序
「――人の世は楽しかったかい?」
誰かの声が聞こえた。けれど私は眠かったので目を閉じたままむにゃむにゃと返事を口の中で転がすのが精一杯だった。
それでもその誰かには通じたみたいだった。微かに楽しそうな笑い声が聞こえた。
「――そろそろ夢から覚める時間だよ」
ふぁさりと掛布を剥ぎ取られた。
「――え、待って!まだ寝てたい…!」
私は驚いて目を覚ましてしまった。
その時ドンドンと扉を叩く音が響いた。
「――!戻って来い!!――!!」
心が引き裂かれそうな、どこか切羽詰まった声だった。
誰かを引き戻そうとしているの…?
名前が聞き取れない。けれどその声の持ち主は切実に誰かを求めていた。
…ってちょっと待って。今その人が叩いている扉は私の寝室の扉だよね?
「う…わわ!ちょっと待って!人違い――」
ドン!と扉が衝撃に揺れた。
ちょっと待った――!今扉を壊そうとした!?
はっとして自分を見下ろせば、襦袢のような透ける薄い着物一枚羽織っただけだった。
これは下着と同類。
「今着替え中です!入って来ないで!!」
大声で怒鳴るも、みしっと嫌な音が聞こえた。続いてどん、どどんという体当たりをかましていると思しき音と衝撃。
「…姫さまが起きるのが遅いからです」
ふと冷静な声が真横から聞こえた。
ひ、姫さま?
私が振り向くと、奈良・飛鳥時代のような装束の女性が手に着物を持ったまま冷たい眼差しを向けていた。
なんだろ、これ。って、夢か。目が覚めたと思ったけどまだ夢の中だったらしい。私自分がお姫さまになっている夢を見ているのか。何か恥ずかしい。深層心理に眠る欲求だろうか。
「とにかく、急いでお着替えください」
この人は侍女のような役割なのだろうか。てきぱきと着物を広げて私に腕を通すよう手振りで強要してきた。
私は何が何だかよくわからないまま、けれど下着姿で扉の外の人に会いたくないので言われた通り無言で着物の袖に手を通す。
なんで着物なの、この切羽詰まったときに!Tシャツとスカートでいいのに。
侍女さんは次々と着物を羽織らせたあと、「帯はご自分でお締めください」とばかりに私に帯を持たせたまま何故か耳飾りや首飾りを私に装着し出した。この切羽詰まった時になんでアクセサリー!!
帯が締められていないので前身ごろが肌蹴たままなんですけど!自分でなんて出来ませんけど!侍女さんは奈良・飛鳥時代のような装束なのに何故か私が着せられているのは平安時代の十二単衣のような衣裳だ。ちぐはぐ過ぎる。
どんな夢だ!いや、夢だからなんでもありか。
私は帯を持ったまま「待って待って待って」と心の中であわあわと叫ぶも焦り過ぎて声が出ない。そして終に扉が蹴破られた――。