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かぐやのゆめわたり  作者: 桐島ヒスイ
3章 帝の檻

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17/27




 翌朝目が覚めた私の隣には誰もいなかった。

 夢の中で瑚白に会った気がしたのに、起きたら独りというのは堪えた。ああ、私本当に瑚白の温もりに馴らされてしまっているのだなと思い知った。

 それにしても自分が不甲斐無い。昨日逃げ出そうとしたのに眠ってしまうなんて。

 ご飯を食べた途端眠くなるとか、子供か。

 でもなんだか頭が重い。良く寝たはずなのに。というか、むしろ寝過ぎなのかな。

 部屋の明るさからして既にお昼に近い時間帯のようだった。

 私は自分の能天気さに愕然とした。快適な睡眠がとれる精神状態じゃなかったのに、普通に眠れたってなんなの。

 少し自己嫌悪に陥りながらも何か腑に落ちない。頭の片隅で何かがおかしいと警報が鳴る。


 ……食事を摂った直後に眠くなった。不自然なくらい急激に、深く。

 例えば睡眠薬を盛られたのだとしたら。


 私はその可能性に気付いてぞっとした。

 青焔さんは本気で私を閉じ込めるつもりだ。

 その時、部屋の外でひそひそと交わされる会話が耳に届いた。

「……香紅夜さまはまだお目覚めになられないか」

「……加減を間違えたのでは」

「体調が万全ではなかったとお聞きしているから、効きすぎたのかもしれぬ」

 ……これはやはり薬を盛られたということだろうか。

 私はそっと気配を殺して布団に潜り込むと、高速で思考を巡らせた。

 どうしたらいい。彼らは私が目を覚ましたことにまだ気付いていない。ならば隙を付けるのではないか。それとも医者などを呼ばれてしまうだろうか。


 私が逡巡している間に穂積さんが部屋に入ってきた。衝立の向こう側から声をかけられる。

「香紅夜さま、起きられますか?」

「………」

 私は咄嗟に目を閉じ、寝ぼけている振りをする。

「……もう、朝……?」

 わざとゆっくりと喋り、薬が抜けきっていない風を装う。

「……はい。お加減はいかがですか?」

 優しく労わるような声に、胸がちくりと痛むけれど目を瞑って息苦しそうに答える。

「……あまり、よくないみたい……」

 穂積さんの息を飲む音が聞こえた。心配しているようだ。悪いとは思うけれど、また薬を盛られるのは嫌だ。薬は害だと認識させるためにも私は仮病を頑張ることにする。

「もう少し寝る…………」

 小さく呟いて寝返りを打ち、穂積さんに背中を向ける。衝立を挟んでいるので彼女からは直接は見えないけれど、気配でそれ以上の会話を拒絶したことは分かったようだった。

「……畏まりました。何かございましたらいつでもお呼びください。こちらに水をご用意しておきますので」

 枕元に茶器のセットがそっと置かれる気配がした。

 ……その水に薬が混入されていない保証はない。飲まない方がいいだろう。

 私は返事はせず寝たふりをした。



 ここで出される食事は手を付けられない。そうなると空腹との戦いになる。短期決戦でお腹が空く前に脱走するしかない。

 あまり寝たままでも医者を呼ばれて仮病がバレる危険性もあるしね。


 私はちらりと自分の身体を見下ろした。

 寝ていたため、白い着物一枚だ。走るには身軽でいいけれど、少し心許ない。この世界に来てひと月が経った私はこれは下着姿だという感覚が身についていた。部屋の中をざっと見回すけれど着物は置いていないようだ。

 これは一度起きて着物を着せてもらう必要があるだろうか。私は思考を巡らせて、一つ策を思いついた。少し乱暴な手段になるけど仕方ない。私は小さく息を吸うと、覚悟を決めた。



