第四怪 その5
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やってくるであろう痛みに耐えるために僕は目を瞑ってしまっていた。
だけど、予想していたような痛みはやってこない。それどころか、何かが接触したような感覚さえもない。
?
こわごわと目を開ける。
僕の首を刎ねるように迫ってきていた妖刀は、別の刀によって受け止められていた。
へ?
分厚い刀身のやけにごっついその刀を握っているのは……笠酒寄だった。
両手両足を人狼化して僕と水鏡との間に割り込み、その凶刃を受け止めている。
「空木君は……わたしが守るんだから!」
力強い宣言。おっとこらしいぜ、笠酒寄。
いやいや、軽く現実逃避してる場合じゃない。
なんで笠酒寄がここにいるんだ? っていうか、お前よくこの状況で飛び込んで来る気になったな。
ぎぃん、と耳障りな音と共に競り合っていた二刀が離れる。
同時に、僕は笠酒寄に襟首をひっつかまれてぶん投げられる。
頭から突っ込みそうになるけど、なんとか無事に着地。
「おい笠酒……き?」
文句を言おうとした僕は黙らざるを得なかった。なぜならば、笠酒寄と水鏡の所有者、その二人の間では激しい剣閃の応酬が繰り広げられていたのだから。
人狼の筋力で振るわれる一撃をいなして妖刀が返し、それを更に笠酒寄は避けながら返しの刃を放つ。その繰り返しだ。
理合とか間合いとか、合理とか術方とか関係なしの真っ正面からの斬り合いだ。
ハイスピード過ぎてまるで打ち合わせ通りに踊っているようにも見えるその戦闘は余計な手出しをする余裕さえない。めまぐるしくお互いの位置取りが変化し、入れ替わり、ぶつかり合う。近づいただけでぶったぎられそうだ。
たぶん、技量は水鏡のほうが圧倒的に上なのだろう。笠酒寄がどんなに剣術の研鑽を積んでいたとしても、現在までずっと技を写し取り続けていた水鏡に敵うはずもない。
それが拮抗しているのは、ひとえに人狼の力によるものだろう。
人間として考えるのながら規格外そのものである人狼の筋力、反射神経、スタミナ、タフネス、そういったフィジカルな要素が妖刀という反則アイテムへの対抗手段たり得ているのだろう。
例えるのならば、技の水鏡、力の笠酒寄。
そして、たぶん笠酒寄は身体能力任せで刀を振るっているだけだ。
だから、水鏡も写し取れない。圧倒的な身体能力に対して、技で対抗するしかない。
当然、柔よく剛を制すの精神を体現するような技もあるのだろうけど、それは相手が人間の範疇である場合に限る。なり損ない吸血鬼の僕ぐらいならば、もしかしたら近しい数値をたたき出す人間がいるのかもしれないけど、人狼の笠酒寄はその一歩先を行く。
力任せの一撃は、剣豪の鋭さに匹敵するんじゃないか?
実際、僕の動体視力でも笠酒寄の太刀筋(と言って良いのかはわからないけど)を見切るのは不可能に思える。水鏡は蓄積した技の記憶や、所有者の経験値によって対抗しているけど。
互角。少なくとも今のところは。
「きみは不思議だねぇ。まったく太刀筋が見えないんだけど、鋭くって鋭くって惚れ惚れするなぁ」
「あなた嫌い!」
ごもっとも。僕もこいつは嫌いだ。生理的に。
荒々しい笠酒寄の太刀筋とは対照的に、男の方は滑らかに動く。
まずい。笠酒寄のほうは相手を殺す気まではないからぎりぎりで手加減しているけど、相手はそんな優しさは微塵もない。
拮抗しているのならば、最終的に差が出てくるのはそういう心理の面だ。
現に、徐々にではあるが笠酒寄が避ける割合が増えてきている。
最初は九割攻めていたのに、今は攻守の割合が半々ぐらいにはなってしまっている。
このままだと押し切られる!
視力、いや、動体視力に全ての意識を集中する。
僕の限界? そんなもん知ったことか!
