3話
男との再会は慌ただしいものとなった。遅れてではあるが、男は宣言通りに昨日別れた駅に現れ、裕太はその姿を見るや否や、激昂した。
「あなたのせいで! 僕は殺されかけた!」
あなたが半端に逃げ出したせいで怪物は自分の元にやってきた。そもそもあの怪物は何だ。あなたの知っていることは全部話してもらう。と裕太は男を責め立てる。
その様子に男はただ謝り、君を巻き込んでしまう形になって本当に申し訳ないと言った。
「だが今はもう少し巻き込まれてもらう。私が殺される前に、君にはすべてを知ってもらう!」
男がそう言ったのも束の間、裕太は男に手を引かれて車に乗るよう催促された。裕太は男の焦りように怪しさを感じ、一度は拒否するものの、昨日のようにまた怪物に追われているのだと察し、助手席に乗り込んだ。
男が運転する車は閑静な住宅街を通り抜け、大通りに出た。日は沈み、街は夜の闇に包まれている。この闇に乗じて、怪物共がまたやってくる。
「あなたは何者なんですか? どうしてあんな怪物に追われていたんです? そもそも何故僕があんなのと戦えるって言うんです? こんな一介の高校生に何させようってんですか」
「……今この世界には、我々の他に3種類の人間がいる」
男は裕太の溜まりに溜まった質問には答えず、神妙な面持ちで呟くように語りだした。男は話しながら、ルームミラーに目を遣り、しきりに後方を気にしていた。
「超人、怪人、半怪人」
「……は?」
何を言っているのか裕太はすぐには理解できなかった。男の言葉の意味を推測する間もなく次の言葉がやってくる。
「私は神田。20年前に超人と呼べる人間を作り出した研究員のひとりだ。君が見た怪物は超人のレプリカである人間。奴らの歯や爪によって傷をつけられたら怪物の能力の一部を受け継いだ半怪人と呼べる人間に変わってしまう」
「超人? 研究員?」
「20年前、私を含めた遺伝子工学の研究員達は溢れる研究欲を抑えきれずに0から『人工の人間』を作り出した。それが超人と呼べるほど優秀な人間だったが、その子に欠陥見つかってからは生身の人間をベースに超人を作り出すことにし―――」
突如、車の屋根に強い衝撃が走り、神田の握るハンドルが取られる。
敵は後ろからではなく、上からやってきた。
裕太は咄嗟に銃を取り出すが、使ったことのない銃をすぐに扱えるほど裕太は博識なわけでもなく、落ち着いて照準を合わせられるほど余裕のある状況ではなかった。
「捕まってろ!」
神田は左右に何度もハンドルを切り、屋根に張り付いた怪物をアスファルトの上へ振り落とそうするが、中々上手くいかずに急ブレーキをかけた。
慣性の法則は知っていたが、これほどあからさまに吹っ飛ぶものなんだと裕太は場違いながらもわずかに感心していた。
そうして車体から投げ出された怪物はアスファルトの上を転がり、受け身を取ってこちらに向き直る。その姿は豹かジャガーかチーターかはわからないが、とにかくその類の動物に酷似していた。
「轢き殺してやる!」
急ブレーキから急発進した車はぐんぐん加速したものの、怪物は華麗と呼べるほどの身のこなしで左へ身体を翻し、ダメージを与えることはできなかった。
神田は無理に怪物を追うことはせず、公道を堂々とスピード違反しながら車を走らせ、怪物から距離を取った。
怪物が追いかける姿がルームミラーに映ったが、持久力がないためか、すぐに失速して裕太の視界からは消えた。
神田は次に怪物が現れた時のために銃の撃ち方を簡単に教え、話を戻す。
「生身の人間をベースに超人を作り出す実験はかなり難航してな。我々のような通常の人間を超人に近づけるために超人の遺伝子を合成した試薬の開発を行っていたんだが、超人の遺伝子だけでは通常の人間に劇的な変化を与えることはなかった。その結果、動物を始めとしたその他の生物の遺伝子をその試薬に合成することで劇的な変化を与えることができた」
「その動物人間が……例の怪物のことなんですね?」
神田は黙ってゆっくりと頷いた。
そして、神田はその怪物のことは超人の複製品という意味合いで『レプリカ』と呼んでいた。
「最も、僕が見たのはバッタ人間でしたけどね。さっきのは……チーターですか?」
「恐らくそうだな……動物に限らず昆虫や植物、水生生物だっているさ。レプリカの薬をこの街でばら撒いているのはレプリカに魅せられた研究員達のはずだ。詳しいことは正直よくわかっていないが、奴らは様々な情報を握っている私を始末したくて仕方がないらしい。だが、奴らを放っておけばいつかこの街どころか世界はレプリカによって人間が淘汰されてしまうだろう」
神田は胸ポケットから古びた1枚の写真を取り出し、裕太に渡した。10数人の白衣を着た研究員達が並んでいる集合写真であり、何人かの顔が赤いマジックで丸く囲まれていた。
「薬に魅せられ研究を続けた者達だ。その中の誰かが薬をばら撒いているのかもしれないし、全員がばら撒いている可能性もある。私は人を変えてしまう薬の危険性から研究から身を引いたが、情報を握る邪魔な研究員はいらないとのことで私以外は皆始末されたよ」
