第六怪 その1
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父は元々剣術の心得があったものですから、私に剣を教えることにあまり抵抗はなかったようでした。むしろ、幼い息子が剣に興味を示したことを喜んでいるように思えたのです。
母もそれは同じで、「やっぱり親子なのね」などと微笑んでいたのを覚えています。
誰でも最初は基礎からであるように、父も私には基礎から教え込みました。最初は刀の握り方から。
左手で保持して、右手は添えるように。
そんな基本的なことさえも、まだ五つにもならない私には難しく、何度も何度も右手で振り回してしまい、そのたびに父に指摘されたことを覚えています。
一年ほどはそんな、本当に基礎中の基礎と言うべき様な事柄で終わってしまいました。
友達らが砂場遊びやらごっこ遊びやらに興じている間も、私は父と一緒に、母に見守られながら剣を握り、振り、そしていつかの自分を思い描いていました。
今となってみれば滑稽なことなのですが、当時の私はまるで空想上のヒーローの様に空を飛び回り、斬撃を飛ばし、分厚い鋼鉄さえも切り裂くような剣士になれると心より信じておりました。
少し私が成長し、ほんのわずか構えもぎこちなさが取れてきた頃。
私は初めて剣で何かを斬るということを体験しました。
もっとも、それはぼろぼろに長年風雨にさらされて脆くなってしまっていた枯れ木だったのですから、たたき割ったというほうが適切でしょう。
しかしながら、私にとってそれは最初の斬撃だったのです。
初めて木の枝を振ったあの日以来、それほどに衝撃的な事件だったことを覚えています。
かつ、と。
綺麗に繊維に沿って枯れ木が二つに分かれたあの瞬間、私は泣いていました。
なぜ自分が泣いているのかもわからないままに泣いていました。
今ならばわかります。
私は、自分が生まれてきた意味を確認したのです。
五歳。立志というにはあまりに早く、そんなものを確認できるはずがないだろうと人はおっしゃるでしょう。
ですが、あれほどに……ぼろぼろと泣いたのはあれ以来ありません。
母が死んだときも、父が死んだときも。
私は確かに悲しかったのですが、それでもまだ目的がありました。意味がありました。
傍らには、剣がありました。
ゆえに、私の心は揺れませんでした。
まだ、目の前にはしっかりと道が見えていたのですから。
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「……と、こんなとこだな。妖刀かまいたちという存在については。そんな大した代物でもないからとっととぶっ飛ばしてこい。いざとなったらアタッシェケースの中のアイテムを使え。多分有効だ。じゃあな」
空木君はとっても不満そうな顔をしていたけど、ヴィクトリアさんは窓を上げてクルマを発進させちゃった。
だから当然空木君はどんどん遠ざかっちゃう。
……ちょっとさみしい。彼氏と離ればなれになっちゃうっていうのは避けられないことなんだろうけど、きっとみんなそうなんだと思う。
「さて笠酒寄クン、私達もコダマの心配をしている場合じゃないぞ」
まっすぐに前を見たままでヴィクトリアさんは突然に言い出した。
なんだろう? わたし達はこのままクルマで統魔に向かうだけの楽な感じじゃないのかな?
う~ん。こういう時って……やっぱり襲われる系? だとしたらおかしいかも。だって、襲われるってことは不意を突かれるって事だ。警戒してる状態で襲われるっていうのはあんまり言わない気がする。
だから、わたしは正直に言う。
「このクルマ、もしかして燃料切れとかですか?」
「…………ちがう」
あ、ちょっとヴィクトリアさんが呆れてる。わたしにはわかる。
「じゃあ、パンク?」
「クルマのトラブルから離れようか、笠酒寄クン」
「お腹が減りました?」
「……そっちでもない。妖刀絡みだ」
うん? どういうことだろう。確かにわたし達は連続妖刀事件の解決のために統魔に向かっているけど、だからって空木君以外に心配する事ってあったかな?
