第五怪 その4
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動いてくれる僕の腕はアタッシェケースを開き、中にあったカラーボールを掴んでいた。
考えなんて気の利いたモノがあったわけじゃない。ただ、これまで僕が相対してきた『怪』への経験やら理屈やら戦闘やらが本能的にその行動を選択させていた。
「うらぁっ!」
掴んだらどうするのか? もちろん投げつける。
投擲能力という、人類が他の動物に対して一線を画す能力。それを行使しただけだ。
だけど、普通の人類ならばともかく、なり損ない吸血鬼の僕が投げつけたのならばどうなるか? その辺の高校野球のピッチャーなんぞ目じゃない剛速球が放たれるというのは当然の帰結だ。
何枚かのかまいたちの破片に接触しつつも、それを弾きつつカラーボールは飛んでいく。
だけど、質量に勝るとは言っても所詮はプラスチックのボール。そのうちに失速してしまう。
だけど、落下しない。
僕が能力で“掴んでいる”。
イメージは手だ。失速したボールをキャッチするみたいに。
「はっ、だからどうした! 出来るのは手品か⁉」
振り下ろされるかまいたちの柄。
そんなんじゃ、遅い。それよりも僕のほうが早い。
カラーボールを握りつぶすイメージ。
視線さえちゃんと邪魔されずに通っているのならば僕の能力は働いてくれる。
見事にカラーボールは爆散した。
……たぶん、中にガスでも注入してあったんだろう。僕はこんな爆発を想定していなかった。っていうか、あの室長が普通のアイテムを僕に渡すはずがないか。これは僕の失態だ。
オレンジ色の塗料が四方八方にまき散らされてしまったおかげで、かまいたちの所有者も僕も視界が効かない。
まあ、当然のことながら僕にも塗料は容赦なく降り注いでいるので僕もヤツもオレンジ色に染まっていることだろう。そのぐらいの勢いでの爆発だった。
やがて重力に従ってオレンジ色の霧は晴れていく。
「こっの……クソガキが……‼」
男は見事にオレンジ色に染まっていた。顔だけは真っ赤だったのだけど。
「俺をコケにしやがって! ぶっ殺してやる‼」
男はとっさに顔をかばったのであろう右腕を再び振り上げる。もちろん、その手には妖刀を持ったままだ。振り下ろされてしまったら今度こそ僕はズタズタにされてしまう。
……振り下ろせるものなら。
べきん、と木の枝を折るような乾いた音がした。
一瞬、男はその辺の枝が折れたのかとでも思ったのか、あたりをキョロキョロと見回していたのだけど、別にそんなことはないので怪訝そうな表情になった。
そして気付く。
音の発生源は自分の振り上げた腕であるということに。
右の前腕が綺麗に九十度の角度を体現していた。
「……え」
ばぎん。
今度はもう一個関節を増やしてやる。僕の能力ならこのぐらいのことはわけない。人体なんて簡単に壊せる。恐ろしいことに。
「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼」
悲鳴が上がる。
もう、その意識は僕にじゃなくて右腕の痛みのほうに移行してしまっているのだろう。かまいたちの柄を手放してしまった右腕を抱えるようにして男は背中を丸める。ぎりぎりで木の枝から落下しないのは褒めていい身体バランスだと思う。
「あああああああっ‼ なんでっ! なんでだよっ!」
少なくとも成人しているであろう大人が泣きじゃくるようにして僕を見てくるというのはなんとも気持ち悪い。見てはいけないものを見てしまった気分だ。
返事として、僕は歪に笑って見せた。
たった今、強烈に自分を傷つけた相手が『笑っている』というのは存外恐怖を喚起する。少なくとも僕は人狼とやり合ったときに滅茶苦茶怖かった。
だから、今笑ってやるんだ。僕を実際以上に怖い存在だと思わせるために。
「ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉」
どうやら効果は抜群だったらしい。真っ赤だった顔色が真っ青に急転直下した。
そろそろ膝裏の傷も多少回復してきたので無理矢理に立ち上がる。こっちの戦闘準備は万端だと言わんばかりに。これからお前をひどい目に合わせるぞと言わんばかりに。
いや、正直かなりぎりぎり。多少回復してきているとは言うものの、本来ならば安静にしていないといけないぐらいに傷はまだ深い。能力の行使のために集中するのもやっとというのが本当の僕の現状だ。
しかし、相手の目にはそうは映らなかったらしい。
「やめてくれぇっ! 殺さないでくれっ!」
頭を抱えてブルブル震えながらの命乞いだ。うわー、まるで悪役だよ僕。
「……じゃあ降りて来いよ。妖刀を拾ったらその瞬間首をへし折る」
もちろんそんな度胸はない。だけど、実行するかも可能性は高いと思わせた時点で脅しは成功したも同然。
小さな悲鳴をあげて男は大人しく木の枝から降りてきた。多少ぎこちなかったのはきっと右腕の痛みのせいだろう。決して僕が凶悪な顔つきをしていたことが理由じゃない、と思いたい。
