしゃるとおりですよ。僕はまたまた油断していらん手傷を負いましたよ。でも大丈夫ですよ、ほらこのとお……り。あれ?」
テントの中にあった荷物からロープを見つけて、それで男と妖刀を別々に縛り上げてから室長の下に戻ってからの第一声だ。
室長の処置は間に合ったらしく、刀傷を負っていた男性も、へたりこんでしまっていた女性も木に背を預けて安らかに眠っているようだった。
そして僕は男と妖刀を引きずって室長のいる場所まで戻ってきて、軽口交じりに切り裂かれてしまった左の前腕を掲げたのだった。
なり損ない吸血鬼の治癒能力ならば、すでに完治しているぐらいの傷だったはず、だ。
でも、未だに僕の前腕からは血が滴っていた。
やけにいつまでも痛みが引かないと思ったらこういうことか。いやいや、冷静に分析している場合じゃないだろ。
「し、室長⁉ これって⁉」
「……まったく、妖刀相手に傷を負うっていうことの重大さがわかってなかったみたいだな、キミは」
そんなもん知ってるはずがないだろに。
呆れた様子で室長は手に淡い光を纏わせると僕の傷口に当ててくる。
すさまじいかゆみが襲ってくる。
多少は慣れてしまってる感覚だ。
傷が急速に塞がるときの感覚。本来ならば、吸血鬼の再生能力によってこれが起こるのだけど、今回は室長の魔術によって引き起こされる。
みるみるうちに傷口は塞がってしまって、残ったのは切り裂かれて血に染まった僕の服だけだった。パンク過ぎるファッションになってしまうのでこの服とはこれでおさらばとなるだろう。短い付き合いだったけど、ありがとう。
「……ありがとうございます。これって魔術ですか?」
「ん? ああそうだな。初歩の回復魔術なんだが、緊急事態以外は使わないほうがいい」
「何でですか?」
「急速な細胞分裂によって使いすぎると寿命が縮む」
もっと安全が保証されているようなタイプの魔術で治療して欲しかった。
「大丈夫? 空木君」
心配そうに笠酒寄が傷のあった場所を指でなぞる。
とはいっても、すでに元通りになってしまっているのだから、感じるのはくすぐったさだけだったのだけど。
さて、なら本題に行こう。
「で、室長。『妖刀』とか物騒な単語が出てきた割には非常にぞんざいな説明で僕は追跡するはめになってしまったんですけど、どう言い訳してくれるんですか?」
多少メンチを切る感じでいく。下手にでても効果は薄いことはわかっているのだから、『僕は怒っているぞ』という意思表示が大事だ。
だが、室長はそんな僕を完全に無視して引きずってきた妖刀を拾った。
厳重にロープで縛ってあるので、抜くこともままならない。
っていうか、抜いたら多分妖刀に支配されてしまうのだろうし。
「なるほどな。確かにこれは妖刀だな。うん間違いない」
いやいやいやいや、もしかして確信が無い状態で追わせたのか? だとしたら抗議案件が増えてしまうぞ。
「室ちょ――」
「黙ってろコダマ。ちょっと集中しないといけない」
真剣な声音に圧されて僕は反射的に口を噤む。
室長の体が、薄い緑色に包まれていた。
そして、迷うことなく妖刀を縛っているロープを引きちぎりながら鯉口を切る。
そのまま、しゅらりと冷たい音を立てながら引き抜いた。
「!」
思わず能力を発動しかける。
室長が妖刀に支配されてしまった場合、僕と笠酒寄だけで制圧できる自信は無いし、そもそもが刀を持っている室長というだけで危険度が……あまり上昇しない気もする。元々が高すぎるし。
「そう警戒するんじゃない。魔抗を掛けてあるから安心しろ。そもそも私には精神支配系の能力は効きづらいから念のためだがな」
そういうことは先に言っておいて欲しい。
しかし、それなら多分大丈夫だろう。
僕とか笠酒寄ならわからなくなってくるのかもしれないけど。とりあえずは安心して良いと思う。
現状に不安はあるけど、今はそう割り切ってしまうしかない。仕方が無い。今は事情を説明してもらおう。
そう考えて、今は室長が抜き放った妖刀を眺めてみる。
月光を反射して輝く刀身は、まるで揺らめく炎のような乱れ刃だった。
僕は刀剣の価値なんてものは全くわからない。でも、美しいと思ってしまった。
内包されている危険性も込みで、とても……綺麗だと感じてしまった。
「いわゆる、現代刀というヤツだな。明治の廃刀令以降の一振りだ。薄く、軽い造りが特徴で、あまり剛性は優れていない」
「え、そうなんですか? 日本刀って、すっごい切れ味と強度を持ってる武器、みたいに紹介されることが多いですけど」
ゲームとかに登場するときには、かなり強い武器であることが多いと思う。日本人だからなのかもしれないけど。
「そりゃ古刀の、しかも名工が打ったような刀の話だ。現存している古刀は製法が失われてしまっているからな」
そんな風に解説しながら室長は刀を鞘にしまう。なにがしたかったんだ?
