第一怪 その2
音として表現するなら『キャアアアアア!』とでも言うべき様な典型的な悲鳴だった。
非常事態であることをこの上なくわかりやすく伝えてくれる。そう、こうやって甘々(あまあま)な雰囲気に浸っている場合じゃないことを教えてくれるぐらいには。
「……笠酒寄、ゴメン」
「……ううん、空木君が謝ることじゃないよ」
とは言っても、その顔は晴れない。当然だろうけど。
名残惜しそうに笠酒寄は僕から離れる。
最後まで指先が僕の服を掴んでいたのは、きっと彼女なりに後ろ髪を引かれる思いがあったのだろう。
さて、恋人同士の蜜月は終了の時間のようだ。
緊急事態ならば、救助が必要になってくる。そして、僕も笠酒寄も人外の領域。助けになる可能性は高いだろう。
助けられるだけの命は救いたい。
その点は僕も笠酒寄も一緒だった。
「どっちからだ?」
「あっち!」
普段から人狼の影響によって、笠酒寄の聴力は強化されている。もちろん、位置関係の把握にもその能力は存分に発揮される。
指を差すのとほとんど同時に僕達は走り出していた。
なり損ないの吸血鬼と人狼。夜にふさわしい化け物同士。なんだか、ちょっとした怪奇談みたいじゃないか。
そんな風に僕は被虐的に考えた。
悲鳴の発生源にはすぐにたどり着いた。
まあ、これだけ濃密に血のにおいがあふれていたらすぐにわかるだろうけど。
女性が一人、そして、地面に倒れている多分男性が一人。
血を流しているのは男性の方だ。
「……た、たすけ、助けて……」
まるで口の動かし方を何かに阻害されているかのようにへたり込んでしまっている女性はそう繰り返している。
見たところ外傷はないようだから、僕は男性のほうに駆け寄る。即座に笠酒寄は女性の側に行ってくれたから大丈夫だろう。
仰向けに倒れている男性は、僕よりも年上だろうけど、まだ若い。
だけど、その体には袈裟懸けに大きな切り傷が走っていた。着ているコートごと切り裂かれてしまっているようで、茶色っぽいコートがどんどん真っ赤に染まっていく。
……まずい。僕は怪我の処置なんて出来ないぞ。
ここまで傷口が大きいとなってしまうと、止血もそう簡単にはいかない。
そう躊躇している間にも、どんどんと男性のコートは流れ出る血液を吸って変色していっていた。
圧迫止血だけでもしないと!
「コダマ、キミじゃ無理だ。私が処置するからキミ達は犯人を追え」
冷静な、いや、冷徹な声が響く。
白衣を翻しながら、僕の隣を室長が音もなく通り抜ける。
男性の横にしゃがみ込むと、そのまま傷口に手を当てる。
ぼう、という淡い光と共に、みちみちという肉が動く音がした。
「し、室長⁉ どこから⁉」
「あんなデカい悲鳴が上がったら嫌でもわかる。それよりも、この場は私が処理するからキミは犯人を追え。まだ遠くには行ってないはずだ」
確かに、あれだけ響く声を室長が聞き逃すはずがない。
いやいや、そうじゃなくて!
「犯人って、これの殺人未遂犯をですか?」
「当たり前だ。それ以外になにがある。キミは未解決事件の犯人でも探すつもりか?」
ぐ。行っていることはまっとうなんだろうけど、なんとなく納得しがたい。
「それは警察の仕事じゃないんですか?」
「本来ならな。が、多分妖刀が関わってる。さっき連絡を受けた。モノは大した妖刀じゃないからキミなら楽勝だ。とっととふん縛ってこい」
さらっと、とんでもないことをのたまう辺り、室長は僕を過大評価しているような気がする。
「いま、妖刀って……」
「つべこべ言わずにさっさと行け。犠牲者がこれ以上増える前にな」
「!」
その言葉はずるいじゃないか。
だけど、僕は全力疾走で血のにおいが続いている方に走り出していた。
僕は、罪のない人が犠牲になるのは嫌なんだ。
「室長、後は頼みます」
「ああ、とっととぶちのめして連れてこい。事情説明はそこからだ」
いっつもそうですけどね!
反論したいときには、すでに室長達とは大分離れてしまっていたので、僕はその言葉を呑み込んだ。
走る。
僕は走る。夜の山を。
すでに雑木林の中に入ってしまっているので、あちこちひっかけてしまっているけど、そんなことはお構いなしに走る。
多少の傷はすぐに治ってしまうし、服なんて繕うか買い換えてしまえばいいだけの話だ。
そんなことよりも、『妖刀』なんて危なっかしいものを放置しておくほうが問題になってくる。
一〇分も走らないうちに少し開けた場所に出た。
なんだ……ここ?
