第四怪 その1
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自分を客観視する。そういう言葉が昨今よく叫ばれている現状なのだけど、はてさてそれが出来る人間がどれほどいるのだろうかと僕は疑問を投げかけたい。
一見オープンに見えるネットの世界でさえも、実はかなりの閉鎖的な環境なのだ。
なぜか? 情報を取捨選択するのは結局のところ自分だからだ。
この世界は自分というフィルターを通して観測しているに過ぎない。
自分。それは一番近くて、一番理解しがたい存在だ。
時として望まぬ結果を生み、時として至上の幸福をもたらす。そんな厄介な存在と付き合い続けるというのは、なんとも奇妙な話だ。
さて、屁理屈をこねているようにしか見えないこの話。
しかしながら、ちょっとばかり思うところがある。
じゃあそんな奇妙奇天烈な“自分”を観測するにはどうしたら良いのか?
簡単だ。その辺にある手鏡でも手に取って鏡面を顔の前に持ってくるといい。
だけど、写ったソレが自分であることを保証してくれる存在はない。
もしかしたら、見ているのは鏡自身なのかもしれないのだから。
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「さて、笠酒寄クン。報告を聞こう」
百怪対策室内応接室。
時刻はすでに八時過ぎ。というか、圧し切り長谷部の一件が終わり、統魔に報告して百怪対策室に戻った時間なのだから当然なのだけど。
そして、そこで待っていたのは笠酒寄だった。
そろそろ帰らないと僕も笠酒寄もお小言を頂戴する羽目になるような時間。バイトは黙認されているとは言っても高校生。未だ本業は勉学であり、自分の子どもが魔術とか妖刀とかの事件に関わっていると知らない親からは容赦なく雷が落ちる。
「はい、結果から言いますね」
最近の笠酒寄のマイブームは『結果から先に』というモノだ。映画にでも影響されたのだろう。たぶん。
「御路次町で辻斬りが起きてます」
はー、また始まった。こういうワードが出てきてろくな目に遭ったためしがない。
すでに僕のやる気は下限を突破してグラフの底をぶちこわしてくれそうなぐらいだ。新しく線を引かないといけないだろう。その場合はマイナスの数値になってくるので赤のマーカーじゃないと受け付けない。
「辻斬り、か。また物騒だな。……詳細を聞きたい」
「はい。御路次町周辺では年末から立て続けに傷害事件が起こってます。被害者のほとんどが剣道の有段者、もしくは何らかの剣術を修めている人物です」
……なるほど、それは確かに奇妙だ。
まあ、笠酒寄も室長も伊勢堂のショートケーキを口に運びつつの会話なので本来はないといけないはずの緊張感はみじんもない。少しの時間ぐらいは甘い物を我慢できないのだろうか、この二人は。
「有段者?」
「はい。年齢は様々ですけど、みんな大会とかで優勝したことがあるような人ばっかりです」
だんだん化けの皮がはげて普段の口調に戻り始めている笠酒寄だった。
しかし、辻斬りとはまた……なんとも古めかしい。今は二十一世紀であって、江戸時代とかじゃないんだけどな。
とは言っても、この百怪対策室で働き出してから珍妙な事件に遭遇しっぱなしの僕が未だに辻斬りには遭遇していなかった。……いや、フランケンシュタインの怪物の時は辻斬りというよりも人さらいだったから……やっぱり僕は辻斬り事件というのは初めてだろう。キスファイア? 思い出させないで欲しい。
しばらく、室長は顎に手を当てて何かを思考しているようだった。
まるで難問に挑む数学者のように。
「……笠酒寄クン、被害者に共通していることは? もしかして、同じ箇所に傷を……いや、二度と剣を持てないようにされていないか?」
やけに重々しい口調で室長はそんなことを訊いた。
なんだそれ? 『二度と剣を』って。傷害事件なら怪我で剣を持つどころじゃなくなっているに決まってるじゃないか。
だけど、どうやらソレはかなり核心に触れる質問だったらしい。