「さて、コダマ。この刀、一体どんな刀なんだと思う?」
突然の質問だった。
だけど、ある程度は推測が付いている。
「たぶん、精神を支配してしまうような効力を持っているんじゃないでしょうか。憎しみ、というか嫉妬心をとても強く後押ししながら」
所持している人物が何度も言っていた『妬ましい』という単語。そこから推測した。
「正解のようで外れ。及第点にはあと一歩といったところだ。試験じゃなくてよかったな」
さいですか。まあ、室長が出題者だったとしたら合格点をもらえるのはごくわずかだとゆうことはわかる。
「なら、正解はなんですか?」
「これはな、持たざる者のための刀なんだ」
意味不明だ。
どうやら僕のその思考は伝わったようで、室長もコホンと咳払いを一つした。
「コダマ、持たざる者が持つ者に対して抱く感情というのはなんだ?」
は? 禅問答か? 唐突すぎてなんとも答えがたいんだけど。
「はい! 憧れだと思います! アイドルとか憧れます! あんな風になりたい!」
うっさい笠酒寄。お前は話題に脇からエルボードロップしてくるんじゃない。
が、笠酒寄の意見は一理ある。
なにかしらに優れているのならば、その優秀さに対して憧れるという論理展開は理解できる。僕も運動神経が優れている方じゃないから(運動能力と運動神経は別だ)、颯爽とピッチを駆け抜けるサッカー選手なんかは素直に賞賛したくなってしまう。
「はぁ~やれやれ。コダマも笠酒寄クンも持つ者だということだな。この感情がわからないとは」
小馬鹿にした調子で言いながら、室長は肩をすくめる。
『こんな問題もわからないなんて、脳みその研鑽が足りないな。もっとしわを深めていかないとツルツルになってしまうぞ』とでも良いたげな顔つきだ。……すごくむかつく。
「嫉妬するんだよ」
いい加減に僕もしびれを切らして室長を問い詰めようとする寸前、室長は言い放った。
嫉妬。羨ましいと思って、妬むこと。
いや、待てよ。なら、あの時『妬ましい』と叫んでいたのは……。
「ふふん、わかったようだな。そう、この妖刀『リア充殺し』は嫉妬心を増幅するんだ。そして、元々の嫉妬心が大きければ大きいほどに増幅力も強まる。増幅されてしまった嫉妬心が理性の制御点を越えてしまったらどうなるか……わかるな?」
わかる。直接対峙した僕にはわかる。
“あれ”は僕を妬んでいたんだ。うらやんでいたんだ。斬り殺したいほどに。
そして、その想いは意識がぶっ飛んだぐらいじゃ消えなかった。いや、途切れなかった。
彼を支配していたのは、増幅された彼自身の嫉妬心だったのだ。
なるほど。支配はしていない。嫉妬を増幅しただけなのだから。
しかして、疑問が二つ残る。
「室長、その……なんというか、名前なんですけど……」
「ああ、『リア充殺し』か?」
「……ええ」
なんだそのネットに汚染されきったような変な名前。
もっとこう、妖刀なんだから禍々(まがまが)しい名前付いてろよ。
「まだ仮名だったからな。統魔としても半信半疑で調査を行おうとしていた段階だった」
また嫌な名前が出た。
統魔。統一魔術研究機関の略称。世界中の魔術と魔術師を管理する団体。出来てないけど。
絡んできてろくなことになったためしがない。
「調査ってなんですか?」
「うん。申し出があってね。自分が打った刀がどうしても妖刀に思えて仕方が無い。どうにかしてくれないか? とね」
笠酒寄の質問に室長は答えてくれるのだが、まったくワケがわからない。
なんで表向きには公表されていないはずの統魔にコンタクトを取れているのか、とか。自分が打った刀が妖刀にしか思えない、とか。もはやギャグで言っているんじゃないのかと疑ってしまう。
「調査を依頼してきたのは刀鍛冶なんだ。けっこう刀鍛冶っていうのは妖刀を創り出してしまうことが多くてな。腕の良い刀鍛冶なら生涯に二、三本は打ってしまうもんだ」
うわー、聞きたくなかったなぁ。日本にどれだけの数の妖刀があるのか想像もしたくない。
「そんな顔をするな。殆どの妖刀は多少感情に『揺らぎ』をもたらすぐらいだ。刀を持ってしまうと何かを斬りたくなるとか言うだろ? あれは妖刀に心が揺らされているんだ」
はあ。
「で、だ。この刀を打った刀鍛冶はその辺の事情を知っていたから、統魔にコンタクトを取る方法を知っていた。だがまあ、統魔としてもそうそう妖刀を打てるもんじゃないし、あんまり乗り気じゃなかった。……空き巣に入られてしまって、刀が盗み出されてしまうまではな」
え?
