第五怪 その3
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勢いよく開けたアタッシェケースに入っていたのはたったの一種類の物品だった。
カラーボール。
コンビニとかに置いてあるアレだ。間違いない。
え? いやいや、どうしろと?
もう一回目をこすってから見てみる。
カラーボール。間違いない。
……ちょっと、頭痛がしてきた。
ご丁寧に三つも入ってはいるのだが、これでどうしろって言うんだ?
と、半分キレかけたところで僕はマジックか何かで書き込みがされていることに気付く。
〈妖刀かまいたち。異形の刀。刃は透明であり、数百の破片によって構成されている。抜き放つことでこの破片が展開し、かまいたち現象にそっくりの斬撃を可能にする〉
とてつもなく簡潔に妖刀の解説がしてあった。
たぶん、室長が書いた文だろう。字は綺麗なくせに図形は壊滅的な室長だ。
この解説は先にしてくれと言いたい。……知っていても防げたかどうかはわからないけど。
さて、ここにこうやって解説がしてある以上、室長の助けは必要ないと言うことなのだろう。たぶん、これだけで僕は妖刀かまいたちを退治できると信じているわけだ。は、信頼されているようでなんともくすぐったい。
とにかく、今はこの強盗を撃退するのにも役立ちそうにないアイテムもどう用いたらいいのかを考えるのが先決だろう。幸いにも、さっきからかまいたちの斬撃は飛んできていない。
あの解説が本当だというのならば納得できる。
僕の能力と同じようなものだ。見えない場所を斬りつけることは出来ない。向こうはできなくもないのだろうけど、下手にちょっかいを出して無用な反撃を食らうよりも有効なやり方はいくらでもあるのだから、そんな馬鹿なことはしない。
そう、まだ僕のほうが圧倒的に不利な状態なんだ。
がつっ! という聞こえたのはそのときだった。
なんというか、斧か何かで木に切りつけたみたいな音だ。
こういう時だけは鋭い僕の嫌な予感が走る。
がつっ! がつっ! がつっ!
四回目ぐらいで正体は判明した。何しろ、社が傾きだしたのだから。
「マジかよっ! 神様敬えよバカ!」
かまいたちの使い手はどうやら社をぶっ潰して僕も潰す腹づもりらしい。
こんな場所で心中するつもりはないし、僕にはまだまだ色々と楽しいことが待っているはずなので心の底からお断りさせてもらうのだけど。
がつっ! がつっ! がつっ! がつっ!
容赦なく斬撃は続く。
土台の木材部分に集中攻撃しているんだろう。そろそろ傾斜がきつくなってきている。
脱出するしかないな、これは。
アタッシェケースを閉じて、しっかりと持つ。
深呼吸。
心の中でカウントする。
三、二、一、GO!
崩壊が始まった社から全力で脱出する。
なり損ない吸血鬼の身体能力で今度は壁を蹴り抜く。
元々ガタが来ていたんだろう、簡単に壁に穴は空いたし、僕はそのまま外に放り出される。
ゴロゴロと地面を転がりながらアタッシェケースだけは手放さない。
すでにぼろぼろになり始めていた服はすでにボロ布と大差ない見た目になってしまったのだけどこの際仕方が無い。命があるだけ儲けものだ。最早洗濯しても繕っても無駄なので、また新しく服を買わないといけないだろう。ああ、被服代がかさむ。
ちょうど、僕が脱出したのは社が切りつけられていた方向とは反対だった。
そして、外に出たというのに追撃がこない。つまりは、この位置はかまいたちの使い手からは見えていない。ならば――――。
身をかがめて全力疾走。
おそらく、滞空しているであろうかまいたちの刃をくぐり抜けるようにして、僕は斬撃が飛んできている方向に向かう。
例え持っているのが妖刀だったとしても、振るっているのが人間であるのならばいくらでもつけいる隙がある。
見えない刃なんて扱いに難儀しそうな品なら余計にそうだろう。
少なくとも人間の限界をスキップで乗り越えてくるような相手を捕えるには苦労する。
ざくざくと何枚かの刃が顔を掠めた。もちろん出血もするのだけど大したことはない。
一本の刀身を数百の破片に分割するというかまいたちの特製のおかげで、一撃一撃の威力は大したことない。この程度ならばかすり傷みたいなもんだ。
すぐに見えない刃のゾーンを抜ける。
そして、僕は社を囲んでいる木々の中に突入していた。