 それからたっぷり一時間は経ったと思われる頃、漸く私は目が覚めたふりをして起き上がると穂積さんを呼んだ。

「お饅頭が食べたいな」

「すぐにご用意致します」

 唐突なお願いにもかかわらず、穂積さんは嫌な顔もせず聞き入れてくれた。

 三十分ほどして、蒸かしたてのお饅頭が運ばれて来た。他の侍女は下がらせ、穂積さんだけを側に置く。

「ありがとう。穂積さんも一つどう?」

「いえ、わたくしは……」

 遠慮する穂積さんに、ちらりと不快気な視線を送る。私のお饅頭が食べられないっていうの?的な。私が作ったわけではないけど。

 穂積さんは頬を強張らせて頭を下げた。

 ……やっぱり薬が入れられているのかな。それともただ単に遠慮しているだけかな。別にどちらでもいいけれど。

 私は穂積さんににっこりと微笑むと、立ち上がって彼女の目の前に座る。穂積さんの表情がすっと緊張を帯びた。私が次に何をしでかすのかと固唾を飲む音が聞こえてきそうだった。

 私は笑顔を浮かべたまま片手で彼女の顎を上げて口を開かせ、手にしていたお饅頭を一気に彼女の口に突っ込んだ。

「!?」

 ごめんね、穂積さん。乱暴なことをして。

 これは彼女の声を奪うための措置だ。驚きに身を竦めた彼女の着物を素早く剥ぎ取り、帯を解いて彼女の手足を縛り上げる。その上に布団をばさりとかけて衝立を倒して重しにする。突然のことに穂積さんは呆然としてほとんど抵抗もなかったため思った以上にスムーズに出来た。

「んん!!」

 布団の中からくぐもった声が聞こえるけれど、私は彼女が布団から抜け出してきていないかだけを冷静に確認して視線を逸らす。

手早く踝まで届く髪を半分に折って腰ひもで括って纏める。やっぱり長すぎる。少し切りたいなぁ。瑚白に言っても許してくれないだろうからこっそりやろう。

 穂積さんは暴れたけれど、衝立がしっかりと重しになっているらしく彼女は抜け出せないようだった。

私は辺りの気配を探った。外は暗くなりかけていた。渡殿の近くに侍女が控えている。でもそれ以外に人影はない。


私は素早く穂積さんの着物を羽織ると妻戸を開けて外へ飛び出した。

飛び出した私は、普通に歩き出す。侍女の衣裳はお揃いの浅葱色だ。これを着ていれば遠目からは侍女に見えるだろうから慌てず騒がず普通にしていれば問題はないだろう。

 問題は私がこの辺の地理に詳しくないということだ。暗闇を闇雲に走って瑚白の屋敷に辿り着けるだろうか。結構牛車で長く揺られてここに辿り着いたんだよね。でも牛車ってゆっくりだからそんなに距離は離れていないのかな。

 ダメだ、考えすぎると動けない。

 ここは瑚白の元へ帰ることだけを考えて足を動かすべきだろう。

 内裏は都の中心にあり、瑚白の月読の屋敷は東北に位置する。それだけわかればなんとかなるだろう。

 

 とにかく前へ。

 私が抜け出した建物の角を曲がった時だった。


「誰か!香紅夜さまを止めて!」


 穂積さんの声が響いた。思ったよりも早く布団から抜け出してしまったらしい。

 ゆっくり歩いていたためそんなに距離を稼げていなかったのが仇になった。

 穂積さんの声にこたえるように隣の部屋からわらわらと人が出てきた。着物を掴まれるが脱ぎ捨てて躱す。私はなりふり構わず走り出した。

 うわ、思いの外いっぱいいる。でも相手は屈強な衛士ではなく幸いなことに侍女だったため、なんとか振り切る。

 全力疾走で回廊を抜ける。目指すは北東。太陽が沈みかけている方向が西だとわかるからそれとは反対側を目指せばいい。大雑把だけどあまり深く考えない方がうまくいく気がする。

 私は庭に下りてとにかく走った。幸い衛士などはいないようだった。段々と辺りも暗くなってきて、私の姿を隠してくれる。北東を目指して一直線に進む。建物にぶつかれば迂回する。そろそろ内裏を抜けただろうか。いや、ぐるりと囲む塀があるはずだ。まだそれを越えていない。なんて広いんだ。