同時に能力をいつでも発動できるようにスタンバイ。ポニテが浮く。
もはや二人の動きを分析するのは不可能に思える。だけど、出来なきゃ笠酒寄も僕もあの気持ち悪い奴にぶっ殺されて終了だ。
手足が冷たい。
全身の血液が脳みそと眼球に集中してしまったみたいだ。
けど、今はそんなことどうでもいい。大切なのは隙を作ることだ。一瞬、それだけでいい。それだけあれば笠酒寄には十分だろう。
笠酒寄の大振りの一閃を華麗に躱して、顎ごと切り飛ばすような一閃。
その瞬間、まるで時間が引き延ばされてしまったかのような錯覚を覚えた。
ひどくゆっくりに見える。
踏み込んでいる笠酒寄も、嫌な笑みを浮かべている男も、宙に舞うホコリさえも、すべてに働く時間という概念がちょっと一休み、と言っているかのようだった。
それを僕は逃さない。
ぎりぎり、焦点を合わせることが出来たのは水鏡の刀身だけだった。
それでも能力自体はちゃんと発動してくれたのだから、及第点と言って良いだろう。
びたりと水鏡の動きが停止する。
「笠酒寄! 僕が止めてるうちに!」「わかった!」
打てば響くように返事が返ってくる。頼もしい。
ざわり、と笠酒寄の肉体そのものが波打ったように感じた。
僕は水鏡に集中しているからわからないけど、たぶん完全に人狼化したんだろう。
「ええーい!」
僕と戦ったときとは違って声は笠酒寄のモノだったけど、その威力は間違いなく本物だった。
笠酒寄は、自分の肉厚の刀を水鏡に振り下ろしていたのだ。
もちろん、そんなことをしてしまったので僕の能力は途切れる。
だけど、もうすでに詰みだ。
極厚の刃は、ほんの少しではあるが妖刀の刀身に食い込んでいた。
「……かっ……くぁ……」
膝をついて男は耐える。だけど、それは悪手だ。そして、たぶん笠酒寄の思うつぼだ。
「ぅぅぅぅぅぁぁぁあああああ!」
切断。
全霊の叫びと共に押し込まれた笠酒寄の刀は水鏡の刀身を真っ二つにしていた。
勢い余ってそのまま下のアスファルトにまで食い込む、っていうかぶっ刺さる。
そこから先の笠酒寄の動きは素早かった。
刀を手放して、そのまま放心している男の右手を握る。
乾いた木の枝が折れるような音と共に男の手首が変な方向に曲がる。
男は絶叫するが、それにもかまわずに完全に人狼と化した笠酒寄は左手首も折る。
へし折られてしまった水鏡の柄側が落ちる。
「ぎぃぃぃゃああああああああああああ!」
妖刀を手放したおかげで感覚が戻ったのか、感性が戻ったのかはわかないけど、男はのたうち回る。その勢いで折れた手首を打ったらしく、更に勢いは増したのだけど。
「サンキュ、助かったよ、笠酒寄」
「大丈夫、空木君? 怪我ない?」
僕よりもお前のほうがよっぽど危険性が高いことやってた気はするんだけどな。それでも僕を心配してしまう辺りは、なんというか……こそばゆい。
「平気平気。それよりもお前は大丈夫なのかよ」
妖刀に斬られるという事の危険性は笠酒寄もわかっているはずだ。一つの手傷が致命傷になる可能性だってあるんだから。
「大丈夫、わたしは頑丈だもん」
まあ、そりゃあその状態ならそうだろうけどよ。
それでも、お前は女子なんだから心配になるじゃないか。……ほら、彼氏としても。
照れくさいのでそういうことは言わないけど。
人狼化を解除して笠酒寄は人間に戻る。今回はぶかぶかの服装をしていたおかげで服が破けるということはなかった。少なくとも表面上は。インナー部分は知らない。
水鏡の所有者、いや、すでに水鏡が破壊されてしまったので元か。とにかくあのイカレた気持ち悪い男は未だにごろごろと地面をのたうち回っていた。
両手首を折られてしまっているので、襲っている痛みは想像を絶するだろう。だけど僕は同情なんてしない。こいつは何人も斬っている。間違いなく人斬りなんだ。
ひとしきり暴れて体力も尽きたのか、数分も経過すると男の動きは目に見えて鈍くなってくる。
……さて、どうしたものか?