「え、、あ、はい。怪我した人達はみんな手に重傷を負っていて……回復しても前みたいには動かなくなっちゃう……みたいです」
報告するはずだったことを先取りされた笠酒寄は目に見えて動揺していた。
だけど、もっと動揺していたのは僕の方だ。
「なんで……なんで室長はそんなことがわかったんですか?」
嫌な予感がする。こういう時だけ発揮される僕の嫌な予感が。
やれやれというように室長は頭を振ると、そのまま愛用のスマートフォンを取り出す。
このままゲームでも始めてくれるのならば、僕も笠酒寄も多少は安堵する場面だったのだけど、その期待は裏切られた。
選択されたアプリケーションは、電話だった。
もう、わかってる。どこにかけているのか。そして、これからどうなってしまうのか。
数回のコールの後に、相手がでた。
『はい。こちらは統一魔術研究機関日本支部でございます』
公にはされていないはずの組織のくせに、やけに堂々としたその応対はどうなのかと言いたくもなったけど、今はその場合じゃない。
「ヴィクトリア・L・ラングナーだ。保管されている物品の所在について問い合わせがしたい。管理課に転送してくれ」
『承知しました。少々お待ちください』
事務的な対応の後に、保留音のメロディが流れ出す。
今この場で何が起こるのかを問いただした方が良いのだろうか? それとも逃げ出したほうがいいのか? とっさに思いついたのはその二択。しかし、どっちも選べずにいるまま電話は管理課とやらにつながってしまった。
『お電話ありがとうございますヴィクトリア様。ご用件は?』
男性の声。性別なんぞは重要じゃないんだろうけど、あまり若々しい感じじゃないし、もしかしたら偉い人につながっているのかも知れない。
「妖刀の一振り、“水鏡”の保管状況について尋ねたい」
妖刀。ああ、また妖刀だ。
ついさっき一件解決してきたというのに、僕はまたぞろ血なまぐさい一件に首を突っ込む羽目になってしまうのか?
笠酒寄は事態について行けていないのかきょとんとした顔をしている。お前もあの圧し切り長谷部のとんでもない能力を目の当たりにしたら逃げ出したくなると思うぞ。
まるで糾弾するかのような室長の質問だったのだけど、相手は別段気を悪くした様子もなく返してきた。
『水鏡につきましては盤石の体制で保管しております。ご心配は必要ありません』
その回答で僕はちょっとだけほっとする。
同時に、室長も見当外れの方向に大暴投することもあるもんだ、とちょっと意外に思っていた。
だが、室長の追求はやまない。
「保管の責任者は誰だ? いや……前任者は誰だ?」
少しだけ、通話先の相手はたじろいだようだった。
『……木角利連の一件がありましたので前任者は罷免され、それに伴い行方不明です』
また、ヤツだ。木角利連。あの肥大化した欲望で自滅した陰陽師の名前だ。
「その際に保管している品はきちんと検査したのか?」
『それは……』
言い淀む。
しかしながら、無理があるというものだ。
木角利連が失脚したのは十二月も下旬。
そこから現在まで二週間程度。その短い期間で検査が終わるわけがない。
未だに後任の人間が決定していない状態で、それを批判するのはあまりにも外野の意見に過ぎる。
それでも、室長は手を緩めない。
きっとそれは過去に何かがあったからなのだろうけど。
「剣士狩りが起きている。水鏡はおそらく偽物だ。今すぐに調べて八久郎に連絡しろ。私がどうにかする」
『しかし、貴方は――』
「これ以上事態を放置するつもりならそうしろ。お前には死すらも生ぬるい罰を執行してやる」
一方的に告げて室長は電話を切る。
ほんのわずか、怒っているようにみえる。
物品管理の体制の不備によるものか、それとも木角の名前が出たことによるものなのかはわからない。
エスパーならぬ、サイキッカーの僕にはその心情をするすべはない。
だけど、この後どうなるかぐらいは想像が付く。
ああきっと、僕はまた妖刀を相手取って極限バトルなんだろうな。