多分、元々は何かしらの建造物か何かがあったのだろう。そこかしこに建材らしきモノが
散らばっている。
だけど、大本はなくなってしまっていた。
その代わりのように、テントが張ってあった。
嫌な予感しかいない。
見た感じ、まともなキャンパーではないだろうし。そもそもここはキャンプ場じゃない。
そして、点々と血痕が残っているのはもはや言い逃れができないだろう。
血の跡はテントの中に向かっていた。
近づく気になんてなれない。ゆえに選択肢は一つだ。
ふわり、と後ろでまとめている僕の髪が浮く。
念動力。僕の能力。
視線が通っていないと無力であるという弱点はあるのだけど、テントなんぞに特別な仕掛けがしてあるなんて事も無く、無事にテントはぶっ飛んだ。
暴風に吹かれたように吹っ飛んだテントと一緒に、中に入っていたであろう細々(こまごま)とした道具も散ってくが、その中には刀も、人間も無かった。
外れた⁉
「死ねぇぇぇえい!」
真上から怨嗟を含んだ絶叫が響く。
着地を考えずに前方に跳んだおかげでなんとか躱せたのだけど、僕を狙ったであろう刀身は深々と地面に切り込んでいた。
慌てて迎撃体勢を取る。単に室長に習った構え方をしただけなんだけど。
そして、僕は刀を持った人物と対峙する。
地面に食い込んでしまった刀を易々と抜いて、鋭い眼光を僕に向けているのは、中年の男だった。
無精髭が目立つし、その格好も綺麗とは言い難い。
なにより、そのありえないほどに血走った眼はあきらかに正気を失っていることを示唆していた。
男が刀を担ぐようにする。
「キィェェェェェエエエ!」
まるで怪鳥のような叫びと共に男が僕に向かってくる。
一瞬、能力を発動して良いのかどうか迷った。
その一瞬で、すでに間合いの中に入られてしまう。
白刃が閃く。
空気ごと切り裂くような鋭い斬撃だったのだけど、それはあくまで人間相手の話だ。
なり損ないとはいえ吸血鬼。そして、なんやかんやの修羅場をくぐってきた僕を捉えるほどじゃない。
バックステップで躱す。
「シュ!」
振り下ろした状態のがら空きの頭に手加減したジャブを打ち込む。
散々練習させられたので、これぐらいは出来る。全力で打ち込んでしまったら頭が取れかねないし。
僕のジャブは見事に男の顎を捉えた。
ぐらりと上体が傾く。
室長に聞いたのだが、パンチで気絶するときは衝撃で気絶するんじゃなくて、脳みそが揺れて、それによって起こる脳震盪によって気絶してしまうらしい。
それを起こすには、なるべく脳みそを内包している頭蓋骨(厳密には違うんだけど)の中でも一番距離がある場所、つまりは顎を打ち抜くのが効果的とか何とか。
もろに食らってしまったので、男は脳震盪を起こして僕の一ラウンドKO勝ちといったところだ。
そこで、気を緩めてしまったのがいけなかった。僕のダメな所だ。散々つけ込まれていたのに、未だにこの癖は治ってなかったらしい。
「キョァァアァァァァァァアアアア!」
再びの絶叫と共に、刀が振るわれる。
ぎりぎり反応が間に合って、僕は再びバックステップで……躱しきれなかった。
ざっくりと左の前腕を切り裂かれる。
なんで……なんでコイツ動けるんだよ⁉
反射的に切り裂かれた箇所を押さえてしまうけど、僕には尋常じゃない治癒能力が備わっているのだからこの程度ならすぐ治ってしまう。
痛みをぐっとこらえて僕は再び構える。
男は、完全に白目を剥いていた。
だらんと弛緩した顔の筋肉にはどこにも力が入っておらず、意識があるようには見えない。
それでも、その肉体はしっかりと刀を握りしめているし、その構えには殺気が満ち満ちていた。
どうなってんだよコイツ!
くそ、あの『妖刀』とやらの能力なのか? だとしたら説明しなかった室長には後で厳重に抗議しないといけない。
気絶しても動けるような刀って何だよ。反則じゃねえか。
「…………い」
「え?」
ぬらぬらした光沢を放つ舌をぶら下げていた口が、微かに動いて何かを呟いた。
何だ? 意識があるのか? それとも妖刀の力なのか?
なんとも水っぽい音と共に舌が口内にしまわれる。相変わらず白目のままだけど。
「…………い、ね……ま……い、ねたまし、い」
ぼそぼそとか細かった呟きが、段々とはっきりしてくる。
「ねたましい、妬ましい、妬ましい、妬ましい! 妬ましいぃぃぃい!」
口だけはやけにはっきりとした意思表示をしてくれるもんだ。
生憎と僕はこの男を知らないので妬ましがられてしまう覚えはないんだけど。となると、これは完全に妖刀の支配とか、能力とかそういうもんだろう。無差別に嫉妬心でも煽っているのか、それとも元々あった感情の矛先を無差別にしているだけなのかしらないけど。
「妬ましい、妬ましい。持ってる奴らが妬ましい。裕福な奴らが妬ましい。豊かな奴らが妬ましい。朗らかな奴らが妬ましい。愛される奴らが妬ましい。……リア充が妬ましい!」
……妖刀のくせにずいぶん俗っぽいな。
どっちにしろ、これでなんとなくこの妖刀の性質はつかめてきた。
持ち主を支配するようなタイプのマジックアイテムみたいなものだろう。たぶん。
なら、やることは簡単だ。
再び刀を担ぐ男、の足に視線を合わせる。
「妬ましいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!」
「うっさい」
ばきん。
太い木の枝が折れるような音と共に、男の足が直角に折れ曲がる。
ついでにもう一本。
ばきん。
ついでに両腕も折っておこう。暴れられても困る。
ばきんばきん。
……我ながらなんとも残虐な行為だとは思うのだけど、しょうがない。
「ギャアアアアアアア! ……ぁ」
両腕を折られて刀を保持できなくなってしまった男は、手から刀が離れると同時に動かなくなった。
うん、妖刀の影響はやっぱり持ってないとダメなのか。
さて、これからどうしたものだろうか?
両手両足を折られてしまった男と、持ってしまったらヤバそうな妖刀。
二つの荷物を抱え込むことになってしまった僕は思案した。




