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明け方になって漸く私は少しばかり眠れたようだった。
そんな私を無情にも起こす声がする。
「――夢月、起きろ」
…もうちょっと寝かせて…やっと眠れたところなの…
私はそう言ったつもりだけれど、相手にちゃんと届いたかは不明だった。
「…寝かせてやりたいが、厄介な来客だ。おまえの夜着姿など見せたくない。着替えをしなくては」
着替え。その単語に私はぱちりと目を開けた。
前も着替えの途中で瑚白さんが乱入して来て慌てたんだった。
「来客!?やだ、急がないと」
よくわからないけれど、とにかく着替えなくては!私が起き上がるときちんと着替えを終えた瑚白さんが枕元にいた。彼は真剣な眼差しで私を見つめて言った。
「夢月、覚えているな?おまえは記憶喪失になった香紅夜だ。客に対しては何も喋らなくていい」
うん、わかってる。
瑚白さんの言葉に私が頷いたときだった。ふわりと何かお香の香りがした。
「――失礼するよ。起きているかな、香紅夜」
低くよく通る声が響いて開かれていた妻戸から背の高い男の人が現れた。どちらかというと、瑚白さんが細身だけれど筋肉質な武人タイプなのに対して、今室内に入ってきた人はもう少し柔らかい楽人のような印象だ。
瑚白さんがちっと舌打ちした。
「青焔!無礼だぞ。まだ香紅夜は着替えていない」
瑚白さんは素早く私の頭に打掛を被せると、布のかかった衝立代わりの衣桁を動かして青焔と呼んだ男性から私を隠した。
「こうでもしなければ、君は私を香紅夜に会わせてくれないからね。やむを得ずだよ」
青焔さんは板敷に腰を下ろしてしまった。ここで待つ気のようだ。衣桁に掛かった布一枚隔てたすぐ側で女性の着替えを待つってちょっと…いやかなり非常識じゃないだろうか。
ここで、着替えろと…?
ちらりと衣桁越しに瑚白さんを仰ぎ見ると、瑚白さんは仕方なさそうに首を横に振った。着替えの時間は消滅したようだ。もうこのまま衣桁越しに接対するしかない。
…というか、この青焔さんという人は香紅夜さんや瑚白さんとはどういう関係なんだろう。
好奇心に、衣桁の布をほんの少し捲ってみると、青焔さんとばちっと目が合ってしまった。
――うわ!びっくりした。
垣間見えた青焔さんはとても綺麗な男の人だった。髪は海のような深い青。切れ長の瞳は綺麗な藍色。怜悧で理知的だけれど、穏やかで優しげな風貌だ。私は慌てて布から手を離した。けれどそれは最早無意味だったようだ。
「香紅夜、出ておいで。君がこんな衝立を使うなどらしくないよ。君の夜着姿など今更珍しくないし。私はずっと君のことを心配していたんだよ。無事な顔を見せておくれ」
えーと…。結構親しい間柄なのかな。私が困って瑚白さんを見つめると、瑚白さんは首を横に振った。出るなということだろう。
「…香紅夜は体調を崩している。回復したら会わせてやる。今は帰れ」
瑚白さんは冷たく言い放った。けれど青焔さんはひるまなかった。くすっと笑うと衣擦れの音がして瑚白さんが私の視界から消えた。私には何が起こっているのか見えていなかったけれど、瑚白さんが「やめろ」と叫ぶと同時に、バラバラと複数の足音がしてゴキっ、バキっと鈍い音が聞こえた。
――何が起きているの!?
私が狼狽えていると、バサっと音を立てて衣桁の布が落ちた。――いや、落とされた。
「やあ、香紅夜。元気そうで何より」
私の真上に落ちた影に仰ぎ見れば、青焔さんがいい笑顔で私を見下ろしていた。
私はどうしていいかわからずただ青焔さんを見つめた。なんと答えればいいのだろう。瑚白さんには客には何も喋らなくていいと言われているけど。
そうだ、瑚白さんはどうしたんだろう、と布のはずれた衣桁の向こうを見やると、複数の男の人に取り押さえられた瑚白さんがいた。
え!?何この人たち。強盗!?
「瑚白さん!」
私が思わず立ち上がると、瑚白さんが動いた。
「え?」
瞬きする間に、彼を取り押さえていた人たちが倒れた。よく見ると彼の周りにはすでに何人かの男の人が転がっていた。さっきのバキっという音はこの人たちを伸した音だったらしい。つ、強いんだね、瑚白さん。
「香紅夜!」
瑚白さんが私を見て表情を変えた。
何?
そう思った瞬間、横から顎を持ち上げられた。
「…瑚白さん、ね」
間近に青焔さんの顔があった。
近い!私が驚いて固まっていると、青焔さんがにっこりと笑った。
「…香紅夜、私の名前を呼んで?」
な、名前?
「せ…いえん、さん?」
合っているはず。瑚白さんはこの人を青焔と呼んでいた。どきどきと胸が鳴る。なんのテストなの、と固唾を飲んで待つこと数拍。
青焔さんはにっこりと綺麗に微笑んだ。
「――君は誰?」
……なんでバレたんですか。