「怪物……レプリカを始末することが世界を救うことだってのはなんとなくわかりました。ですが、それをするのは何故僕なのか? 先にそれを知りたい。それと、あなたが僕のことをどれだけ知っているのかということも」
神田は押し黙る。貫くような裕太の視線が神田に向けられる。
「如月操という女性を知っているだろう?」
如月操、それは裕太にとって誰にもたどり着かない場所まで持ち去りたい過去の一部。裕太には幼馴染に如月未来という少女がいた。未来はある出来事によって自ら命を絶っており、そんな彼女の母親の名前が如月操であった。
裕太は神田の質問に知っていますと肯定。
「彼女が私の仲間の研究員だったということは知っているかな?」
「いえ……過去に研究職に就いていたということしか知りませんでした」
裕太は昔、兄と未来と共に操が学校では教えてくれない科学遊びを楽しんでいた光景を思い浮かべた。当時は科学者になってノーベル賞を取ってやるなんて無邪気なことを考えていたが、今の裕太はそんな希望に満ちた夢は持ち合わせてなどいない。
未来の自殺、兄の裏切りが裕太を変えた。
「レプリカに傷を負わされたらレプリカの能力を受け継ぐ。しかし、大抵の人間はレプリカの細胞に適応できずに暴走し、自我が崩壊する。適応できたところで薬による変態ではないから細胞の変化に身体が追い付かず、寿命が極端に縮んでしまうんだ。そこで如月は娘を守りたいがために、そうならないための『抗体』を開発した」
かつての同僚のことを語りだした神田の表情はひどく悲しげであった。対照に裕太の表情は焦燥感に満ち、冷や汗までかいている始末だった。自分のことをどれだけ知られているのかという不安と、生きて明日を迎えられるのかという不安。
裕太は苛立ちを隠せず、心に余裕がなくなっているのが自分でも感じることができた。
「しかし、どういうわけかその抗体は木野君、君が使用したということがわかった。本来なら君は一切関係のない人間だが、レプリカの影響を受けずに奴らを倒せるのは君しかいない。渡した銃弾は対レプリカ用に作られた特殊な弾だ。万が一あれがレプリカの手に渡れば何をされるかわかったものではない。だからどうか……勝手なことを言わせてもらうが……私に協力して世界を救ってくれ」
欲に負けて超人とやらを作り出し、研究の産物が暴れまわるかもしれないから協力してくれ。
本当に勝手な話だと裕太は思った。神田が裕太の過去をそこまで知らなかったことは別にいい。しかし、この男に絡まれたばかりに裕太はレプリカに襲われる羽目になった。
とはいえ、そんな怪物がこの街にうようよ存在しているのなら、安心して暮らすことは難しい。始末できるのなら始末すべきだとは感じていた。
しかし、神田の素性が敵に知られているのだとしたら、一緒に行動するのは危険ではないのか?
裕太が答えを決めあぐねている間、突如前方に驚く間もなく現れたさっきのレプリカが風のように車の横をすり抜けた。
その刹那、車はコントロールを失った。
「タイヤをやられた!?」
時速100キロをオーバーしたまま車体がガクンと右に落ちるように傾き、車は道路の真ん中で横転した。
「う……く……」
裕太の意識は朦朧としていたが、場の状況を飲み込むくらいのことはできた。
シートベルトのおかげで生きているのかもしれないし、シートベルトのせいで胸がひどく痛むのかもしれない。だが、そんなことは大した問題ではなかった。
レプリカは倒れた車体からすかさず神田を引きずり出し、彼の首を180度回転させて殺害した。その様はまるで、片手でペットボトルの蓋を開けるような要領だった。
レプリカという怪物を生み出し、自分にすべてを託した男が死んだ。
これからは裕太がレプリカを倒さなくてはならなくなった。そのためには、まずこの場を生き延びることが絶対条件だった。
レプリカが助手席の裕太を見下ろすように覗いた。裕太はピクリとも動かないが、死んではいないし意識も失ってはいない。
裕太は生き延びるために、死を演じたのだ。
実際に意識が朦朧としているため本当に死んでしまいそうな気もしていたが、この機会をチャンスととらえ、裕太は必死に意識を保って死んだフリを続けた。
やがてレプリカが背を向けた。その瞬間を裕太は逃さなかった。
(死ね!)
この街に、今日2発目の銃声が響いた。弾は奇跡的にレプリカの背中に命中し、それを確認すると裕太は静かに笑った。
レプリカは支えを失ったように倒れ、やがて塵と化した。
残ったのは大破した車と、首を折られた男に銃を握った少年だけ。
勝利を確信した裕太は既に戦うことを決意していた。神田の尻拭いのためではなく、自分の生活を脅かされるのを防ぐため。それ以上の理由など、裕太には必要なかった。
「わかったよ神田さん……世界を救ってやるさ……僕自身のために」