第五怪 その2
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かまいたち。漢字で書いたなら鎌鼬か? 別に前足を鎌に改造されてしまった憐れな改造イタチというわけじゃない。そっちだったら、単なる悪趣味なデマで済んでしまったであろう話。もしくは動物愛護団体が激怒するだけの話。
妖怪としてよく知られるその存在は、とある妖刀が元になっているという。
妖刀かまいたち。
そのまんま妖刀の名前が妖怪になってしまったわけじゃなくて、逆だ。実はこの妖刀は無銘だったらしい。しかしながら、江戸期に流行った妖怪変化とあまりにも合致する部分が多くて――いや、この妖刀によって引き起こされる現象はかまいたちそっくりだったので、銘に妖怪の名前を冠することになってしまった、らしい。
すでに僕を降ろしてクルマを出した室長はそんな風におざなりな説明だけをしていってくれた。
めちゃくちゃ雑だし、その上に渡したアイテムの解説なんかも説明書すらない。「見たらわかる」だそうだ。そんな対応マニュアルを採用している企業はおそらくないだろう。商品説明書にそんな文言が載っていたらクレーム待ったなしだし、そもそも購入を検討する人間さえいないだろう。
今、僕の所持品は妖刀探知機と化した水晶玉と、空間転移魔術が封入されている(らしい)指輪。そしてアタッシェケース。
このアタッシェケース内に妖刀退治、っていうか妖刀かまいたち退治に役に立つアイテムが入っているらしいのだけど、その説明はなかった。開けてすらいない。ゆえに、僕はまだ渡されたアイテムの全貌さえも把握していないのだ。
強烈な寒風が吹き付けて、震えが走る。
現在の扱いに対する怒りを含んでいるのはもちろん、把握している。だけど、このままここで馬鹿みたいに突っ立っていてもしょうが無い。とっとと妖刀を退治して室長に追いつくほうがいくらかは生産的だ。
ぱあん、と自分の顔を挟み込むように叩く。
「……ぜっっっっったいに後でしこたま文句言ってやるからな」
漏れた言葉は、本心だった。
町、というよりもこの辺は村と言った方が良いぐらいには何もない。
いや、何もないというのは間違いか。田畑が広がっている。あとビニールハウスも点在している。だからどうしたって話なんだけど。
冬という季節上、作物の植え付けは行われていないのだけど、それがまたもの悲しさを邁進してくれる。ただでさえ妖刀退治というトンデモミッションを受けているのに、気分まで落ち込んでしまうだなんて……泣きっ面に蜂だ。蜂ってよりも、財布落としたとこにペンキをぶちまけられてしまったような感じだ。直接的な痛みは伴わないが精神的に疲労する。
変な方向に思考がぶっ飛びそうになってしまってきてるので、払拭するために僕は掌中の水晶玉に意識を向ける。
ほんのわずか、引っ張られる感覚を覚える。
多分、水鏡が妖刀に引き寄せられているんだろう。そうじゃなきゃあ、単に僕の『とっとと帰りたい』という深層意識に肉体が反応しているのだろう。後者である可能性は低い。だって、水晶玉が示す方角にはいかにもと言った感じの山の入り口があるのだから。
僕に自殺願望とかが無い限りは、山に入ろうという気は無い。つうか、入ったことさえも数えるほどしかないし。更に言うなら当面僕に自殺願望は芽生えないことだろう。別に現実に絶望してるわけじゃないし。
わざわざ任務放棄するだけならば、とっとと指輪にこめられている空間転移の魔術を発動させてしまえば良いだけのことだ。今のところその腹づもりはないのだけど。
まあ、無駄にあちこち駆け回って妖刀探しをするよりも、こっちのほうが手っ取り早くて助かる。僕の身の安全的には全然助かってないのだけど、いつか相対する羽目になる厄介事ならば早く終わるに越したことはない。
じゃあ、行こう。
妖刀かまいたちのいる場所へ。
この馬鹿らしい妖刀騒ぎを収束に向かわせるための前準備と行こうじゃないか。
山の入り口と一口に言っても様々だろう。
一番多いのは、気がついたら入山していたというケースじゃないだろうか。
なぜか? 普通の山はわざわざご丁寧に『ここからが山ですよ』なんて看板を出していてくれたりはしないからだ。
山道を通っている間にいつの間にか入って、いつの間にか抜けている。そんなもんだろう。
だけど、僕の目の前にはこの上なくわかりやすい“入り口”があった。
入り口というよりも、どっちかと言えば階段だろうけど。
コンクリート製の綺麗な階段ではなく、土が剥き出しのなんとも野性味あふれるものだけど、登るのに支障はなさそうだ。