 いくつ目かの建物の角を曲がったところで漸く塀が見えた。あれを越えれば自由の身だ!気分はすっかり脱獄囚だった。でもやはり出口が近いからか、先ほどまでは見かけなかった衛士がちらほらいる。そう簡単には抜け出せないか。

 門の前には当然ながら門番がいるだろう。

「………」

 ここまで来たのはいいけど、私どうやって門を抜ければいいんだろう。

 門を抜けるのは難しいかもしれない。となると、選択肢は一つだけだ。

「塀を乗り越えるしかないか……」

「――随分とお転婆な姫君ですね」

「!?」

 独り言に返事があった。びっくりする。

 背後でくすっと笑声が落ちて咄嗟に振り返った私の視界に映ったのは見覚えのある爽やかな青年だった。

「た、橘さん……」

「こんなところで出会うとは奇遇ですね、香紅夜さま。お散歩ですか?」

 橘さんは楽しそうに笑って私に近付く。

「それとも隠れんぼですか?」

「……………………」

 私が脱獄しようとしていることを知っていながら焦らすように言っているのだろう。

 だったら私もそれに乗ってみようか。

「……鬼ごっこです。見逃して下さい」

 直球でお願いしてみた。すると橘さんは吹き出した。

「ふふ、香紅夜さまは愉快な方ですね」

 私はじりじりと後ずさるが橘さんもゆっくりと近付いて来るため距離は変わらない。けれど私の背が塀に当たった。もう後がない。

 とん、と橘さんが私の顔の横に手をついた。

「もう逃げられませんよ」

 楽しそうに言う。この人ドSだな。

 余裕顔の橘さんに一泡吹かせてやりたくなる。こうなったら急所を蹴り上げるしかない、と私が物騒なことを考えた時だった。


「香紅夜から離れろ」


 その声にぱっと上を向くと橘さんの後ろから彼の首の横に刀が突きつけられていた。紺青色の髪はきりっと後頭部に纏められ、琥珀色の瞳が鋭く橘さんを睨みつける。

「瑚白……」

 若草色の衛士の着物を着た瑚白がそこにいた。

「刀を引いて下さい、瑚白さま。貴方に刀で勝てる気はしない」

 橘さんは軽く溜息を吐いて両手を上げた。橘さんが一歩後ろへ下がると同時に私は瑚白に腰を引き寄せられていた。

「おまえはまた、そんな薄着で…」

 瑚白が眉を顰めて私を叱る。でも私は一日半振りの瑚白に、飢えていた瑚白成分を吸収することが出来て満面の笑みだ。

「瑚白」

 嬉しくて、でももっと瑚白成分を吸収したくてぎゅうっと抱き付く。

「香紅夜……」

 瑚白の指が戸惑ったように私の頬を撫でる。瑚白の指が濡れている。…いや、濡れているのは私の頬だった。数拍後、自分が泣いていることに気付く。……全然自覚がなかったから自分でもびっくりした。

「…来るのが遅くなってすまなかった」

 あやすように優しく背中を撫でられて、胸がぎゅうと締め付けられた。泣くつもりなんてなかったんだよ、本当に。なのに涙が止まらない。私は顔を隠すように瑚白の胸に押し付けた。

 不意に片腕で攫うように抱き上げられた。私は慌てて瑚白の首に腕を回した。高い!

「瑚白!?」

「橘。青焔の阿呆に伝えておけ。気は済んだだろうと。…香紅夜は返して貰う」

「……仰せのままに」

 橘さんはくすっと楽しそうに笑って言った。何が楽しいというのだ、人が泣いているのに。内心私が憤慨していると、橘さんと目が合った。

「すみません、香紅夜さま。瑚白さまの衛士姿が衝撃的で、つい。それと貴女はとても可愛らしい女性ですね」

 ――は?

