第2話 クッキーと魔導具
「お待たせしました」
カリュが呆けたまま店内にあるテーブルについていると、ほどなくして店の奥からリツがやって来た。
整然と立つリツの後ろに、彼女のスカートを掴んで頭だけを出すノアがいる。
今だ頬を膨らませて睨みつける様子を見るに、カリュのことを許してはいないようだった。
カリュは椅子から立ち上がり、しょんぼりと耳を倒して頭を下げた。
「なんだかすいませんでした。ノアちゃんのことも勘違いしちゃって……」
「いえ。ノアを一目見てオーナーだと信じる方がどうかしているので、お気遣いなく」
「な!? リツのバカ!!」
頭上の会話にノアはまた涙目になって、リツの腰を叩く。
大したダメージは与えられていないようで、リツは平然としている。
「あ、私カリュって言います。この町で探索者やってます」
「私はリツ。ノアの友人です」
「わたしはノア! この店のオーナーなんだからねっ」
今更ながらに挨拶を交わす。
ノアは先ほどまでの丁寧な口調が無くなり、素であろう砕けたものになっていた。
「やっぱり、ノアちゃんがこの店の……」
「はい、このノアは正真正銘この〈影猫亭〉のオーナーです」
リツが店内に視線を向ける。
つられて、カリュも整然と魔導具の並ぶ店内を眺めた。
一面の壁を全て使った陳列棚に置かれた怪しげな物品の全てが、ノアの作った魔導具なのだとリツは説明した。
値札はなく、全てはノアの一存で決まるのだという。
「ノアはホワイトエルフという種族で、外見はこのように幼いですが、立派な成人なのです」
「ホワイトエルフ!?」
リツの言葉にカリュが目を見開く。
そんな様子に、ノアはむふんと頬を緩めた。
ホワイトエルフ族は、あまり歴史の表舞台に現れない種族として知られていた。
豊かな森の奥深くで小さな隠れ里を作り、そこで一生を終える。
過去に、その美貌と卓越した魔法技術を狙われ多くの者が奴隷狩りの被害にあったことが理由とされていた。
「普段はこの〈幻惑の首飾り〉で長い耳も隠してるの」
そういって、ノアは首元の銀鎖のネックレスを取った。
すると彼女の白い髪の間から、水平に伸びる細い耳が現れる。
「わぁ、ほんとだ……」
細長い耳はエルフ族全体でみられる特徴だ。
カリュの幼馴染であるグリーンエルフ族の少女もまた、このような細長い耳をしている。
「って、そんな大事な事私に教えてもよかったんですか?」
ピクピクと耳を動かすノアを見て、カリュが尋ねる。
「ま、まさか秘密を知ったからには生かして返さないとかいう……?」
カリュのふさふさした尻尾が小刻みに揺れる。
黒い瞳に怯えの色が混じり始めた。
「大丈夫ですよ。そんな野蛮な事しません」
「よ、よかった……」
「ただあなたが誰かに話そうとしてもすぐに捕らえて二度と話せないようにできる自信があるだけです」
「ぴっ」
やっぱり野蛮なのではという疑問が彼女の脳裏をかすめたが、それを言い出す勇気など無かった。
「そうだカリュ。何か魔導具見ていかない?」
「え」
ノアの言葉にぐっとカリュは詰まる。
魔導具といえば、カリュが腰に差している〈治癒の秘薬〉よりも高価な代物だ。
そんなものを見せられたところで買えるわけがない。
「でも私、まだお金なくて」
「まあ見ていくだけでもいいから! それにクッキーとハーブティーもあるよ」
「じゃ、じゃあ、少しだけ」
いつの間にやら許してくれたのか、ぐいぐいと迫ってくる少女に気圧されて、カリュはこくりと頷いた。
ノアに手を引かれてテーブルにつき、すぐにリツが銀盆に載せたクッキーとティーカップを持ってきた。
「わ、良い匂い」
「でしょ! 今朝私が作ったばっかりなんだよ」
陶磁の皿に載せられたクッキーは香ばしい小麦の香りと爽やかなハーブの香りを漂わせている。
細やかな細工の施されたカップに注がれる若草色のハーブティーもまた、朝のすがすがしさを感じさせるすっきりとした甘い香りだ。
「ノアちゃんは料理もできるのね」
「わたしは何だってできる天才だもの!」
「ノアは確かにクッキーとハーブティーと魔導具に関しては天才的ですが、それ以外はさっぱりですよ。まるでこのハーブティーのように」
「あ、はい」
「もー! リツは余計な事言わなくていいのっ」
リツの真顔で放つ言葉にどう反応してよいか分からず、リツはクッキーに手を伸ばした。
「わ、美味しい」
さっくりとした軽い食感のクッキーは、練りこまれたハーブの香りが口いっぱいに広がる。
バターの甘さが相乗効果となり、カリュが食べたことのない美味しさだった。
カリュはぱたぱたと尻尾を振って、ティーカップに手を伸ばす。
温かな湯気を立たせるそれは、喉を通ってカリュの体の末端にまで染み渡る。
これらを楽しむだけに来ても、怒られないかな。
カリュは口腔に残る余韻に浸りながら、そんなことを考えた。
「それじゃあカリュ、わたしの作った魔導具も見せてあげる」
次のクッキーをぽりぽりとかじるカリュを見て、満足そうな笑顔を浮かべながらノアは席を立つ。
陳列台からいくつかの魔導具を取り、ぱたぱたと駆け戻って来た。