……水晶玉はずっと上のほうに引っ張られている。
ため息を一つ吐くと、僕はどこまで続いているのかもわからないような階段を上る。
一歩一歩確実に、なんてまどろっこしいことはせずに三段飛ばしという暴挙。山の専門家辺りには「山を舐めるな!」と叱責されてしまいそうだけど、そこはなり損ない吸血鬼。多少の荷物を持っていたとしても気分は一段飛ばしで階段を上っている感覚に近い。
すごいスピードで階段を上っていく高校生男子。うーん、僕が新しい『怪』になってしまいそうなシチュエーションなのだけど今はつべこべ言うつもりはない。僕としてはとっとと妖刀かまいたちをぶっ飛ばして暖かいスペースに移動したいんだ。冬に山登りするのはタイピストか自殺志願者だけでいい。僕はどっちでもないのだから、早く帰りたい。
気分としては鬱々と、それでも足取りは軽快に(三段飛ばしなんてやってるから客観的に見たらどうしてもそうなってしまう)僕は水晶玉の導く方向に向かう。
休むことなく一〇分ほども上っていると、いい加減に終わりは見えてきた。
最後は五段飛ばして大きくジャンプしてから着地。僕が想像していたような光景は広がっていなかった。
というのも、僕の目に映っているのは小さな社だけ。ちょっとばかり周辺の木々が払われているのでスペース的には広がっているように感じられるのだけど、周囲全部囲まれてしまっているせいで圧迫感は余計に増してしまっているような気がする。
そして、視界のどこにも妖刀も、妖刀の所有者らしき人物の影も見えなかった。
……あれ?
更に上に行くルートは存在していない。たぶん。もうこれ以上高い地点はちょっと見えないし、それらしき案内もない。
つまりは行き止まりということだ。
どうなってんだ? 間違いなく水晶玉はこっちの方角を示していたはずなんだけど……。
もう一度、水晶玉の感覚を確かめようとした瞬間だった。
僕の足下、土が剥き出しになっている地面が、すぱりと切り裂かれた。
……切り口は小さい。精々四センチメートルぐらいの切り込みが入っているだけだ。その上に、浅い。
カッターナイフで切りつけたのと大して変わらないぐらいの深さ。
だけど、異常なのは“切ったモノ”がまったく見えなかったことだろう。
僕は間違いなく切り裂かれる瞬間を目撃していた。それなのに何かが超スピードで通過したとか、僕のうっかりで見落としたとかはない。なり損ない吸血鬼の動体視力を舐めてもらったら困る。通過する電車の乗客の顔をはっきりと認識できるぐらいの動体視力で気づけない早さなんかで動いたらものすごい風圧が発生してしまう。例えそれが小さな刃だったとしても。
それに、切り裂かれるスピードは大したことなかった。いや、そっちのほうが問題なのだろうけど。
これは……まずい。すでに妖刀は仕掛けてきている。
横っ飛びに回避するのと、僕の頭があった場所を不可視の『何か』が通り過ぎるのは殆ど同時だった。
微風が吹いたようにしか感じられなかったのだけど、ちょっとばかり追従が遅れた僕のポニテがさっくりやられた。また短くなってしまった。そのうちになくなるんじゃないのか、僕の髪。高校生にもなってスポーツ刈りになってしまいたくはない。
着地すると、すぐに次が襲ってくる。
得物が見えないということがここまで厄介だとは!
僕と相対してきた相手はこんな気分だったのだろうか。くそ! すげえ卑怯に感じるな!
耳元を掠めながら、確かに『何か』が飛び交っているのがわかる。ひゅんひゅんという風切り音が止んでくれない。
服が数カ所切り裂かれる。
深さは大したことないけど、その数が問題だ。同時に二カ所以上を攻撃できてるっていうのはどうなってるんだ⁉
このままじゃあジリ貧。一旦体勢を立て直さないと。
無理矢理、一歩踏みだす。
ざっくりとズボンが切り裂かれるけど無視。そのまま全速力で目の前にある社の中に突進する。
ぺらっぺらの戸を突き破って中に突入。幸いにも木片がぶっささる事は無かった。
板張りの床に転がる。
辛うじてアタッシェケースを手放してなかったのは褒めていいだろう。一応はこの中に妖刀対策のアイテムが入っているはずなのだから。
現状確認。
妖刀側はすでに僕を発見していて、攻撃を仕掛けてきている。対して僕は相手がどこにいるのかさえもまだわかっていない。
絶望的? そうじゃない。単に一歩出遅れただけの話だ。
これから巻き返せば良い。
反撃に転じるため、僕は室長から託されたアタッシェケースを開いた。