応急処置でもしてやったほうがいいのか、それともこのまま蹴りの一発でもお見舞いしてやったほうがいいのかの検討を僕が始めようとしていると、背後のほうから何かが着地した音が聞こえた。
予想は付いているのだけど、警戒態勢で振り向く。
「そんなにピリピリするんじゃない。この町で確認できているのは剣士狩りだけだから水鏡以外の妖刀は存在してはいない」
ホコリでもついたのか、ぱたぱたと白衣をはたきながらそんなことをのたまう室長だった。まあ、大体予想できたことではある。
「ちょっと登場にもったいつけすぎなんじゃないですか? 僕も笠酒寄も危ういところでしたよ」
「たしかにな。まさか他の妖刀、よりにもよって圧し切り長谷部の能力を写し取っているとは予想外だった。これは私の失態だ。間違いない」
……妙に素直に謝るな。
いやまて、今の言動はおかしいんじゃないか?
「ちょっと待ってくださいよ室長。なんで水鏡が圧し切り長谷部の能力を写し取っていることを知ってるんですか?」
室長は言った。水鏡がどういう太刀筋をコピーしているのかは未知数だと。しかも、あのときは室長も笠酒寄もいなかった。情報を得る手段があるはずもない。
「ああ、簡単だ。キミ達に渡した刀と袋には魔術を仕込んであった。術者と周辺の視覚情報を共有できる魔術をな」
つまり、僕と笠酒寄は刀型のカメラを抱えていたようなもんだったってことか。そう考えると、僕が室長に連絡したときにやけに落ち着いていたことも説明が付く。すでにあのとき、室長は水鏡に遭遇したという事実を知っていたのだから慌てる理由もない。
また僕は室長に肝心な部分を明かされないままで踊っていたというわけだ。ちょっと悔しい。
「ふふん、どうやら察しはついてるみたいだな。後は私が笠酒寄クンを体育館まで誘導して時間稼ぎを頼んだ。まあ、二人だけで十分だったみたいだがな」
軽く言ってくれやがる。こっちは死にそうになっていたっていうのに。
思いっきり不満げに室長に視線を送るが、全く効果は感じられない。
それどころか、涼しげな様子でずかずかと息も絶え絶えといった様子の男に近づく。
しゃがみ込んで、容赦なく髪を掴んで顔を上げさせる。あんたはヤクザか。
「答えろ。どこでその刀を手に入れた? 答えない場合は一本ずつ歯を引っこ抜く」
いつの間にかタバコを銜えてのその堂々たる脅迫には僕も笠酒寄も突っ込めない。下手に口を挟んだらこっちにまで飛び火しそうだ。
だけど、男は不敵に笑った。
「は、はは、ははは。なるほどなるほど。あなた達でしたか。でも残念。僕を殺しても何も解決しませんよ。……もはや楔は打たれたのですから。あとは待っているだけで良い。それだけで終わァギィ!」
最後のは前歯を引っこ抜かれた悲鳴だ。
自分はのらりくらりとかわすくせに、他人には正確な返答を強制する室長に対して、からかうような事を言ったらどうなるのかの実証実験と言えるだろう。理不尽極まりない。
「ヒッ……ヒィィ……ヒ!」
「喋る気が無いのならお前の血液に直接尋ねるまでの話だ。言っておくが手加減はしない。廃人になっても後悔するなよ」
むしられた前歯に男の関心が移っている間に、室長はすでに耳のところと肩に手をおいて体勢を整えていた。
ああ、これは、アレだ。
迷い無く室長はそのまま男の首筋にかぶりつく。
「かっ! か、あ、あ、あ……」
吸血はなんとも言えない感覚になる。僕も食らったことがあるけど、あんまり体験したいものでもない。
しかも今回は手加減なんて生やさしいモノは一切含んでいないだろう。全力で室長が吸血した場面を見たことはないし、想像さえもできない。
見る間に男は白目を剥き、徐々に徐々にその若々しかった肌がまるで枯れ木のように変化していく。
流石にそろそろまずいんじゃないか? そんなことを思ったら、まるでその思いが通じたかのように室長は口を離した。
口の周りを汚す血液を乱暴に白衣の袖で拭う。
「……なにか、わかったんですか?」
我ながら間抜けな質問だった。だけど、一応は聞いておかないといけないだろう。あんな意味深な負け惜しみを言うぐらいなのだから。
「まずいな」
それは、血液の話だろうか、それとも、僕達が置かれている状況の方だろうか。
いや、きっと両方なのだろう。
室長があまり見せない深刻そうな顔の答えは、まだわからないのだけど。