「もしかして、後ろに積んでる変態の事ですか?」
妖刀水鏡を使ってた人。空木君に襲いかかってたし、十分変態だ。キモかったし。
もうちょっとわたしが遅れてたら、空木君がひどいことになっていたかもしれないし、統魔に引き渡す前にお仕置きする、とか? そのために一旦スーツケースから取り出して縛り上げる過程で暴れる可能性を考えて?
多分、違うと思う。
「いや、その変態はどうでもいい。すでに水鏡は破壊しているし、私の吸奪でしばらくは動けやしない。懸念は別口の妖刀だ。コダマがぶっ飛ばしに向かったヤツとは別の、な」
別の妖刀……。っていうことは、わたし達もどこかで降りて妖刀探しをしないといけないのかな? でも、それなら空木君と一緒にそれぞれ解決していったほうが安心できるんじゃないかと思っちゃう。
ヴィクトリアさんと空木君、そしてわたしがいるなら大抵の事は出来ちゃうと思うし。
「……そろそろ来るだろうな。笠酒寄クン、人狼化しておけ。ちょっとばかり乱暴な運転になるし、危ないからな」
「え? どういう……」
ことですか、って聞けなかった。
だって、いきなりヴィクトリアさんがハンドルを切ったから。
クルマがぐるうん、と大きくカーブする。
慌ててわたしは手足を人狼化。完全に変身しちゃうと体格が変わっちゃうからやらない。これ以上下着破れちゃうのはいやだ。今も結構ギリギリ。
シートベルトがぎしぎしと悲鳴みたいに音を立てる。
「ヴィクトリアさん⁉」
「おいでなすった! 舌を噛まないように気をつけろ!」
鋭いヴィクトリアさんの声の後に、がすん! と何かがクルマに刺さった。
なになに⁉ 一体なに⁉ 宇宙人の襲撃⁉
「意外と早かったがこっちから出向かなくても良いのは助かるな。笠酒寄クン、警戒度を最大にしろ。来るぞ」
「何がですかぁ⁉」
プチパニック。だってだって、いきなりアクション始まるとか予想できない。もうちょっと前予告はしっかりして。許容量限界っぽい!
ハンドルを切りながらヴィクトリアさんはアクセルを踏み込む。
そのせいで振り回され方は加速。
人狼化してなかったら飛び出してたかもしれないぐらい。
まるで竜巻に巻き込まれてしまったみたいに車内の物品が荒れ狂う。ほとんどは固定してあったからいいけど、後部座席のスーツケースだけは置いてあるだけだったから暴れ回った。
ばごん。
「いったぁ~!」
横からぶつかってきた。元々重いから威力は十分。そしてわたしはか弱い女の子なんだからこういうのには慣れてない。
がすん!
またなんか刺さった!
今度は助手席、つまりはわたしが座ってる場所からとても近い。っていうかこれ、もしかしてドアに刺さってない? 刺さってるよね? ちょっと尖ったの見えてるし!
「笠酒寄クン、窓を開けてくれ。飛び込んで来るから捕獲」
「は、はいっ!」
おっそろしいドリフト走行は終わって、わたしに働く遠心力はなくなっているけど心臓はまだどきどきしてる。
だけど、わたしはヴィクトリアさんの命令に従って助手席の窓を開けながら身構える。
ちょうど半分ぐらい開いた瞬間、すごいスピードでソレは侵入してきた。
「!」
あらかじめ警戒MAXだったからなんとかわたしは反応して、掴む。
人狼の力じゃなかったらそのまま引っ張られてヴィクトリアさんに突き刺さっていたと思う。
わたしが捕まえたそれは、短めの日本刀、ううん、脇差しだった。
捕まえるのと同時に大人しくなったけど、これ、一体なんなの⁉
「妖刀祢々切丸。世にも珍しい使い手を必要としない刀だ」
「それってもう刀じゃなくないですか?」
「刀の形してたら刀なんだよ。言った者勝ちが世の常だ」
うわー、いい加減。