「盗人がこの辺りに潜んでいるのはわかっているんだが、表立って統魔の人間が動いてしまうと色々と面倒でな。というか手続きの問題なんだが。というわけで、ちょうど良く動きやすくって腕もたつ私にお鉢が回ってきたというわけだ」
……つまり、こういうことか?
室長の解放祝いというのはついでで、ここに来たのは妖刀探しということか?
僕は笠酒寄に目配せをする。
こくりと笠酒寄は頷いた。
「さて、とっととこの妖刀を統魔に……なにをする」
がしっと、中学生ぐらいの身長の室長を二人がかりで横から捕まえる。とは言っても、笠酒寄も小柄だけど。
「いやいや、今日は室長の解放祝いなんでしょ? もっと祝いましょうよ」
「ヴィクトリアさんも夜景を見に行きましょう。とっても綺麗ですよ。その後にわたしと空木君にクリスマスプレゼント」
祝ってやろうじゃないか。僕も笠酒寄も。仕事なんか後でいい。そういう心持ちで僕達は室長が逃げられないように捕まえたのだ。
人狼となり損ない吸血鬼。間合いを取った状態での鬼ごっこならばともかく、この状態からなら流石の室長も難儀するだろう。
そういう魂胆だ。
「……はぁ~、やれやれ。キミ達もまだまだ子供だな。仕方ない、統魔へのクリスマスプレゼントは後回しにしよう」
まるで子供のわがままに付き合う父親のようなことをいいながら、室長は僕と笠酒寄に連行されるように展望台に向かうことになった。
ちなみに、襲われた男女はすぐに眼を覚ましたらしく、戻って来た時にはすでにいなかったし、妖刀を盗んでしまった空き巣はまだしっかりとのびていた。
結局、その後も僕達は時間が許す限り遊び歩き、そのまま帰宅したのだった。
4
百怪対策室内応接室。
すでに日付は二十五日になってしまっていた。
暖房が効いてはいるが、それでも多少の肌寒さを覚える空気の中、ヴィクトリアは今回の依頼人へと電話をしていた。
「……ああ、すでにモノは届けてある。本物の妖刀だったから安心しろ。犯人も一緒だからとっとと記憶処理をしておけ」
けだるげな調子でヴィクトリアは言う。
通話先の相手も、ごく簡単に報告を返す。
「……ふん。このぐらいじゃあ貸しにもならんな」
相手は肯定もせず、否定もしなかった。
ただ、ヴィクトリアの働きに対して感謝の念を伝えただけだった。
「そんなに恐縮するんじゃない。私とお前の仲だろうが。……で、妖刀を創り出した刀鍛冶だが、……本当に村正に連なる血脈の一人だったのか?」
しばしの沈黙の後に、通話相手は肯定した。
「なるほどな。今回の一件で観察指定は逃れられない、か。また無闇に村正を量産されても敵わないからな。わかった。私の方でも妖刀の話がないかどうかは注意しておくことにしよう。お前も気をつけろ、八久郎」
それで通話は終わった。