遮蔽物が多くなってしまえば、それだけ破片を操る難易度は上昇する。
特性上、妖刀かまいたちは奇襲には向いているだろうけど近距離戦闘には不向きだ。決定力が不足している。
ラフファイトに持ち込んでしまったら、あとは僕でもどうにかなる。
ポケットに突っ込んでいた水晶玉を左手に握りしめる。
つい、と引っ張られる感覚。
相手に取っては非常に残酷なことだけど、僕は見えようが見えまいが関係ない。この妖刀探知機がある限り、そっちに向かっていくだけでいいんだから。
無秩序に生えている木を避けつつ、僕は水晶玉に従って前進する。
ソイツを見つけるのには一分かからなかった。
太い木の枝に腰掛けるようにして、双眼鏡で社のほうを覗ってる男。
反対の手には柄だけの日本刀を持っていた。
あれが妖刀かまいたちか。本当に刀身がないんだな。展開しているのだから当然だろうけど。
男が僕に気付いている様子はない。……とっとと終わらせよう。
ぐ、と力をこめて僕は跳躍しようとして――――膝裏を切り裂かれる。
「んなっ⁉」
どうやら今回のは結構深かったらしく、足から力が抜けてしまった。しばらくは跳べそうにない。
ゆっくりと、樹上の男は双眼鏡を下ろして肉眼で僕を見た。
にたり、とその顔がイタチを思わせるような笑みを浮かべる。
「ちょろいな。もうちょっと歯応えのあるヤツだと思ったんだけど。まあ、俺とかまいたちの能力を舐めてた証拠だな」
嘲るような口調で男は僕を見下してそう言う。
気付かれていた。
たしかに僕はコイツを侮っていた。妖刀の力に溺れきってる人間だと思い込んでいた。
だけど、そうじゃなかった。冷静に獲物をおびき出し、罠にはめるぐらいの知性はあったみたいだ。これは完全に僕の油断だ。
だけど、この程度で僕を封じ込めたと思ったら大間違いだ!
能力を発動させる。
ぶわり、と短くなったポニーテールが浮かんで、見えない力でかまいたちを持っている右腕をへし折るようにイメージ。
能力は発動したはず……だった。
だけど、男の右腕は微動だにしていない。
刀身の存在しない刀を持ったままだ。
なん……で?
確かに僕の能力は発動している。なのに、なぜ?
「ははっ、そのツラ! なんで自分の超能力が発動しないのかって顔だ! そうだろ? なあ! ぎゃははははは!」
げらげらと下品な笑い声を上げて男は上機嫌そうだ。
……いや、そんなことよりも。
なぜ、こいつが僕の能力のことを知っているんだ⁉
初めて出会ったコイツがなんで僕の事を知ってるんだ⁉
「へはっ、なんだか腑に落ちないってツラだ。まあ、当然当然。“俺達”のつながりはわかんねえわな。どうでもいいけどっ」
俺達? 俺達って何だ? 自分とかまいたちの事なのか? いや、よく考えろ。
水鏡もそんなことを言ってなかったか? そう、「あなたたちでしたか」ってヤツも言っていた。あのときは気に掛けなかったのだけど、僕達のことを知っているのはおかしいじゃないか。
この妖刀騒ぎ、まだ僕が把握していない事が多すぎる。
ちん、と音を立てて男が納刀する。
「かまいたちは納刀すると鞘の中に刀身が戻ってくるんだよ。だから展開しても戻すのは一瞬だ。そして、刀身を展開するのも一瞬」
抜刀。
その瞬間、周辺に『何か』が出現した気配がした。
おそらくは、かまいたちの刀身。見えない数百の破片がこの辺りに漂っているのだろう。
なるほど。僕の能力の弱点、それを突かれたわけだ。
視線が通っていないと僕の能力は対象に働かない。例えそれがガラスのように透明なモノであったとしても。
さっきの僕の能力が不発に終わった疑問はこれで解決した。
僕を見失ってから、こいつは一旦かまいたちの刃を戻して、周辺に展開していたんだ。
だから、あのとき双眼鏡を覗いていたのは演技というワケか。
そして、今度はもっと念入りに展開していることだろう。さっきとは刃の密度が違う。
すでに僕は姿をさらしているし、向こうも準備万端。
突破口が……ない。超能力も、身体能力も封じられている。
膝裏の傷はすでに修復が始まっているから時間が立てばどうにかなるけど、相手がそれを待ってくれるようなヒューマニズムあふれる人間には見えない。
このままじゃ……やられる。
手詰まりになりそうな僕の指先が触れたのは、室長から預かったアタッシェケースだった。
「まあ、いいや。お前はここでバラバラに刻んでやるよ」
す、と男がかまいたちの柄を振り上げた。




