1話
西日が差す電車に揺られながら木野裕太は今日一日の出来事を一人振り返っていた。教師から指名された箇所の問題が今日は解けなかったこと。体育で行うサッカーの時間にボールが回ってこないように、されど邪魔にならないように気を遣って立ち回っていたことなど、きっと情けなかったに違いない自分の姿を振り返った。
しかし、裕太にとってはそれで及第点だった。裕太は空気のような存在でいることを望んでいて、それが自分の性にも合うし幸福だと感じている。周囲に波風立てないように必要最低限のことだけはしつつ平穏な生活を楽しむ年寄りじみた高校生が木野裕太という少年だった。
時計を確認すると時刻は17時半を指していた。裕太の自宅の方向へ進む電車はいつも人が少ない。しかし、辺りを見回すとこちらにチラチラと視線を向ける男が少し離れた位置に立っていた。今はまだ春ではあるが、多分暑いんじゃないかと思うくらいの黒いコートを着た絵に描いたような怪しい男。何故かその男はまるで周囲を警戒しているように裕太の様子を伺っており、男と目が合うとしばらくそのまま目を離すことはしなかった。
そして、徐に男は裕太の側までやってきた。
「君にしか頼めないことがある」
裕太は男を不審者だと直感した。出会っていきなり頼み事をしてくる推定50代の痩せた中年男性。無視しようかとも考えたが、「君にしか頼めない」という言葉に引っかかる点を感じたため、裕太は言葉を返す。
「それは、なんです?」
男は裕太の目の前に外からの視線を遮断する壁を作るように立った。正直威圧感を感じ、眉をひそめる。
男は改めて周囲を確認するように見渡し、重々しく口を開く。
「私と共に世界を救ってほしい」
そう言って男はコートから小包を取り出し、裕太に差し出す。受け取ってもいいのか? と困惑するが、考えても仕方ないと感じて結局受け取ることにした。このおじさんはふざけているのか? という思いをひしひしと感じながら。そして、袋の中身を見た裕太はポロリとと本音が漏れる。
「……ふざけてます?」
中には一丁のリボルバータイプの拳銃に数十発の銃弾が入っていた。世界を救えとはこの銃を使って襲い来るモンスターを倒せとでも言いたいのだろうか。または宇宙人が相手か? なんにせよその類の処理は一介の高校生ではなく警察の仕事であることは間違いない。
「君は以前に―――」
2人を揺らしていた電車が停車駅に止まった。その時、今までポーカーフェイスを貫いていた男の表情が一転する。窓の向こうにいる誰かを見たようだが、男の目は単純に人を警戒しているだけの目つきではなかった。
「明日、この駅で待っている」
そう言って男は逃げるように電車を降りていった。目で後を追おうにもすぐに走り出した男はあっさりと裕太の視界から消えてしまったが、男の後を追うサラリーマン風の男を目撃する。その様子を見て、自分の目の前にいきなり現れ、唐突に銃を渡した男がただの不審者ではないのかもしれないと考え始めた。
銃なんて危険な物を会ってすぐに渡したということは相当余裕がなかったのか? それも気になるが、自分に言いかけた言葉が何だったのか、嫌な引っかかりを感じた。
「ふう……」
「君は以前に―――」その後に続く言葉を考えると不安になる。緊張を解くように息を吐き、気持ちを楽にさせる。電車が再び走り出す頃には何事もなかったような気持にはなっていたが、一切の不安がないと言えば嘘になる。
何故なら、過去に母校を焼いた罪を隠し続けている裕太にとって、その罪が世間に知れ渡ってしまうことは平穏な日々が過ごせなくなることと同じなのだから。