「じゃーん! リツは探索者らしいから、探索者向けのをいくつか選んでみたよ」
「へー……」
テーブルに並べられたのは、一見してランタン、護符、青い六角柱のクリスタルに見える三つの魔導具だった。
魔導具については何も知らないカリュが見ても、それがどういった力を持つものなのか、さっぱり分からない。
「これは〈見えるんるん二号〉って言うの」
「みえ……、え?」
「〈幻暴きの角灯〉という、不可視の存在を暴く光を放つランタンです」
「あの、見えるんるん……」
「お気になさらず」
「はい……」
少し不安は残ったが、あえて無視してカリュはランタンを見つめた。
四方を青みがかったガラスで覆われた、一見すればごく普通のランタンである。
「これはねー、ここに魔石を装填すると魔力を帯びた光がでるようになってるんだよ」
「その光に照らされると、見えない敵も見えるようになるのね」
「そういうこと!」
不可視の敵というのは、ありふれた存在ではないが決して珍しいものでもない。
迷宮の奥へと行けば行くほど強力な魔獣は多くなり、中には魔法を扱うものまで現れる。
〈小鬼の魔術師〉程度ならばまだ問題はないが、〈不死者の王〉や〈魔石の凶霊〉といった存在は不可視の魔法を習得していてもおかしくはない。
また、種族的に人の目には映らないというやっかいな特徴を持つ魔獣も少なくない。
姿の見えない相手を暴くことができるならば、遥かに安全に立ち回ることが可能になるだろう。
「これ、いくらくらいするの?」
「んー、金貨七十枚くらいかな」
「なっ」
軽く告げられた数字に、カリュは絶句した。
彼女の一週間の稼ぎが、おおよそ銀貨三枚。
銀貨百枚で金貨一枚である。
カリュは震える手を抑えながら、そっとランタンを押し戻した。
「こ、この護符はどういった魔導具なの?」
「これはねー、〈守るんるん――」
「〈献身の護符〉です」
「え、あの……」
「お気になさらず」
「は、はい」
差し出された護符を受け取り、まじまじと見つめる。
紫色のインクで、薄く硬い金属の板に細やかな模様が描かれている。
銀鎖が通されており、ネックレスとして首にかけることができるようだった。
「壊れるまでの間、装着者の負傷を全て肩代わりするモノです」
「すごい……」
「かすり傷程度なら反応しません。致命傷なら一回、身体欠損なら五回程度肩代わりしますよ」
「すごい。これがあれば多少のピンチも逃れられるのか」
「まあ、理想はこんなものを使わないことなのですが」
ハーブティーを口に運ぶリツの言葉に、それもそうかとカリュは苦笑いを浮かべた。
「それじゃ、この青いクリスタルは?」
机に並べられた、最後の魔導具。
青く透き通った六角柱のクリスタル。
内部には白く細い線で立体的な模様が複雑に描かれている。
「これはね」
「〈水蛇の聖域〉、地面に叩きつけることで小さな魔除けの結界を張る魔導具です」
「もー! リツ! わたしに言わせてよ!!」
ついに一言も名前を言わせてもらえなくなったノアに、カリュは少しだけ憐憫の目を向けた。
「魔獣が寄り付かなくなるの?」
「そういうことです。ただ、水や神聖な魔力に耐性のある魔獣であったり、強力な魔獣は突破できてしまいます。効果時間は半日くらいでしょう」
つまりは、危険の多い迷宮内に、安全地帯を構築することができるという魔導具である。
「これがあれば、日をまたいで探索ができるのね」
「そういうことです」
迷宮内では完全に身を休めることは難しい。
それゆえカリュは基本的に日帰りで迷宮に挑んでいた。
だが、この魔導具があれば安心して休養を取ることができるのだ。
「そうだカリュ。せっかくのファーストお客さんだから、何か一つプレゼントするよ」
妙案を思いついたとばかりに、ノアが言った。
「ええっ!? いいんですか」
驚いたのはカリュの方である。
金貨何百枚とするような魔導具を、気軽にあげると言われても、どうすればいいのか分からない。
彼女は本来ならばこのような魔導具などとは縁のない駆け出し探索者なのである。
縋るようにリツを見れば、我関せずとばかりにクッキーを食べている。
「えっと……」
ランタン、護符、結晶。
代わる代わるそれらを見ながら、ノアを伺う。
彼女は楽しげに肩を揺らしていた。
「えっと、じゃあ。これで……」
カリュが指さしたのは、〈献身の護符〉。
「はーい! じゃ、どうぞ」
ノアが差し出し、カリュがおずおずと受け取る。
付けてみて、とノアに言われて首にかける。
冷たい銀鎖が火照った体を少しだけ静めた。
「ありがとうございます」
「いいのいいの! 記念すべきファーストお客さんだもの。もし、何か魔導具が欲しかったらいつでも来てね」
「は、はい」
多分そんな機会には恵まれないだろうと考えながら、カリュは胸元の護符を触りながら頷いた。
「それに」
横で眺めていたリツが口を開く。
「クッキーやお茶も用意してますよ」
「……! ありがとうございます」
ニコニコと笑うノアと薄く微笑むリツの二人を見て、カリュは必ずまた訪れようと胸に誓った。