未練がましく空中を漂っているかまいたちの破片を避けながらゆっくりと男に近づく。
そう、現在かまいたちの破片は“見えている”。
まき散らされた塗料は、僕の肉体を引き裂かんと漂っていた破片を見事に着色していた。オレンジ色の花弁のような物体が漂う中、僕は視線が通った男の右腕に能力を行使してべきべきにしてやったというわけだ。
透明な刃ならば、どこで視線を遮られているのかがわからないけど、着色されているのならばそれを避けるだけの話だ。体のどこかでもちゃんと見えていれば僕の能力的には問題ない。
妖刀なんて反則アイテムに対抗するために使ったのがカラーボールだっていうのはちょっと拍子抜けしてしまうけど、勝者は僕。敗者はかまいたち。決着した勝負にあとからぐちゃぐちゃ差し込むのは褒められたことじゃないだろう。
「かまいたちの鞘を掲げろ。余計な動きをしたら内臓を捻る」
んなことはできないんだけど。僕の能力が働くのはあくまで表面上。見えてない部分には無力だ。
そんな込み入った事情なんぞ知るよしもない男が素直にかまいたちの鞘を掲げる。
僕はそれを能力で手元に引き寄せる。
すでに柄の方は回収している。そして、コイツがご丁寧に解説してくれたので使い方もわかっている。
鞘に柄を収める。
たったそれだけの動作で漂っているかまいたちの破片は一瞬で消え去った。
出るのも一瞬なら消えるのも一瞬。たしかに、恐ろしい刀だった。殺傷能力は大した事がなかったのだけど、隠密性という点においては他の妖刀を凌駕していた。もっと入念な奇襲をされていたら僕も勝てたかどうか。使い手がアホ……いや、油断していただけだ。
そろそろ完全に膝裏も回復している。
ゆっくりと、なるべく現在の僕の何をするのかわからないというイメージを崩さないようにして男に近づく。
カタカタ震える人間を追い詰めてるみたいでちょっとばかり良識の部分が痛んだのだけど、こいつは僕を容赦なく刻もうとしてくれたんだ。このぐらいはやってもいいだろう。ちょうどいい仕返しだ。
じっくりと、逃がさないように距離を詰めた。もう手が届く距離だ。
涙を鼻水とよだれでひどいことになってる大人の顔面が目の前にある。きっつ。
「あ」
「え?」
「シュ!」
何気ない調子で発した僕の言葉と視線誘導によって上を向いた男の顎を打ち抜く。
お手本のような脳震盪を起こして男は失神した。
「……僕は、汚れてしまった」
ような気がする。無力化するためとはいえ、完全に降参状態の相手に暴力を振るってしまうだなんて。まてよ? これは暴力なのだろうか? 拘束のために必要最小限のダメージを与えたと表現は出来ないか? いやいや、出来ないか? じゃなくて出来るんじゃないか? そう……換言するならば必要悪だ。痛みを伴わない改革は存在しないように、暴力を伴わない拘束はありえない。
とまあ、現実逃避はこのぐらいにしてそろそろ室長の座標に飛んだほうがいいだろう。
僕がはめている指輪にこめられている空間転移の魔術は人間二人分ぐらいはいけるらしいし。
失神している男の襟首を掴む。
……言わなきゃならないのか。
「……そ~らをかっけって! くるくる~☆わーぷ!」
この言葉を発動のキーワードにしたのは室長だ。決して僕じゃない! しかも! しっかりとこの頭がとろけているんじゃないのかという調子で言わないといけないという徹底ぶりなんだよ! くそくそくそくそくそ!
キレかける僕をよそに、しっかりと空間転移の魔術は発動してくれた。
「ちょうどだな、コダマ」
まるでテレビのチャンネルを切り替えるみたいに、次の瞬間には室長が目の前にいた。笠酒寄も一緒だ。ついでに述べるならば二人ともクルマの外にいる。
……しかし、なんだろう。こんなに二人ともぼろぼろだったっけ?
「言いたいことはあるだろうが、道すがら説明する。流石に私もちょっと疲れた」
そんなことを言う室長は珍しい。
笠酒寄に目をやる。
「わたしも……もうちょっとだけ休ませて」
二人そろって拾い食いでもしたのか? 調子がおかしい。
「あ、この……かまいたちの所有者どうしますか?」
襟首を掴んだままの存在を思い出した。
「あー……例のスーツケースにでも放り込んどけ。妖刀を手放してしまったヤツなんてカスだカス」
容赦ない。
言われたとおりに僕はとっとと後部座席のスーツケースにかまいたちの(元)所有者を上半身だけ突っ込む。
ずぽん!
身も蓋もないほどに勢いよくスーツケースは綺麗に吸い込んでしまうと、そのまま自動で閉まる。相変わらずホラーだ。
さてと。
クルマに向いていた体の方向をいい加減に反転させる。
そこには、ぼろっぼろの公衆トイレがあった。
ただし、どこかで見たことがあるマークも小さく書いてあった。
統魔日本支部で何度か見かけたマーク。
おそらくは、統魔のいくつかの入り口の一つなんだろう。
そして、笠酒寄が持っている短めの刀、というか脇差しの正体も気になる。
「心の準備はいいな? この先にいるのは今回の妖刀騒ぎの元凶だ。始まりの妖刀、ありとあらゆる妖刀の原型。空前にして絶後、そういう……馬鹿だ」