「見るな」

 私がぽかんとした一瞬後、瑚白が私に布を被せた。視界を塞がれたため橘さんがどんな顔をしたのか私は知らない。

瑚白は両腕で私をしっかりと抱え直し(いわゆるお姫さま抱っこだ)、そのまま堂々と門を潜る。衛士は固まったまま動かない。

 え、止められない?

 私が訝しんで後ろを見ようとしたら瑚白に布ですっぽりと顔を隠された。

「動くな、香紅夜」

「……こんなに簡単に出られたの?」

「……橘が許可したからだ。あれは帝の腹心だからな」

「……帝って青焔さんなんだよね」

「その名は口にするな」

 途端に瑚白が不機嫌になった。

 え、あれ。何か似たようなことを青焔さんにも言われたような。男の人の前で他の男の人の名を口にするのは禁忌のようだ。

 私は布を少し上げてそっと瑚白を盗み見た。でもこの至近距離なので瑚白はすぐに気付いて視線を下げて私を見つめる。

「…どうした?」

「……瑚白」

 なんでもないと首を横に振る。私はただ瑚白の名を呼びたかった。

「瑚白」

 名を口にすることを禁止されたのはほんの僅かな時間だ。それでも禁止されるというのは堪える。その名が無意識に口に上るものであるなら尚更。心のどこかに枷を嵌められたような息苦しさを覚えていたのだ。

「こはく」

 何度も何度も。私は意味もなく瑚白の名を呼んだ。瑚白の首に抱き付いて肩に顔を伏せる。瑚白の身体は温かった。その温もりに凍えていた私の心が解かされていく。

 ……ごめん、瑚白の着物を涙で濡らしてしまった。心なしか瑚白の歩行速度が上がった。それと共に私は今更ながら瑚白にお姫さま抱っこされていることに気恥ずかしさを覚えた。

「瑚白、降り」

 る、という前に瑚白の腕に力がこもって私の顔は彼の胸に押し付けられた。

「んぐ」

「……香紅夜」

 今度は瑚白が私の名を呼んだ。

 ……香紅夜。でもそれは私の名じゃない。瑚白の胸元の着物をぎゅっと掴んだ時だった。

「……夢月」

 耳元で囁かれて、私の心臓がどくんと音を立てた。顔を上げるといつの間にか牛車の前に到着していたらしい。瑚白に抱き上げられたまま牛車に乗り込み、御簾が下りると同時に動き出す。

 牛車は牛の引く荷台の上に畳敷きの箱が置かれたような形の乗り物だ。箱の中は案外広くて六人くらい乗れそうだ。

 今は二人だけなので瑚白は足を伸ばして座っている。私は瑚白の膝の上に横向きに座っている。…抱き上げられてそのまま乗ったので、そういう形になった。

 ……重いんじゃないかな、瑚白。私は瑚白の膝から下りようとした。でも瑚白の腕ががっちりと私の腰に巻き付いていて動けない。

「瑚白、腕」

 外して、という言葉は瑚白に飲み込まれて音にならなかった。瑚白が噛みつくように私の唇を塞いだからだ。

「――――!!」

 片腕で腰を固定され、片手で顎を上向かせられて逃げられない。身体は強く押さえつけられているけれど口付けは優しくて甘い。

 突然の衝撃に呆然として目を見開いたままだったため、ふと瑚白と目が合った。口付けたまま。その瞬間瑚白が艶然と微笑んだ。その色っぽさに背筋がぞくりと震えた。

 甘さと、野性的な荒々しさが同居した瞳。逃げ出したい衝動に駆られると同時に囚われたい誘惑に搦められる。自分で自分がわからない。胸がドキドキして苦しい。

何度も角度を変えているのに唇と唇が離れることはなく、私は気を失いそうになった。いろいろな意味で。

唇が溶けてしまうんじゃないかっていうくらい甘く啄まれて、息が出来ないくらい長く貪られて。くらくらするのはきっと酸欠でもあるためだろう。

「夢月」

 耳元で名前を囁かれて、漸く私は長い長い口付けから解放されたことを悟った。

 身体から力が抜けてくったりしている。

 






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